第十六話 もう二学期なの。


 心地よい風が流れて、鈴虫すずむしが鳴いていた。


 それはそれはとても優しくて、子守歌みたいだったの。


 夏が終わり、秋へと変わる夜、すやすやねむれた。


 でもね、あさになると、


「お兄ちゃん、ごめんね……」


「気にするなって」


 まだ夏休みが続いているような青空の下。せみ時雨しぐれさかんな中を、手をつないで、わたしはぐすぐす泣きながら歩いていた。通りかかる人たち、周りにいる子と同じように、お兄ちゃんもきょろきょろしながら、


瑞希みずき、そろそろ学校だから元気だそうな」


「う、うん……」


 とはいっても、まだ返事も泣き声だった。


 いつの間にか正門をくぐっていて、気がつけば、そこは中庭。向日葵ひまわりさんたちは、今日も元気にいている。でも、もっと元気な足音が近づいてきた。


みつる君、おはよう」


「あっ、智美ともみ先生、おはようございます」


 という具合に、元気な声も聞こえて……と、思っていたら、


「瑞希さん」と。目の前には、その智美先生の顔があったの。


「おはよう。どうして泣いてるのかな?」


 わたしは手でなみだきながら、


「ママにおこられちゃったの……」


「お寝坊ねぼうしたのかな?」


「ちゃんと起きたよ。でもね、お兄ちゃんも怒られたの。瑞希のせいなの……」


「瑞希、そうじゃないだろ」

 と、お兄ちゃんが口をはさんだから、「ぐすぐす」が「えっ、えっ」になっちゃって、


「ううん、瑞希が悪いの」


ちがうだろ、ぼく一緒いっしょに行ってあげなかったから」


 それで、「えっ、えっ?」と、


「どういうことなの?」

 と、さっきまでにっこりだった智美先生が、困った顔になっちゃったから、


「あのね……」


 とってもずかしいけど、


「おねしょしちゃったの。お兄ちゃんと同じお布団ふとんなのに……」


「ごめんな。瑞希が夜中『おしっこ』って言ってたのに、どうしようもなく眠たくて、トイレに一緒に行ってあげなかったからなんだ。だからな、瑞希は悪くないんだよ」


 と、お兄ちゃんは言ったけど、そんなこと言ったっけ? って感じなの。……あっ、でもね、夢の中で「おしっこ」って言っちゃった気がする。それでね、そのままおしっこしっちゃった……みたいなの。という具合に記憶きおくの糸を辿たどっていたら、


「あなたたち、本当に仲いいのね」

 と、智美先生が、くすくす笑っちゃって、


「瑞希さん大丈夫だいじょうぶよ。ママ怒ってないから」


「ほんと? お兄ちゃんのことも?」


「もちろん。今ごろママは学校で『うちの息子とむすめはとっても仲がいいのよ』って、他の先生たちにも自慢じまんしてるんじゃないかな。昨日ね、ママが来られて、瑞希さんが自由研究で編んだセーターを見られてたの。とても綺麗きれいだってめてたのよ」


 まだなみだれたままだけど、さわやかな風が何処どこか遠くへ飛ばしてくれるみたいで、


「それね、お兄ちゃんの誕生日にプレゼントするんだよ」


「まあ、素敵すてきなプレゼントね」


「えへっ」


 もうすっかり笑顔だ。


「それからね、お兄ちゃんの読書感想文、とても良かったって校長先生が褒めててね、今度の『読書感想文コンクール』で発表することになったの」


「どくしょ……こんくうる?」


「夏休みの宿題に読書感想文があったでしょ?」


「う、うん。瑞希はまだだけど……」


「あっ、そうか。三年生になってからだったね。それでね、三年生から六年生までの読書感想文の中から各学年から一人ずつえらばれて、みんなの前で読書感想文を読むの。それにお兄ちゃんが選ばれたのよ」


 読書感想文って、とっても楽しそう。


 でも、それよりも、もっとうれしくて、


「お兄ちゃん、すごいね」


「いや、すごいのは瑞希だよ」


「どうして?」


「僕はただ、瑞希が言った通りに、原稿げんこう用紙に書いただけだよ」


 するとね、智美先生が、またくすっと笑って、


「瑞希さん、お兄ちゃんが大好きだから手伝ってあげたのよね」


「うん!」


「満君、来年が楽しみだね」


「はい」


 お空には、まるで編んだセーターみたいなにじかっている。


 わたしには、そう見えたの。


 それはね、きっと魔法まほうの虹……


 わたしの編んだセーターは、他の子たちが夏休みの宿題で作ったものと一緒に、体育館に展示されている。この間テレビで見たホテルの式場みたいに、白くて長いテーブルが並んでいて、その上にかざられているの。それぞれの白いプレートには名字と名前が書いてあって、何年何組のどの子かわかるようになっていて……って、ちょっと、今ここにいる子たちが何年何組のどの子なのかわからないよお。と思っていたら、すぐ近くに知っている子がいたの。それでね、わたしの編んだセーターを見てくれているの。


 その子は女の子で、わたしと同じクラスの子で、わたしと席がとなりなの。


 わたしは、その子のことを、


聡子さとこさん」


 って、呼んでいるの。


 身長はわたしより高くてスマート。背中まである長いかみには、いつも赤いリボンがかざられていて、今日はフリルつきの白い半袖はんそでのブラウスに、サスペンダーつきの赤いスカートをいている。見た目は『おじょうさま』って感じなの。……でもね、目力が強いっていうのかな? ちょっとこわくて苦手なの。


「あっ、瑞希さん」


 それでもね、いてにっこり笑えば、とっても可愛い子なの。


「瑞希が編んだセーター、見てくれてたのね」


「うん、とっても素敵。お母さんと一緒に編んだの?」

 って、普通ふつうにお話もできるの。


 それでね、わたしは「ママ」って呼ぶけど、聡子さんは「お母さん」って呼ぶみたいなの。同じ二年生だけど、何か、わたしよりお姉さんって感じがするの。


「ううん、瑞希が一人で編んだの」


「瑞希さん、すごいね」


「えへへ……」


 褒められて、とっても嬉しかった。


 するとね、お洋服と身長、それに顔までおそろいのツインテールとポニーテールの女の子が……って、いったら、わたしと同じ二年生みたいだから、お姉ちゃん? う~んと、何か変。この場合は……あっ、上級生が、わたしと聡子さんの間にんできて、


「あっ、本当だ。まるで虹みたい」


「ねっ、素敵でしょ」


「でも、……希? って子が一人で編んだのかな?」


「そうねえ、これを二年生の子が一人で編むのって、やっぱり難しいよねえ。きっとお母さんに手伝ってもらったのよ」

 とか言っているの。


 やっぱりそう思うのかな? と、ちょっと悲しくなっていたら、


ちがうよ!」

 と、大きな声が、この体育館にこだました。


 さっきまで聞こえていたざわめきも消えちゃって、ぐいっと右手をげられて、


「この子が一人で編んだの」


「えっ?」


 びっくりした。


 でも、びっくりしたのはわたしだけではなくて、上級生……やっぱりかたいからお姉ちゃんたち。それに、えっ、なになに? 二人、三人単位で散らばっている他の子たちまで集まってきて、じっとわたしを見ているの。聡子さんは、うふふっと笑いながら、


「ねっ、瑞希さん」

 と、わたしと一緒に持ち上げていた手を下した。


「う、うん……」


 わたしは顔が熱くなって、目がうるむのを感じた。


 それでね、


「まあ、可愛かわいい」


「み、ず、き、ちゃんっていうのね」


 お姉ちゃんたちは、プレートの『みず』という字が読めなかったようで、やっとわたしの名前がわかったみたいなの。ちなみにそれ、わたしが油性マジックで書いたの。


 元気で大きな文字だけど、見事に丸っこい。……少しだけ溜息ためいきが出ちゃった。


「瑞希ちゃん、すごいね」


えらいね、一人で頑張がんばったんだね」


 えっ? と、またまたびっくり。


 お姉ちゃんたちだけではなくて、そこにいるお兄ちゃんたちにも褒められちゃったの。


「それだけじゃないのよ」


 聡子さんは、さらに続けて、


「この子ね、お兄ちゃんにプレゼントするために、このセーターを編んだんだって」

 とまで言っちゃったの。


「いい子だなあ、おれの妹と大違おおちがいだ」


「ほんと、持ち帰りたいよなあ」


 なんて聞こえてくるの。褒めてくれるのは嬉しいけど、わたしの大好きなお兄ちゃんはね、たった一人なの。……って、あれ?


「聡子さん、何で知ってるの?」


下駄箱げたばこから見えちゃったの。あさ、お兄ちゃんと一緒に中庭で、瑞希さん、智美先生とお話してたでしょ」


「う、うん」


 あっ、そうか。二年生の下駄箱は校舎の中になくて、一年生と同じで中庭に面した小屋みたいな場所だから……う~ん、確かに見えちゃうね。


 それに何だか、聡子さんの顔、にっこりというよりも、にんまりで、


「それでね、『瑞希ね、ママに怒られたの。お兄ちゃんと一緒のお布団だったのに、おねしょしちゃったの……』って、めそめそ泣いてたでしょ」

 って、はっきりと、声を大にして言っちゃったの。


 それも、わたしのものまねまでして……


 そばにいるお姉ちゃんたちだけではなくて、わたしのことを褒めてくれたお兄ちゃんたちも……ほとんどの子が聞いちゃって、わたしを見ながら笑ったの。もう、それって『見えちゃった』ではなくて『ちゃんと見て聞いちゃった』ってことじゃない。


「と、いうことで瑞希さん、る前は、ちゃんとお兄ちゃんか、ママと一緒にトイレへ連れてってもらうのよ」


 その言葉を残して、聡子さんは帰っちゃった。「あははは」って笑いながら。


 ……ひどい。聡子さんの意地悪。



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