第十七話 意地悪な子。


 ……本当にそうなの。給食の時間、わたしがトマトを残していたら、聡子さとこさんが「ちゃんと食べなきゃ駄目だめでしょ」と言って、無理やり口の中にんだの。


「こら、暴れないの」と、聡子さんは言うけど、きらいなものは嫌い。


「やだやだ」と、泣いても、


き嫌いしちゃ大きくなれないでしょ」と言って、やめてくれなかった。


 結局そのまま食べさせられて、お洋服もよごれて、大声で泣いちゃったの。


 その他にも、図工の時間は「うんち」と言って、粘土ねんどを頭の上に乗せられたし、休み時間が終わって席に着くと、ノートに落書きされていたこともあった。体育の時間、洗い場で水をかけられて、体操服だけではなくパンツまでびしょびしょになって泣いちゃったこともあったし、プールの時間では背中を押されて、そのまま水の中へ……


 という具合に、聡子さんの意地悪はまだまだあるの。


 ……でもね、こんなこともあったの。算数の時間だった。上の空で、苦手なお勉強だけどちがうの。もじもじしながら両手で押さえていたの。でも、まだ半分くらい時間が残っていて、とっても我慢がまんできそうになくて、ぐすぐす泣いちゃったの。


 そしたらね、


「どうしたの?」

 って、聡子さんが声をかけてきたの。


 いつもと違って、ちょっと優しいの。それで、ちょっと出そうになって、


「おしっこ」


「もれそうなの?」

 と、聡子さんが心配そうにくから、こくりとうなずいた。


「駄目でしょ、先生に言わなきゃ」

 と言って、聡子さんは「は~い」と手を上げた。


 チョークを持って黒板を前に立っていた智美ともみ先生が、戦隊ものの変身みたいに、コンマ何秒というくらいの速さでいて、


「聡子さん、どうしたの?」


瑞希みずきさん、おしっこもれそうなの!」


 と、いつもより大きな声で、はっきりと。これこそ『元気な小学生の見本』みたいな感じで、聡子さんが言った。められそうなところだけど、そんなことはなくて、椅子いすが動く音。それに足音。どれもさわがしくなった。


「何だ? おもらしか?」


「やだ、おまた押さえちゃって」


「ほんと幼稚園児ようちえんじみたい」

 という話し声から「くすくす」ではなくて「あははは」と、笑い声に変わった。


 そんな中で、ばん! と、机をたたく音がひびいた。


「笑っちゃ駄目でしょ!」

 と、聡子さんが怒鳴どなった。


 びっくりして、あっ、もれちゃった。……と思った。


 ピタッという表現が似合うように、騒がしかった教室が静かになって、みんなの視線が聡子さんに向いた。どの子も顔が固まっちゃって、智美先生が、


「今日の宿題よ。一問目、聡子さんがみんなに、どうして『笑っちゃ駄目』って怒ったのでしょう? 二問目、瑞希さんみたいにお勉強中、おしっこ我慢できなくなったら、みんなならどうしますか? この二つの答えを考えてみてね」

 と言って、にっこり笑った。


「は~い」

 と、みんな元気よく返事をした。


「じゃあ、聡子さん、瑞希さんと一緒いっしょにトイレ行ってあげてね。あなたも、トイレに行きたかったんでしょ?」


「うん……」


 あっ、ずる~い、わたしばっか……と思いかけたけど、


「やだ、もれちゃうよお」


 今それどころではなくて、本当に下まで泣きそうなの。


 その思いが伝わったのか、聡子さんは、


「そうだったね、瑞希さん、行こっ」


「うん」


 教室を一緒に出て、廊下ろうかを歩いた。


 とはいっても、トイレまですぐだけど、


「瑞希さん、大丈夫だいじょうぶ?」

 って、聡子さんが声をかけてくれるの。


 何だかとてもうれしくなって、その気持ちのままトイレの前まできた。


 おくの方からむ光の中、聡子さんがいて、


「み、瑞希さん?」

 って、びっくりしちゃったの。


 足元には大きな水溜みずたまりが……って、違うの。


「半ズボンに、パンツまでいじゃったの?」

 と、いうことなの。


「おしっこで、れちゃうから……」


 学校ではそうなの。……でもね、脱ぐのはいつも個室の中なの。今は脱いだ半ズボンとパンツをぎゅっときしめて、そうしていると、くすっと、聡子さんが笑って、


「とにかく、しよっ」


「うん」


 それぞれの個室に入った。


 しゃがんだらすぐで、ちょうどすっきりしたころ、このかべの向こうから、


「ねえ、瑞希さん」


「なあに?」


「学校のトイレって、和式だからしにくいよね」


「うん、そうなの」


「みんなには内緒なんだけど、二年生になるまでは、わたしもそうだったの。でもね、お母さんが教えてくれたの」


 いいなあ……って思った。


 ママはお仕事がいそがしいし、お兄ちゃんは男の子だから……


「瑞希さん、今度ね……」


「えっ?」


「下がはだかんぼにならなくていいように、教えてあげるね」


「うん、ありがとう」


 よく意地悪するのに……何でだろう? とっても優しかったの。


 そして気がつけば、この体育館に広がる笑い声は治まっていて、


「まあ、可愛かわいい」


「瑞希ちゃんなら、おねしょしたってオッケーよ」


 えっ? 抱っこされちゃった。


 お姉ちゃんたちは、少女漫画まんがのヒロインみたいに目を爛々らんらんかがやかせながら、ぬいぐるみさん……というよりも、今度おままごとをする時にほしいなあ、と思っている赤ちゃんのお人形さんと遊ぶように、


「お目目ぱっちり、かみサラサラ、ほっぺたぷにぷに」


「可愛いお手々、あはっ、笑ってる笑ってる」

 とか言いながら、色んな所をさわるから、くすぐったいの。


 そして男の子女の子と、色んな声が交わる中で、


「瑞希!」

 と、真っ直ぐな線をえがくように、わたしを呼ぶ声が聞こえた。


「お兄ちゃん!」

 と、その声に向かって、大きく手を振った。


 するとね、光の中のシルエットが、だんだん近づいてくるの。


 ポニーテールのお姉ちゃんが、


「瑞希ちゃんのお兄ちゃんって、みつる君なの?」


「うん、そうだよ」


「まあ素敵すてき。わたしね、満君とお友達なのよ」


 やっぱりお兄ちゃんには好きな女の子がいた。とっても嬉しかったの。でもね、やっぱり、瑞希のことだけを見てほしいの。……ぼんやりと、それでもはっきりと、泣いちゃいそうなくらい、そんな思いがふくらむ中で、ツインテールのお姉ちゃんが、


「わたしはね、満君と同じクラスなの。この子と同じで、わたしも満君とお友達……」

 と言って、ポニーテールのお姉ちゃんが、こくりと頷いてから続けて、


「それでね、瑞希ちゃんも、わたしたちの可愛いお友達だよ」

 と、満面な笑顔で言ったの。


 パパが言っていた通り、瑞希にもお友達ができた。嬉しさいっぱいだ。ちょうどそこにお兄ちゃんがいて、「やった、やった」という思いの中で、


「お兄ちゃん、お姉ちゃんたちね、瑞希が編んだセーターいっぱい褒めてくれたよ。それでね、いっぱい遊んでくれてね、瑞希とお友達になったんだよ」

 と言ったら、お兄ちゃんの笑顔がはずんで、


「良かったな、瑞希」


「うん!」


 そして、くしゃっと、わたしの髪をでてから、


「君たち、瑞希がお世話になったみたいで、本当にありがとう」

 と、お姉ちゃんたちに一礼した。くすっと、ツインテールのお姉ちゃんが笑って、


「やだ、満君、かたすぎよ」


「そうだよ、お兄ちゃん、硬すぎだよ」

 って、真似まねちゃったの。


「こ~ら、調子に乗るんじゃない」


いたっ」


 拳骨げんこつで、頭をたたかれちゃった。


 ポニーテールのお姉ちゃんが、


「満君、せっかく瑞希ちゃんが素敵なセーター編んでくれたんだから、わたしたちと一緒にお友達もさそってお誕生日会にしようよ。きっと楽しいよ」


「う~ん、そうだな……」


 お兄ちゃん、考えこんじゃった。


「ねえねえ、瑞希いい子にするからいいでしょ?」


 まるで欲しい玩具おもちゃ強請ねだるように、お兄ちゃんの体をすった。


「瑞希ちゃん、本当に可愛いね」


「そうだね」

 と、お姉ちゃんたちがくすくす笑う中で、


「じゃあ、甘えたさんの瑞希のために、お誕生日会するか」


「わあ、お兄ちゃん、ありがとう」


 わたしは嬉しくて、お兄ちゃんに抱きついた。



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