第二十話 ……ない。


 そんなこともあったけど、今度は天使さんから、


「やっと魔法まほう少女に変身できた」


 それはね、魔法少女の変身は二段階あるからなの。まず『セットアップ』で生まれたての天使さんになってから、『マジカルチェンジ』で魔法少女になるの。……なるほど。だから『マジカルチェンジ・セットアップ』というごえなのね。


 くるくると、マジカルステッキを回していた日々が頭の中を過って、なみだが出ちゃった。


「良かったね、瑞希みずきちゃん」

 と、この子が喜んでくれるの。


「うん!」


 だから今ね、白いキャップはお預けだけど、水着を着ている。それはそでなしシャツとブルマが合体したような紺一色こんいっしょくの水着。胸には上の名前と下の名前。それだけではなく何年何組まで書いた白くて大きなゼッケンがけられている。これがね、魔法少女のコスチューム。……なわけがなくて、はだかんぼのままプールに行っちゃうとね、「クラスの子がびっくりするよ」とか、「先生におこられるだけじゃすまないよ」って、この子が言うからなの。……でも、何でかな?


「ねえ君、瑞希ね、何もついてないの。お兄ちゃんみたいに、ええっと……あっ、そうそう、『ぞうさんのお鼻』ついてないんだよ」


「象さんのお鼻?」と、この子は復唱すると、ぷっと笑った。


「それはね、瑞希ちゃんが女の子だからだよ」


「だからね、はだかんぼじゃ駄目だめかな?」


「駄目だったら駄目! 何回言ったらわかるの? 瑞希ちゃんが走り回るから、水着を着せてあげるの大変だったんだよ。それからね、ぼくは『君』という名前じゃない」


 というわけで、この子はふくれ面になっちゃった。


 でも何か可愛かわいいの。それで、くすって笑っちゃったら、


「もう、僕よりお姉ちゃんなんだから、ちゃんとしてよ」


「はいはい」


「『はい』は一回!」


 と言われながらも、にっこりしたまま。我ながら『反省の色がまったくない』という言葉がピッタリ。パパにだって言われていたことなのに、全然なの。


 それからね、さっき一緒いっしょに見た白いプレートに、この子の上の名前と、下の名前まで書いてあった。油性マジックで大きな字……って、わたしもそうだけど、この学校にいるみんな同じなの。それに何年何組かも……あっ、とおどろき。一年生だったの。身長はわたしと同じくらい。それでね、そのプレートのおくには、


「かっこいいね、ヒロ君が作ったロボット」


「戦隊ものみたいでしょ。三つのマシーンが合体して、このロボットになるんだ。お家にね、要塞ようさい基地もあるから、今度、戦隊ごっこしようよ」


 という具合に、さっきまでのふくれ面が、また笑顔にもどっていた。


「うん、男の子と女の子の約束だね」


 もっともっとおしゃべりしたいことはあるけど、お腹ではなくて、胸いっぱいになっちゃって、この一言がやっとだったの。まだ会ったばかりなのに、この子のことを「宏史ひろし君」ではなくて、気がついたら「ヒロ君」と呼んでいた。


「じゃあ、今度は瑞希ちゃんの番だよ」


「うん!」


 きっとわたしは変わっている。周りの子はもっとそう思っている。はだかんぼで走り回ったらヒロ君が追いかけてきて水着を着せてくれた。キャップはまだ手に持ったままだけど、いだお洋服を水泳袋すいえいぶくろに入れてかたから下げて、周りの子と同じように展示を見ているの。「いつもはちがうんだよ」と言っても、ここにいるみんなは、いつものわたしを知らない。「こんな女の子は見たことがない」って、口をそろえて言うだろう。


 でもね、ここからはいつも通りなの。わたしの上と下、全部の名前が書いてある白いプレートの前に立って、その後ろを見たら、


「……ない」


 確かに昨日まではそこにあった。お空にかるにじのような七色のセーター。わたしが自由研究で編んだもの。そして今度の日曜日、お誕生日会でお兄ちゃんにプレゼントする大切なものなの。……あかねちゃんとあおいちゃんがめてくれたの。


「僕、探してみる」


 ヒロ君がそう言ってくれた。


 ……でも、探すと言っても、ヒロ君はそのセーターを知らない。それでも、


「ねえ、二年生の瑞希ちゃんのセーター知らない?」

 と、この体育館中にいるみんなにいて回ってくれたの。五人くらいだった児童が、いつの間にか十人くらいに増えたけれども、


「知らない」

 と、どの子も、聞こえてくるのは同じ返事だった。


 真夏のこわいお話にも似ているような、サーッと上から下へと冷たくなるようなものを感じて、ぺたんと……その場で女の子座りになった。そしてバタバタッという足音が、少しだけあら息遣いきづかいと混ざり合って、ヒロ君の声をも消しちゃった。その奥にかくれているチャイムの音が中途半端ちゅうとはんぱひびいて、ゆかを伝って、お腹の底を何度もげた。


 あの日、夏休みの終わりの日に、セーターを見て喜んでいたお兄ちゃんの優しい笑顔がかんで、大きな声がお腹の底からげてきて、思い切り泣いちゃった。


 するとね、また足音が聞こえた。段々と音が大きくなって、


「瑞希ちゃん!」

 と、足音に負けない大きな声で、わたしを呼ぶ声も聞こえたの。


「えっ?」

 と、びっくりしてくと、


「先生連れて来たよ」


 と、ヒロ君が、はあはあと息を切らしながら走って来たの。そして、わたしと同じような紺色こんいろの水着の上から、白いパーカーを着ている智美ともみ先生と手をつないでいた。


 智美先生は、いつもと変わらない優しい顔で、


「どうしたの? 瑞希さん」

 と、声をかけてくれたの。


 びっくりして、んだのも束の間で、またなみだこぼれてきて、


「瑞希のセーター、なくなっちゃった」


 さっきよりも大きな泣き声になっちゃったの。


「あっ、瑞希ちゃん、僕また探してあげるから」

 と、ヒロ君は言ってくれたけど、


「先生もね、一緒に探してあげるから、ねっ、泣き止んでプール行こっ」

 って、智美先生も言ってくれたけど、


「やだやだ! そんなのやだあ!」


 まるであの日、パパと一緒に玩具おもちゃ屋さんへ行った時のように、その場に寝転ねころがって手足までバタバタさせながら、マジカルステッキを買ってもらったみたいになっちゃった。



 

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