間章 - 2 《白い石の谷 ~The Dark Valley of the White Stone~ 》

 すでに、衝撃的な事実をわれわれに突きつけてきている科学が、おそらく私たち人類という種――私たちが種に分かれているとすればだが――を最終的に絶滅させるものとなるだろう。

 ――H・P・ラヴクラフト『故アーサー・ジャーミン卿およびその一族にまつわる事実』




 ミスカトニック大学とメザーウィッツ社の肝煎きもいりだけのことはある。

 二時間の取材だったが、十分だった。新しい遺伝子工学センターは、ずいぶんと立派なものだ。


「それにしても、ルーク。この施設は設備も立派だが、規模もなかなかだよな。

 草が丘メドウ・ヒルのすぐ隣に、よく土地を確保できたもんだ」


 案内してくれた感謝の意味もこめて、ルークに、施設の賛辞をなげかける。

 草が丘メドウ・ヒルはその名に反して、町の郊外住宅地だ。70年代にはもう住宅密集地帯だったこのあたりに、よくもまあ研究所を建てられる土地があったものだ。


「なんだ、イーサン。取材に来たんだから、知ってるもんだと思ってたよ。

 この土地は、いわゆる『訳あり』ってやつでな。

 魔女がこのあたりに集まって、集会をやってたとか、悪魔を呼んでたとか、そういう伝説があったんだそうだ」


 ルークに言われて、むかし調べた、町の言い伝えが頭によみがえった。


「ひょっとして、アレじゃないか。

 草が丘メドウ・ヒルの向こうのうす暗い谷。白い石が立ってて、その周りには草木が一本も生えない……」

「よく知ってるなぁ。そうさ。その伝説の谷が、この研究所の敷地なんだよ」


 ついあたりを見回す。

 明るいLED照明に照らされた、清潔そのものの白い内装が、ひどく不気味に思えてきた。


「じゃあ、問題の白い立石ってのは撤去したわけだな。

 現代文明の前に、魔女の呪いも退散したわけか」


 冗談めかしていった言葉は、


「いや、例の石は残ってるよ。ほら、後ろを見てみろ」


 あっさりと潰された。

 言われたとおりに後ろを向く。

 このロビーの正面は、ほぼ一面が大窓になっている。その向こうには、とっくに夕闇がおりてはいるものの、中庭がひろがっている。

 ロビーからの光で照らされる中庭は異様だった。

 庭園の定番ともいうべき芝生もなければ、樹も、植え込みもない。

 ただ、かわいた不毛の地面がさらけ出されているだけで。

 その中央に、闇のなかにも白々と、大きな石が立っていた。


「あれが……その石か」

「そうさ。最初は破棄する予定だったが、やはり気味がわるいっていうか。

 付近の住民からは、露骨に『魔女の呪いがあったらどうする』って抗議もあってね。

 ノイズ所長が、こういう形で残すことに決めたんだよ」

「なんだ。現代文明のほうが魔女の呪いに屈したのか」


 皮肉まじりの冗談は、全面的にはね返された。


「いや、それがな。ノイズ所長の言い分はちがうんだ。

 宗教の時代に黒魔術・邪教とされていたものであっても、結果としては迷信であっても、見方を変えれば、伝統や制約にとらわれず、知識や力をもとめる運動だったと言うこともできる。

 一種の文化遺産としても、学術の徒としては、むしろ肯定的にあつかうのが適切な態度とはいえないだろうか――と」


 なるほど。そう言われれば適切という気もする。

 気もするが、やはり素直に納得できない気分のほうが勝つ。

 第一、黒魔術を科学の一環と言ってしまうというのは、同時に、科学を黒魔術の同類と言ってしまうことになりはしないのか。

 最先端の科学者というものは、そういうことに抵抗を覚えないのだろうか。

 そういう気分を知ってか知らずか、ルークは続ける。


「まあ、ヤバい気はするけどな。

 けど、黒魔術の名残ってのを中庭に抱えこむ程度、今さら、って感じでもあるんだ。

 ここだけの話、この施設を建てるのに、宗教がらみの連中からはずいぶんと抗議やら圧力を喰らってきたんだ」


 そう言えば、今回の取材の対象じゃあないが、ルークの言うとおり、センター建設にあたっては、宗教勢力からずいぶんと反発や妨害があったとも聞いている。

 この国はもともと、純粋な宗教の世をもとめた清教徒ピューリタンたちが築いた国だ。社会の根に、キリスト信仰はわかち難く結びついている。

 とくにこのニューイングランド地方は、そうした植民社会がもっとも古く誕生した土地だ。聖書を揺るがしかねないものへの反発は、土壌からしてあるのかも知れない。

 これまでの取材のかたわら、雑音、というにはやや大きな風評は聞こえてきていた。


「ずいぶんとひどい噂も立てられてるようじゃないか。

 このセンターは、遺伝子を組み合わせて、合成生物というか、怪物を創ろうとしているだとか。

 人間とウシの遺伝子をかけあわせた半獣人を創っていて、そいつがセンターのどこかで飼われてるだとか」

「はははっ。そこまでになってたのか、世の噂は。

 人間とウシの合成生物か。哺乳動物、それも異目のあいだで合成生物なんぞ創れたら、遺伝子工学の大革命だな」


 ルークの笑い声も、なんとも不気味に感じられてきた。


「まったく、世が世なら、お前も妖術使いとして、首吊り人の丘ハングマンズ・ヒルで吊るされてたんじゃないか」

と冗談めかして言うと

「そうかもな」

 と帰ってきた。


「だいたい、このシンボルマークも良くないな。どことなくオカルトじみてる」


 もらったパンフレットを叩く。

 表紙に載っている新遺伝子工学センターのマーク。

 黒と赤とが、道教タオイズム太極タイ・チー図のように、たがい違いにからんでいる。

 見ようによっては、ひしゃげた目のようで、どことなく気味のわるいデザインだ。

 よく見れば、黒も赤も、角のはえた動物を図案化したものだった。


「それもノイズ教授じきじきに発注したデザインだよ。

 黒いのがヤギ、赤いのがウシだそうだ。

 ヤギは知識を、ウシは産業や実用をあらわしてる、ってことらしいが」


 黒いヤギだと。

 言わずと知れた、黒魔術のシンボルだ。ここまで来ると完全に悪趣味だと、疑われても仕方ないだろう。

 それにしても、またウシか。

 そっちについても、いい気分はしなかった。


 学生のころ、歴史クラブで調べていた、この町につたわる昔話に、なんとも不気味な一群の言い伝えがあったのだ。

 当時ハマっていた、この町の出身の小説家の作品にも取り上げられていたので、ずいぶんと熱心に調べたものだった。

 人間とウシの合成生物――そんなデマを耳にしたとき、否応なしにこの言い伝えが思い出された。

 この現代、21世紀のそんなヨタ話にも、そんな17世紀の古い伝承が下敷きにあるような気がして、いやに不気味な気がしたものだ。


 ウシのコーディ びくびくコーディ

 鞭打ちホイッパーウィルに 追い立てられて

 はずれの森で 仔ウシをっけた

 森の黒山羊 めぇと鳴いた


 あの頃、町のばあさんから採取した民謡を思い出す。

 なんだか妙にこの場にぴったりで、肌がぞっとした。


 明るいロビーに口をあけている、暗い廊下に目をむける。

 あそこから、得体の知れない研究室の奥から、けものとも、人ともつかない何かが出てくることは、ないだろうか。


「しかし、俺も、あの石をこんな暗い時間に見たくはないんだよな」


 ぽつり、とルークがつぶやいた。


「もう知ってることかも知れんが、大っぴらにはしないでくれよ?

 この中庭を整備してる最中に、人骨が発掘されたんだ。

 測定したら300年以上もむかしのもので、事件にはならなかったんだがな。

 20代くらいの女性の骨なんだそうだ……魔宴サバトの生贄、ってことはないよな」


 実際にニューイングランドで、悪魔崇拝の生贄として殺された人間は、記録に残るかぎりでは知らない。

 犠牲者のほとんどは、魔女とうたがわれ、狂信者たちに処刑された、ただの哀れな人間たちだ。


 常識と言っていい話だが、なぜかそれを口に出す気になれなかった。

 

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