間章 - 1 《大学通り ~College Street~ 》

 小島のむこう、ミスカトニック河が蛇行するそのむこうには、いまではすっかり建てこんでしまったハングマンズ・ヒルがそびえ、その背後から、太陽がおぼめく黄色の夕映えを送っていた。

 ――フリッツ・ライバー作 後藤敏夫訳『アーカムそして星の世界へ』




 ミスカトニック大学の入り口で、ポータブルプレイヤーに入れた歌を、三周まわして聴きおわった。

 ちょうどその時に、ルーカス・メザーウィッツが走ってくるのが見えた。

 大学のキャンパスを、ふうふう言ってやってくるルークのすがた。あい変らず汗っかきのようだった。もう10月、それも夕方だと言うのに。


「遅れて悪い。発表会の準備を手伝わされてさ」

「エリオット教授の人づかいの荒さは変わってないんだな。お前、来月には遺伝子工学センターへ転属なんだろ?」

「それで押し付けられたわけさ。新しいセンターの落成にあわせた発表会だから、ってね」


 汗をふきながら、ルークは20分遅れたことをくり返し詫びた。


「すまんな、イーサン 。

 記者の仕事がどんなもんかは知らんが、NYから近くはなかっただろう。悪かったな」

「気にするな。おれも久しぶりに、この町と、ミスカトニック大の雰囲気を堪能したかったからな。

 埋葬地ベリインググラウンドもずいぶん変わったな。あれじゃまるで公園だぜ」


 ここから一ブロック挟んだ所にある埋葬地は、この町でいちばん古い墓地だ。いまでは、膨張をつづけるミスカトニック大のキャンパスにすっかり呑まれてしまっている。

 現役の学生のころは、柳のしげる、もう少しばかり風情ある……つまりは怪談じみた場所だった。

 それが六年ぶりに見ると、照明も増え、遊歩道も整備され、古い墓石は修理され、なにより木立や草むらがすっかり整理されてしまっていた。


「ああいう場所だと、学生が肝試しとか言ってバカ騒ぎをやるからな。それを防ぐためもあるらしい」

「バカ騒ぎね。俺たちの学生時代みたいにか」

「ああ」


 二人で笑う。

 俺とルークは、大学の歴史クラブのメンバーだった。町の名所旧跡を見学すると称して、いかにも大学生らしい無茶もやったものだった。


「川の南側はますます学園都市化がはげしいな。研究施設や、学生向けの商売も増えたみたいだ」

「川の北側は歴史地区の一色なんだがねぇ。いまだに17世紀の家が、いくつか保存されてるんだからな」

「17世紀なぁ。この町ができた頃って話だな。

 それにしても……覚えてるか? この町の歴史。

 町、というか村ができたばかりの頃は、牧場と毛織物屋のさかえた北側に、南側の集落がおまけでついてたようなもんだったらしい。

 それが今や、南側のミスカトニック大学で、この町はもってるんだからな」


 事実、この小さな町はいまや、ハーヴァードやMITをようするボストンに次ぐ、マサチューセッツ州の学術都市なのだ。


「まあ、歴史と学術の町もさすがに手狭になろうってもんだな。

 だからこそ郊外に、新しい遺伝子工学センターがこのたび建設されたわけだ」


 そう言って、ルークの肩をたたき、車へと案内する。

 二年前に買ったこのトヨタのSUVは、NYからの300Kmも楽に飛ばしてくれるお気に入りなのだ。


「ん? なんだい、こりゃ。像か?」


 助手席にのりこもうとしたルークは、シートの上の先客に目を向けた。


「ああ、いや。ただの石ころさ。埋葬地ベリインググラウンドで拾ったんだ」


 シートに腰をおろしたルークは、黒い石を手にとってしげしげと見つめる。


「なるほどなぁ。たしかにただの石だが……妙に人型をおもわせる造形だな。

 というか、聖母マリア様セント・メアリー髣髴ほうふつとさせるな」

「お前もそう思うか。

 黒い聖母様セント・マザーなんて、妖しげだと思ってな。つい手がのびたんだ」

「そうでもないぞ。

 しばらく前にポーランドに旅行したんだが、チェンストホヴァってところで、黒いマリア様セント・メアリーの像を見たんだ。正統な信仰だよ」


 そういえば、ルークの先祖はポーランドの出だ。

 ポーランド移民マズレヴィチ家が、織機修理工から数十年でたたき上げた会社は、有力な地元企業だ。

 名前はすでに「メザーウィッツ」と英語風に変わり果てているが、町の産業にはメザーウィッツ社の資本が多く入っている。


「そういえば、実家のほうはどうなんだ? 新遺伝子工学センターにも、メザーウィッツ社からの資金が入ってるって聞いたんだが」

「そうなのか? よく知らん」

「そのぐらいは知っておけよ……」


 そこまで無頓着だといささか心配だ。


 そんな事を思いながら、大学通りカレッジ・ストリートを曲がる。

 交差点にねじこまれたハイウェイを横目にピーボディ通りへと入った。60年代にできたあのハイウェイは、フレンチ・ヒルの脇をかすめて、町の南東、まさにメザーウィッツ社の息のかかった工業地帯へと続くはずだ。

 ピーボディ通りをこのまま進み、草が丘メドウ・ヒルを越えたむこうに建てられた遺伝子工学センターへはもう少しかかる。

 俺は車のスピーカーに接続したポータブルプレイヤーのスイッチを入れた。

 録音してある歌が車内に流れる。


 牝ウシのコーディ のろのろコーディ

 柳の林で うろうろと

 地面をふんふん 仔ウシをさがす

 黒いメアリー 背中にのせて


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