第一章 - 2 《ミスカトニック谷 ~The Miskatonic Valley ~ 》
動物と交わった男は必ず死刑に処せられる。その動物も殺さねばならない。
いかなる動物とであれ、これに近づいて交わる女と動物を殺さねばならない。彼らは必ず死刑に処せられる。彼らの行為は死罪に当たる。
――『聖書(新共同訳) レビ記 20章 15~16節』
昼の祈りをすませると、昼食とどけに父の畑へ歩いてゆくのが常だった。
集落をまっすぐ西へつっきると、貧しい景色がさらに貧しく。しおれた荒れ野が広がっている。
東の家から西の畑へ。集落まるごと横切って歩く。それだけでも大変なのに、畑ときたらこの荒れ野ぞいの細くやせた耕地だけ。
二十年とちょっと前、父と母が新天地もとめ、プリマスからやって来たころには、もはやこの地も新天地じゃなく、あんな家とこんな畑の組み合わせしか残ってなかった。
西の荒れ野は土がかたく、まともな畑ができるのは、ここらが西のはじっこだ。
聖書の語る、東方の砂漠になぞらえられるこの荒れ地に、値打ちを見出していたのは、
あれは何の集まりだったか。何年もむかし、南岸にすむ衆と茶色にひろがる荒れ野を前に、ギデオンさんは言っていた。啓示をうけた
――この地は不毛の荒れ地ではない。見るがいい。この堅牢な地盤のひろがり。
――我らの祈りと勤労が、町をはぐくみ広げた暁。麦をまき、ヒツジに草を食ませるよりも、より重要な建物を建てる場所にこそふさわしい。
そりゃ何だい。と誰かが歌うように言った。
いったいどんな大層な建物を建てるんだい。小さな村の、こんなに
ギデオンさんは南岸の顔役だったが、ときおり突拍子もない話をすると
――
動じることなくギデオンさんは言い放った。
――理性と正しき信仰を、このミスカトニック谷に住む、すべての若き
――いつの日にか、かならずや。
ギデオンさんはその冬、風邪をこじらせて、柳のしげる
ギデオンさんの夢見た「ミスカトニック大学」は、村の衆の
そんな
「で、どう思う」
ちょうど今、話好きのオズワルドさんが声をひそめて、その場の三人の男に言った。
コーデリアが立ち去ろうとしていた時だった。父に弁当――固いパンと、そろそろ熟したヤギのチーズが少しばかり――を渡し、父は目もあわせずに受け取る、いつものやり取り終わらせて。
「ああ、そりゃあ何の話だ」
父がうなるでもなく怒鳴るでもなく、普通に話す声を耳にしたのは、ひと月ぶりになるだろうか。ついつい足を止めてしまった。
「ほら、だからよ……三年前の秋」
「…………あぁ」
誰かがうめくような声を出し、あたりがしんと静まった。
三年前の秋と聞いて、首がたしかにきゅっと絞まった。コーデリアは立ち去る力をうしなった。
「あのウシは、
「当ったり前だろうさ。
あんな……忌まわしいもん、そうするしかないだろが」
父のとなりに畑をもつセプティマス爺さまが吐きすてた。
「だがな、あのウシが産み落とした……アレは焼いてねえ。
いや、誰も見てねえんだ。
騒ぎになって、あの右目があいつとそっくりだって話になって……あいつが吊るされて。
気がついてみたら、その、アレがどこにいったのか。誰がアレをどうかしたのか。誰にもさっぱりわからねえ」
「無理もないな。あんなもん……見るだけで魂が
誰も、気にしたくもなかったろうよ。ましてや、どうこうするなんて……考えたくもねえ」
コーデリアよりわずか年上のトーマスが、結婚してから伸ばした口髭をふるわせる。
「まあ、そりゃ俺だってそうだったんだがな……。
ふと、気になる話を耳にしてよ」
「なんだい、オズ」
ほんとうに、今日の父はよく話す。
「
あの家の屋根裏あたりから、ときどき、のこぎり挽くだの釘打つだの、大工仕事の音がするって、サミィの奴が言うんだよ」
「大工仕事なんざ、珍しくもねえだろう」
「それが珍しいくらい長く、たびたび繰り返したらしくてな。
あの家でそんな大工事になるってのも考えづらい話だろ。
何しろ今じゃあ、あの家に住んでるのは爺さん一人だ」
「……おい、そりゃあ」
「
あの柳の木の根元にいつの間にやら、ま新しい墓石が立ってる。
気味のわるいことに……埋められてる奴の名前もなんも彫られてねえ、のっぺらぼうの墓石なんだ」
「あそこの爺さんの仕業だってのか」
「まあ……無理もねえわな。あの飲んだくれの鼻つまみの……おまけに、あんなとんでもねえ罰当たりだっつっても、爺さんにとっちゃあ一人息子よ。
そういや、あいつの吊るされたあとの亡きがらについても、どうしたんだか、はっきりした話は聞こえねえ。
あの家は
人知れず穴を掘って、埋めて、名前を彫るわけにゃあいかねえから、のっぺらぼうの墓石を立てた、と」
「それじゃあ……その、産まれたアレも、あの爺さんが……」
「生きてるって言うのかい。あの、アレが、あの家に……」
「じゃねえかなぁ。
屋根裏部屋だかどこだかを直してよ、人目にふれんよう、出られんようにしてよ。
あんな……悪魔のこしらえたようなもんにせよ、その、爺さんにとっちゃ、もう、たった一人の身内で……孫……」
「やめねえか!
それ以上を言うのはやめろ。それこそ罰当たりってなもんよ」
セプティマス爺さまの低い叱責に、じめりとした恐怖の空気が薄らいだ。
「なんだ、コーディ、まだいたのかい。
お前さん、汗でびっしょりじゃねえか。もう春だってのにショールなんざ着込むからさ」
トーマスに言われてはじめて、つめたい汗で体がぐっしょりなのに気がついた。
「やめとけや、トミィ。コーディだって嫁入り前の娘っこだ。
“嫁入り前”という部分に妙に力の入った声に、トーマスも、セプティマス爺さままでもが、ふっと唇をゆがめた。
せせら笑わなかったのは父だけだ。おそるおそる顔をうかがう。
行き遅れの娘に、胸のうちではずいぶんいら立っているのだ。
「……コーディ」
ぼそりと名前を吐く声に、全身が硬くこわばった。
今日じゅうに、牧師さまにチーズを届けてこい。
それが父の言葉だった。
弁当に入った、初
――今日じゅうに、あのチーズ、家にもどって出してこい。牧師さまに届けてこい。
牧師さまには会いたくないが、父の言いつけに逆らうのはもっと怖ろしいことだった。
ふたたび集落を、こんどは東へよこぎって、言いつけをもらったことを母につたえた。
「またぐずぐずするんじゃないよ。早くすませといで」
何やらぶつぶつ言いながら、チーズをとって布に包んで、
この家から、教会のとなりにある牧師館へゆくまでは、
それはなるべく避けたかったが、埋葬地をよけてゆくと、完全に「ぐずぐずする」ことになる。
どのみち、牧師館と教会は、埋葬地のはす向かいにあるのだ。
ヨシュア、エリヤ、ヒゼキヤ王。
牧師さまのお顔をみるたびに、異教異端を
細面の白いお顔は石からけずり出されたようで、端正なお顔とも言えるだろうが、やせた頬、堅くとじた薄いくちびる、眉間の縦じわ、そしてきつねのようにするどい目は、コーデリアには畏敬というより恐怖のおもいを起こさせた。
自分がひどく汚らしいと、厳しいお目にさらされて
実際に、牧師さまは今日、コーデリアのおこないを厳しく
「あまりに俗な交流にうつつを抜かすのは良くないが、人との交わりを避けるのも
「村の者と、とりわけ同年の女性たちと関らない。それが君の評判だ。
会話も多いとはいえず、ご両親とすごす時をのぞいては、ほとんど一人でいるそうだな。
これでは君を嫁として迎え入れようという者も、なかなか出ないというものだ」
「無節操に良からぬ者と接することが堕落を招くように、いたずらに孤独にひたることもまた、悪の誘惑を身に近づけることに通じる。
最初の人、アダムを創りたもうた時、主は言われた。『人が独りでいるのは良くない』と。そしてアダムの伴侶としてイヴを
「人類の始まりからの摂理にのっとり、人と健全な関係をもち、主に認められた伴侶を
荒れ野に生える
その苦しさはもうほとんど、体の上へまたがられて、首を
「あなた。コーデリアさんもお忙しいでしょうに」
「お話は、また別の日にしてさしあげた方がいいのじゃないかしら」
助け舟を口にだした、牧師さまの奥さまの目は、牧師さまの目におとらず、はげしくこちらを突き
牧師さまとさほど変わりのないほどに、背丈のたかい奥さまは、体の細さと首の長さもあいまって、蛇の鎌首を思わせた。
その目つき、蛇の怖ろしい目のように、じっとこちらを見据えている。
村の女性を見るときには、誰にもこんな目をむけるのだが、どういう訳か、コーデリアにはひときわきつく目ばたきもせず、するどい瞳で刺すのだった。
ものも言えず、ほとんど息がつまりそうになりながら、牧師館から立ち去った。
風も日差しも好きではないが、この時ばかりは外の大気が懐かしかった。
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