第二十一話 これって、パラレルワールド?


 二回目のチャイムが鳴り、中休みも終わって……


 智美ともみ先生は、わたしの手を引っ張って、プールサイドへ連れて行った。


 そこにはもう、クラスのみんなが集まっていた。男の子はみんなブルマ? みたいなこんのパンツをいていて、女の子もみんな紺のワンピースみたいな……というのか、とにかくわたしと同じものを着ている。白いキャップは男の子も女の子もみんな同じ。白いゼッケンに書いてある名前は一人ひとりちがうけど、まるでアニメの『量産型』とばれるリアルタイプのロボットみたいにかっこいいの。そんなクラスのみんながわたしを見て、


瑞希みずきさん、どうしたのかな?」


「あんなに泣いちゃって、何か可哀想かわいそう……」


「きっと先生に、ものすごくおこられたのね」


 ひそひそと、女の子のしゃべこえが聞こえた。


 ここに着くちょっと前、シャワーがなみだを流したけど、止まらずあふれてきて、何度も手でいているの。みんなにわかるくらいぐすぐすと、まだ泣いているの。


「じゃあ、あれだ。あいつ、さっき教室にいなかっただろ?」

 と、今度は男の子の声が聞こえて、


「うん」と女の子が返事。


「夏休みのプールの日、体育館で着替きがえてるとな、あいつが来ててな、あいつうれしそうにはだかで走り回って、多分あいつのお兄ちゃんだと思うけど、『こ~ら待て』って、まったく迫力はくりょくのない声で、水着を持って追いかけてたことがあったんだ」


「あっ、それ知ってる。じゃあ、こうだな。あいつまた裸で走り回って、とうとう先生に怒られて、水着を着せられたってとこだな」

 とまで言ったの。それでさらに女の子が、


「ええっ、女の子なのに? 信じられない」


「怒られて当然ね。ほんと幼稚ようち園児えんじみたい」


 という感じで、いずれもひそひそ話だけど、全部聞こえたの。おねしょした次の日もそうだったけど、ものすごい言われようで、「ちがう!」って言いたいけど、夏休みのプールのことは男の子が言った通りで、今日もはだかんぼで体育館を走り回っちゃったの。でも今はそれどころではなくて……って、そう思っていたら、


「先生から、みんなにお願いがあるの。今ね、体育館にみんなの自由研究を展示してるけど、瑞希さんのセーターがなくなったの。そのセーターはね、お父さんがお亡くなりになってから、いつも一緒いっしょにいて、元気にしてくれたお兄さんへプレゼントするために、瑞希さんが一生懸命いっしょうけんめい編んだ大切なものなの。だからね、どんな小さなことでもいいの。もし知ってることがあったり、思い出したりしたら、先生に言ってほしいの」


 前後左右きっちり並んでいるみんなを前にして、そう智美先生が言ってくれたの。そのとなりにわたしがいて、みんな元気よく、


「は~い!」

 って、返事してくれた。


 すると、わたしと向かい合わせの女の子が、


「瑞希さん、もう泣かないで」

 で、その横にいる女の子も、


「そうよ、元気出そっ、わたしたちもセーター探してあげるから」


「うん、ありがとっ」


 さらに男の子まで、


「瑞希、昨日は笑ったりしてごめんな」


「えっ、何のこと?」


「お前なあ、泣いて教室飛び出したのに忘れたのか? おねしょのことだよ。うまく言えないけどよ、とにかく俺、お前のこと見なおしたんだ」


 う~んとね、やっぱり何のこっちゃ。


 それから、もう一人の男の子も、


「まあ、そういうこと。せっかく晴れてプール中止にならなかったんだから、思いっ切り楽しもうよ。良かったら、その後のおにごっこもつきあってあげるから」


「う、うん……」


 この子たちは、さっきまでひそひそと、わたしのことを話していたの。それは多分、わたしの悪口なの。ちらっと見上げたら、智美先生はにっこり笑っていて、


「瑞希さん、いっぱいお友達できたね」


「えっ?」


大丈夫だいじょうぶ。きっとセーター見つかるからね」


「うん!」


 まだ涙でれたままだけど、このお空みたいに元気になれた。


 準備体操が終わって、ぽんぽん背中をたたかれ、いたら、


「はいビート板」


 と、向日葵ひまわりの花のように、笑顔満開えがおまんかい聡子さとこさんに持たされて、


「それから少し後ろね」

 って、両肩りょうかたを持って、どんどんしていくの。


「じゃあね、瑞希さん」

 って、どん! と勢いよく、聡子さんが押した時には、わたしの両足はプールサイドのすみっこ、つまりプールのそばにいて、「えっ?」と、びっくりしながらも、心のどこかでは『お約束通り』に、そのまま水の中へ落っこちちゃった。


 プールの水はお風呂ふろと違って、入浴剤にゅうよくざいを使わないからんでいるの。とっても明るくて気持ちいい。まるでお魚さんになったみたい。それでね、


「……たい焼き食べたい」

 って、声が聞こえたの。


 その声は、どうも外からではなくて内側からひびいて、ザバッと水面から顔を出したような感じではなくて、ガバッと起きたような感じで、お目目ぱっちり開けたら、


「やだ、瑞希さんたら」

 って、聡子さんが笑うの。


 えっ、えっ? と、きょろきょろしていたら、ここにいるみんなが笑って、黒板の前にいる智美先生まで笑っちゃったの。


 あれれ? みんな水着ではなくてお洋服を着ている。机の上には教科書もだけどノートまで開いて、まるでここ教室みたいで……って、ううん、やっぱり教室。


 それにもう……やだ、お勉強の時間じゃない!


 ちらっと聡子さんを見ると、


「だって瑞希さん、給食を食べ終わると、すぐ寝ちゃうんだもん。お勉強の時間が始まるから起こそうとしたのよ。でも、『……たい焼き食べたい』って言うだけで、ぜんぜん起きないんだもん」


 と、隣の席から……というか、聡子さんはわたしの隣の席に座っている子で、さっきまで夢を見ていたみたいで、少し溜息ためいきが出ちゃった。さらにね、


「瑞希さん、たい焼きは少しお預けね」

 と、智美先生が言った。


 それで、やっぱり怒られちゃうと思っていたら、


「元気出して。他の先生たちも瑞希さんのセーター探してくれてるから、国語の教科書を出して、六十七ページの三行目から、大きな声で読んでみようね」


「うん!」


 夢ではなかったの。


 わたしが自由研究で編んだセーターはなくなっていた。中休みにヒロ君と出会えたことも、その後のプールでの出来事も、みんな本当にあったことなの。そう思うと、とってもうれしくなって、わたしは教科書を出して、席を立って読もうとしたら、


「瑞希さん、教科書さかさまよ」


 と、聡子さんのツッコミもお約束みたいだけど、わたしは別にボケをねらっていたわけではなく、ウケを狙っていたわけでもなくて、ちょっと顔が熱くなった。


 さらに智美先生が、


「瑞希さん、面白い」


 と、笑っちゃって、その一声で、また他の子まで笑っちゃって……まあ、気を取り直して『二年一組は笑いの絶えない明るいクラス』と、他のクラスの先生や児童から高い評価を受けることだろう。それに貢献こうけんできたのだと思い、わたしは元気よく大きな声で、持ち直した教科書を読む。……でも何か、みんな不思議そうな顔をしてわたしを見るの。それに智美先生まで、ちょっと困ったような顔をして、


「あ、あの瑞希さん? ゆっくりで大丈夫だから」


「あっ、ごめんなさい」


 そうなの。張り切りすぎて、黙読もくどくと同じペースで読んじゃった。


 前にね、パパが言っていたの。


「瑞希は本を読むのが速いから、手を上げて先生に当てられた時は、ゆっくりと大きな声で、みんながわかるように読むんだぞ」って。


 そんなこともあったけど、今日のお勉強の時間が終わった。


 わたしは黄色い帽子ぼうしかぶってランドセルを背負って教室を出た。ここは旧校舎で、二階から階段を下りて一階へ。男子トイレ女子トイレの順に廊下ろうかを歩けば、養護学級の教室があるの。その手前を曲がって少し歩いたら外に出られて、にわとりさんの小屋があるの。もう少しだけ、この白いコンクリートの廊下ろうかを歩くと体育館に行けるけど、通り過ぎる児童たちのしゃべり声が聞こえる中、わたしはそこで立ち止まった。


 なくなったセーターと、お兄ちゃんの顔がよぎるけど、


『瑞希ちゃん、仲直りしないとね』


『あの子もお誕生日会にさそおうよ。きっと楽しいよ』


 と、その声たちも頭の中を過るの。いたらそこに、あかねちゃんとあおいちゃんがいるように思えて……。今日は聡子さんに「おはよう」も「さようなら」または「ばいばい」も言えてなかったの。それどころか、となりの席なのに何も話しかけようとはしなかった。


 教室に水泳すいえいぶくろを忘れたのもあったけど、


 ほんとごめんね。という気持ちがお腹の底からしてきて、


 聡子さん、まだ教室にいるかな?


 そんな思いが頭の中いっぱいに広がって、わたしはかえって、来た道をもどる。そして重かった足も軽くなってあしで、……次に足を止めた時、両手でガラッと音をひびかせながら、教室のドアを開けていた。


 まだ女の子が一人残っていた。わたしはドアに近い一番前の席にランドセルと、その上に帽子を置いてから近づいて行った。わたしの隣の席に、その女の子はいた。


「み、瑞希さん」


 わたしを見ながら、その女の子の手が止まった。


「聡子さん、どうして?」


 と、その女の子の名前を言うわたしの声と、針を刻んでいく時計の音が、はっきりひびくくらいに、教室は静かだった。


「ち、ちがうの……」


 聡子さんの両手には、わたしが編んだあの七色のセーターがしっかりにぎられていて、それを自分のランドセルに入れようとしている。……どう見てもそうなの。


「どう違うの? それ、瑞希のセーターじゃない!」


 それに、そのセーターは体育館でなくなったものだ。そのセーターをぎゅっときしめながら、まゆが下って目を細めて、聡子さんは今にも泣きそうな顔になった。


 でも、わたしは、


「返してよ!」

 と、怒鳴どなった。すると、聡子さんの表情が険しくなって、


「こんなもの!」

 と、セーターをゆかに叩きつけて「こんなものこんなもの」と、ぐりぐりみつけた。


 ぱちーん!


 と、その音だけではなく、大きな物音まで、この教室に響いた。


 わたしは、聡子さんのほっぺたを思いっ切りたたいていた。その勢いで、聡子さんは後ろの机にぶつかっていて、床に尻餅しりもちを着いていた。


「何するのよ!」


 と、聡子さんは涙目でわたしをにらんだ。叩かれた左のほっぺたを押さえていた。わたしは、そんな聡子さんをじっと見ることなく、ガバッとセーターを拾い上げた。


「ひどいよ……」


 セーターはよごれて、何ヶ所だろう? 切れてほつれていた。わたしはぺたんと床に、女の子座りになって、ぎゅっとセーターを抱きしめて、ぐすぐす泣いた。


「瑞希さんが、悪いんだから……」

 と、泣き声で聡子さんが言った。わたしはキッと睨んだ。


「何が悪いの? 瑞希ね、聡子さんと仲直りして、お兄ちゃんのお誕生日会に誘ってあげようと思ってたんだよ。……ねえ、何でなの?」


「大っきらいだからよ! 一緒に遊んであげようとしたらすぐ泣くし、自分から何もしないあまえたさんで、その上わがままなくせに、いつもいつも先生に『いい子いい子』してもらってて、わたしの気持ちなんか何もわかってないじゃないの」


「瑞希だって大っ嫌いだよ! 聡子さんこそ何もわかってないじゃない。いつも瑞希に意地悪ばっかりして。瑞希がね、どんな気持ちでこのセーター編んだと思ってるの?」


「もう、鬱陶うっとうしい!」


 今度は聡子さんが、わたしをばした。またこの教室に大きな物音が響いた。


「何するの!」「何するのよ!」

 で、繰り返される大きな音。ぶつかって机が動く音。椅子いすたおれる音。叩く叩かれるだけではなくり蹴られて、かみられて、痛いから泣き声まで混ざっちゃって、


「やめなさい!」

 と、その大きな声も……えっ?


 取っ組み合いの喧嘩けんかにまでなって、わたしが聡子さんの上に馬乗りになって、左右のほっぺたを叩いていたところに、いつもと違ってこわい顔をしている智美先生が、すぐ近くにいたの。それで、目の前に立たされて、聡子さんはグスグス泣いちゃって、わたしはふくれ面のまま、顔をらしていた。


「瑞希さん、ちゃんと先生の顔を見なさい」


 見たら、智美先生の顔が、まるでママがおこった時みたいにこわくて、


「どうして喧嘩したの?」


「聡子さんが、瑞希のセーターを滅茶苦茶めちゃくちゃにしたの……」


 智美先生の顔が怖かったのもあったけど……わたしも、ぐすっと泣き出した。


「聡子さん、どうしてそんなことをしたの?」


「瑞希さんが、『お兄ちゃんお兄ちゃん』って、自慢じまんばっかりするからよ」


 泣いちゃったけど、それ以上に、わたしはまた怒った。


「瑞希ね、お兄ちゃん大好きなんだよ! このセーターはね、瑞希がお兄ちゃんのために心を込めて編んだ大切なものなんだよ!」


「だから、自慢するなって言ってるじゃないの!」


 キーッとなって、わたしはまた聡子さんのほっぺたを叩いた。


「瑞希さん、いい加減にしなさい!」

 と、智美先生が怒鳴どなった。


 何で怒られるの?


「瑞希ね、悪くないんだよ……」


 悲しくて、ぎゅっと汚れて解れたセーターを抱きしめて、


「智美先生なんて大っ嫌いだ!」


 大きな声で、泣きながら教室を飛び出した。



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