第五話 (二〇一六年の春) 玉手箱を開けた遠い未来のあなたは。
今日は土曜日で、学校はお休み。
灰色に広がる空は、どことなく
風は、ひんやりしている。
風も、人と同じで表情を変えるのだなあ……
そう思いながら、わたしは歩いていた。
聞こえる音も様々だ。歩行者と自転車が行き来する中を車が走る。ここは橋の上で、そこから見下ろせば、大きな川が流れている。この橋を
ここに来れば、いつも安心に似た気持ちになる。
……ではなくて、「ここに帰ってきた」だった。
それは当たり前のことのように思うけど、不思議なことのようにも思えた。でも、それが不思議なことなら、それ以上に不思議なことが起きている。
わたしは、さっきまで病院にいた。
その何か月か前は「おめでたです」と言われた。
そんなことを思いながら、四
「もうこの子ったら。電話くれたら、車で病院まで
と、いきなり言われた。
「ごめんね、ママ。ちょっと風に当たりたかったの」
「『お母さん』でしょ。あなた一人の体じゃないのよ、わかってるの?」
「えへへ……」
この
その重さを感じながら玄関からすぐの部屋に入ると、病院に行く前と同じ……でも、その中でも存在感の大きなものがあった。それは木製机の上に置いてある一冊の日記帳。今でも大好きな、天使みたいに
それに、表紙を飾っているアニメキャラクターも『みずき』という名前で、今でも印象に残っている。この子もこのアニメが大好きで、毎週欠かさず見ていたそうだ。
……実は、この子には悪いと思ったけど、これも何かの
瑞希という名前は男の子にも使われるけど、この子は女の子。七
ということは、この子って、小学一年生にして自分の名前を漢字で書けたっていうことなの? 字のうまいへたは別として、何というか、どう見ても大人が書いたものではないように思える。大きくて丸っこい文字が印象に残った。
それから、この日記帳は
「は~い」
わたしは玄関のドアを開けた。そこには、歳を知らなければ二十代半ばにも見える
今日、この人と約束していた。
「お
「いいえ、こちらこそ。大変な時期に、ご無理を言って
この人は一礼すると、
「先生、子は宝ですよ。元気な赤ちゃん、生んで下さいね」
「リンダさん、お
わたしは、この人のことを「リンダさん」と呼んでいる。リンダさんは、わたしのことを「先生」と呼んでいて、今ではもう知り合いから友人の関係にまでなっていた。
わたしも一礼して、顔をあげると、
「今日は
と、笑いを
リンダさんの後ろに
「えっ、ええ。この子がどうしてもついて行くって言うものですから……」
と、表情を見ずにその言葉だけ聞くと、少し困っているような感じに思うけど、リンダさんの表情には、ほんのり笑みが
「
そう。リンダさんも、昔は「先生」と
と、その前に、
「ねっ、海里さん」
「うん!」
わたしは、この女の子のことを「海里さん」と呼んでいる。
そしてリンダさんと海里さんが横に並ぶと、身長は、う~ん、五センチくらい、まだ海里さんが低いかな? それに、こう見えてもリンダさんは海里さんのママ。何と四十六歳だ。小柄といっても、身長はわたしと同じくらい……ということは、三人とも小柄だ。
それからは、いつものように海里さんとのユーモア
予想外の展開で、
「どうしたの?」
と、
「……高等部に進学が決まって、これからもみんなと一緒にいられるのに、先生は春休みから産休でしょ。そのあと
今にも泣きそうな声で……と、思っていたら、あらら、本当に泣いちゃった。
この子の言う通りで、わたしは結婚を待たずに
だからこそ、目の前にいるこの子の
「海里さん、わたしは学校に帰って来るよ。あなたたちが卒業の日を迎えて、この学校から巣立っていっても、わたしはずっと、あなたたちの先生だからね」
まず思ったこと。
……でも、ママが言っていた。
「先生は生徒たちの未来を預かる責任職だ」と。そして今、目の前にいるこの子は初めて受け持ったクラスの大切な生徒。……わたしは、まだまだ半人前だ。
海里さんが目を丸くして、
「本当?」
「もちろん」
にっこりと、わたしは笑顔に努めた。
「先生、ありがとう!」
海里さんの表情が、パッと明るくなって、
「良かったね、海里」
リンダさんの表情にも、笑みが
「うん!」
玄関から見える空の色とは対照的に、海里さんの
今は、まだその真ん中にいる。
風もまた、過去から未来へ流れているのだと思った。
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