第四話 ここどこ?


 ポツ。ポツ……


 遠くから規則正しい音が聞こえる。


瑞希みずき……」


 あれ? ママの呼ぶ声が聞こえる。


「瑞希……」


 お兄ちゃんの呼ぶ声も聞こえたの。


 でもね、声が出ない。全部が……真っ白。ママもお兄ちゃんもいないの。


 お注射みたいなにおいがしたけど、すぐ消えちゃって、着ていたはずのパジャマがなくなっちゃって、はだかんぼなの。それにね、背中に白いつばさがついちゃった。何かかっこよくて、ふわふわ飛んでいるの。


 もしかして、ここ雲の上?


 と、いうことは、えへへ……瑞希ね、天使さんになっちゃった。


 すると、さらにその上から、


「ご臨終りんじゅうです……」


「そ、そんな……」


 知らないおじさんの声がおおかぶさり、またママの声が聞こえた。


 何でママ泣いているの?


 それに『ご臨終』って、どんな意味だったかな?


 う~んと……あっ、パパのご本で読んだことがある。天国に……ではなくて、お亡くなりになるという意味だ。えっ? お亡くなりに……ということは、


 瑞希、死んじゃうの?


 やだやだ! お家に帰りたいよお。


 パパと仲直りしたいの。

 ママのオムレツ食べたいの。


 それにね、絶対『みずきちゃん』見るんだから。


 毎週欠かさず見てるんだよ。


 ……あれ?


「瑞希、気がついたのね」


「ママ?」


「ごめんね。帰るのがおそくなって……」


 目の前に、ママがいる。


玄関げんかんのドアを開けたら瑞希がたおれてるので、びっくりしたぞ」


「お兄ちゃん?」


 それに、お兄ちゃんもいるの。


「えっ、何で?」


「おいおい、まだてなきゃ駄目だめだぞ」

 と、お兄ちゃんが言うけど、わたしは上体を起こした。


 ……ちゃんとパジャマ着ている。


 背中の白い翼……なくなっちゃった。


 そんなことを思っていると、ママが、


みつるね、立派だったよ。ママがいなくても瑞希のために救急車を呼んでくれたの」


 とっても優しい声で、そう言ったの。


「あ、ありがとう、お兄ちゃん」


「ま、まあな……」


 お兄ちゃんの顔が、少し赤くなった。


 ……ここは、お家ではないの。かべは真っ白でベッドの上。それに、難しそうな機械まで置いてあるの。う~ん、これは戦隊ものとかでよくあるパターンだ。悪の組織から攻撃こうげきされて瀕死ひんしの重傷を負った主人公が、秘密の研究所で改造手術を受けるの。それでね、世界の平和を守るために立ち上がって……って、でも、やっぱり魔法まほう少女がいい。


 そして、ドアが開いた。


 わくわくしたよ。これからパートナーになる魔法まほうの天使さんが、あのみずきちゃんでさえも見たことのないその姿を現して、わたしに会いにきてくれたと思ったの。


 ……でも、


「瑞希ちゃん、もう起きたんだね」

 と、声をかけながら、入ってきたのは知らないおじさんだった。


 それに、わたしの名前も知っている。


 それから白衣まで着ているの。……あっ、白衣といえばママもお仕事で着ている。同じ数学の先生かな? ではなくて、この場合、ここは研究所だから、この人は、


「博士さん、こんにちは」

 と元気よく、わたしはご挨拶あいさつした。すると、ぷっとお兄ちゃんが笑ったの。


「何で笑うの?」


「だって、ここ病院で……」


ちがうもん。ママと同じ白衣を着てるんだよ。研究所の博士さんだよ」


「あのなあ、お医者さんだって白衣を着て……」と、お兄ちゃんは言いかけたけど、急に真面目な顔をして、「そうか。そうだったんだ」と、うんうんうなずいた。


「お兄ちゃん?」


「瑞希、悲しむことはないぞ。お前が改造人間になっても、お兄ちゃんは味方だからな」


 ……泣けちゃった。


 でもね、正義のためなら、


「ありがとう、お兄ちゃん。瑞希ね、きっと魔法少女みたいに可愛かわいく変身して、悪の組織から世界の平和を守ってみせるよ」


「立派だぞ、我が妹よ。ともに戦おう!」


「おお!」


 お兄ちゃんと二人、戦士のちかいを胸に、にぎった右手を力強く上げた。


 すると、ママがね、


「満、冗談じょうだんもほどほどにしなさいね。『ここは病院、この人はお医者さん』って、ちゃんと教えてあげなきゃ駄目でしょ。また瑞希が本当のことだと思うじゃない」

 と、お兄ちゃんをしかったの。


「まあまあ、いいじゃないですか。子供は夢をみるものですから」


「そうだよね、おじさん」


 わたしは、ちゃんと『おじさん』って呼んだ。『おじちゃん』ではないの。


 それでもね、


「瑞希、『おじさん』じゃなくて『先生』でしょ」

 って、叱られちゃったの。おこったママの顔がこわくて泣きそうになったの。すると大きなうでが、そっとわたしの背中をおおって、


「気にしなくていいんだよ。ぼくはね、瑞希ちゃんが『先生』って呼んでくれるよりも『おじさん』って呼んでくれる方がうれしいな」


 そう、おじさんが言ってくれたの。


「そうなの?」


「そうだよ。瑞希ちゃんは改造人間にならなくてもね、とっても強い子なんだよ。お熱が四十度以上もある大変な病気だったのに、見事それに勝ったんだから」


 そうはいっても、わたしは何の病気だったのだろう?


 それよりも、


「お家に帰りたい……」


「そうだね。本当は『もう大丈夫だいじょうぶ』と言ってあげたいけど、またお熱が出てママに心配かけちゃいけないから、今日はまだここでおまりしようね」


 今日はまだ?


 じゃあ、いつからここにいたの?


 ……でも、まあ、いいか。


「うん!」


「瑞希ちゃん、本当にいい子だね」


 えへへ……められちゃった。おじさんが頭なでなでしてくれるの。


 でもママは、ぼんやりしているみたいで、


「ねえ、ママ」

 と声をかけても、反応がなかった。


 だからもう一度、大きな声で、


「ママ!」


「えっ、どうしたの?」


 ママ、びっくりしちゃった。


「パパ、今日もお仕事忙いそがしいの?」

 と、訊いたら、


「そ、そうね。今日も忙しいって、言ってたね……」


 そう言って、うつむいちゃったの。


 するとガサゴソ、ナイロン袋を開けるような音がして、


「パパが瑞希に、って……」


 そう言って、お兄ちゃんがベッドの上に……つまり、わたしの目の前に置いたものは、


「わあ、ぬいぐるみさんだ」


 それもっこできるくらい大きいの。


 七さいのお誕生日をむかえた日、その日は日曜日で、パパとデパートでお買い物したの。それからキャラクターショーを見て、そのあと玩具おもちゃ屋さんに寄ったの。ショーケースの中にね、このぬいぐるみさんがいた。小さいものと大きいものが横に並んで、まるでパンダさんの親子みたいで、今みたいに「わあ」と、声まで出ちゃって、


「瑞希、欲しいんだろ?」

 と、パパがいたの。


 でも、わたしは、


「……いいの。さっきキャラクターショーで『みずきちゃんの日記帳』買ってもらったから。すごいんだよ。初回限定版のポスター付きで、DVDまで付いてるんだよ」

 と言って、パパと手をつないだ。


「良かったな、瑞希」

 と、パパはにっこり笑って、


「帰ったら、日記帳に名前書こうな」


「うん!」


 でも本当はね、欲しかったの。


 それでね、


「良かったね、瑞希……」

 って、ママが言ってくれたの。


 とってもうれしくて、


「うん! お家に帰ったら、パパにマフラーをプレゼントするね」


 ……嬉しかったはずなの。でも、ママの目にいっぱいあふれていたなみだこぼれちゃって、お兄ちゃんまで手で涙を拭いているの……


 ぎゅっとぬいぐるみさんをきしめていると、ドアの音が聞こえたの。


「パパ?」


 そう思った。


 そう思って顔を向けた。……でも、いなかった。



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