第六話 事の始まり。


 六月といえば、もう去年になるのか……


 遠くアメリカの地から、この学園に数学の先生が来られた。その人の子供である中学生の女の子と男の子も一緒いっしょだった。その女の子が海里かいりさんで、えんあって、わたしのクラスに入ってきた。話を聞くと、アメリカ生まれのアメリカ育ち。日本の学校生活どころか、日本の生活そのものが初めてと言っていた。言葉のかべや慣れない生活でなやまされないかと心配していたけど、それどころか、いつも冗談じょうだんを言って、みんなを楽しませているクラスのムードメーカー的存在になっていた。それから、その人のおくさんがリンダさん。お父さんが日本人でお母さんがアメリカ人のハーフ。何と、わたしの大好きな『また家族と一緒に』という小説の著者・朝倉あさくら希海のぞみだった。二十年前に小説家から身を引いていたけど、あるきっかけがあって、「この子たちのために、また小説を書きたい」と、決意した。


 その決意の名のもとに、リンダさんは、わたしを訪ねて来られた。


 その内容は次の通りで、リンダさんが質問してわたしが答えるというものだった。



「おいそがしいところ、お時間をいただきまして、本当に有難ありがと御座ございます。先程さきほどお話しました通り、いくつか質問させて頂きますので、どうぞよろしくお願いいたします」


「は、はい」


ずはそうですね。先生のご氏名は存じておりますので、生年月日から質問させて頂きます。できればおとしも一緒にお願いします」


「一九九〇年三月十六日生まれ。二十五さい


「日本では早生はやうまれなのですね。わたしも一月でそうですし、むすめは四月でも一日ですから早生れなのですよ。息子は一日の差で学年がちがいますけど」


「確か、アメリカでは同じ学年でしたね」


「そうですね。アメリカでは九月が新学期でしたので。……あっ、それから血液型もお願いしますね」


「O型です」


「まあ、主人と同じ血液型なのですね」


「はい。職場では色々お世話になっております」


「そしてご職業は先生。お勤め先は主人と同じ私立大和やまと中学・高等学園ということで質問するまでもないですね。それで……っと、ご趣味しゅみはやはりバイクでしょうか?」


「あっ、それはちょっと違うのです。どちらかといえば、特撮とくさつヒーローが大好きで、それを真似まねて乗っていました」


「では、その特撮ヒーローが大好きなのと同じくらいに長く続けていたこと。または今も続けていることは何でしょうか?」


「ええっと、そうですね。……やっぱり日記ですね」


「いつごろからつづられていました?」


「小学生からだと思いますが、そのころの日記が残っていないので……あっ、でも、不思議と中学生からの日記は残っていまして……でも、もちろん今も綴り続けています」


「うふふ……大丈夫だいじょうぶですよ。わたしも似たようなことがありましたから。それで娘から聞いたのですが、編み物をされるのですね」


「意外でした?」


「いいえ、思った通りでしたよ。実は、娘と息子の誕生日に手提鞄てさげかばんをプレゼントしようと思って編んでいるのですが、どうも難しくて……。今度、先生に教えてもらえたらと思いまして」


「もしよろしければ、お手伝いしますよ」


「ありがとうございます。お言葉にあまえさせて頂きますね。……あっ、それではお時間もあまりないようですし、次の質問に移りますね」


「あっ、はい」


「先生のご家族について教えて下さい。大体だいたいは知っているつもりですが、できればくわしくお願いしますね」


「母は現在六十一歳で誕生日が五月三日。血液型はA型。私立大和中学・高等学園の教頭先生でしたが、去年の三月で離職りしょくしました。兄は現在二十八歳で誕生日が九月八日。血液型は母と同じくA型で、山越仲良座やまごえなかよしざという劇団で団長を務めています。六年前にわたしの中学時代からの友人と結婚けっこんして、今、六歳の女の子がいます」


「先生は、お母さんと二人ふたりらしでしたね」


「はい」


「ご結婚されましたら、お家を出られるのでしょうか?」


「ええ。家を出て、あの人とご両親も一緒いっしょに暮らすことになります。それで母も一緒にとお願いしたところ、こころよくご了承りょうしょうして下さいました」


「良かったですね。最高の親孝行だと思いますよ」


「あっ、でも、このことはリンダさんから習ったことですよ。『また家族と一緒に』を読んで、主人公はきっとこうなりたかった。……と、思いましたので」


「そう言ってもらえると、とてもうれしいです。結果的にとは言え、先生のこれからの人生に、お役に立てましたから……」


「結果的に……と言いますと?」


「実は、そこまで考えていませんでした。あの物語を書いた時、いいえ、先生たち演劇部の劇を鑑賞かんしょうするまで、思いもつかないことでした」


「……そうでしたか。でも、いずれにしても良かったです。リンダさんがアメリカへお帰りになさらず、日本でお母さんとおくらしになられるようになりましたって、海里さんが楽しそうにお話してくれましたから」


「あの子がそんなことを?」


「はい」


「……では、次の質問に移りますね」


「はい」


「先生のお父さんのことについてもお願いしますね」


「あっ、そうでしたね。パパ……じゃなくて、父は、市立天王てんのう中学校の国語科の先生でした。血液型はわたしと同じO型で、誕生日は七月三日。生きていましたら母と同じ六十一歳。それで、お腹の中にいるこの子に、もうすぐ会してあげられたと思います……」


「あっ、すみません。……訊いてはいけなかったみたいですね」


「いいえ。父もきっと、わたしと同じように喜んでいると思います。リンダさんがこれから書いていく小説を、楽しみにしていると思いますよ」


「ありがとうございます。そう言ってもらえると、とてもはげみになります。……これからも、よろしくお願いしますね、先生」


「ええ、喜んで」


「……あっ、それから、娘と相談しまして、これはやはり先生がお持ちになった方がいいと思いまして……」


「ええっと、中身は見られました?」


「はい、少し……。そのことで、合わせて先生にお願いしたいことがあるのですが、聞いてもらっても宜しいでしょうか?」



 リンダさんが、お願いしたこと。


 それはおどろきが混ざり合って、こころおどるものだった。


 そしてリンダさんが手渡てわたしたものは、……あの日、学校の中庭から出てきたもの。それも土の中にめられていて、海里さんが第一発見者。それがこの玉手箱だった。


 そんなことがあってから、今日で二回目をむかえる。リンダさんの強い希望で、玄関げんかんからすぐのこの部屋で行うことにした。ここがわたしの部屋だからだ。これから行われることに対して、木製机の上には、玉手箱から出した一冊目の日記帳を置いている。


 さあ、いよいよと思ったこの時、ふすまが開いて、


「リンダちゃん、いらっしゃい」


「先生、お邪魔じゃましています」


「まあ、今日は海里ちゃんも一緒なのね」


「おばちゃん、こんにちは」


「うふふ……今日はね、特製ケーキ作ってみたのよ」


「わあ、おいしそう」


「海里ちゃん、ぜひ食べてみてね」


「うん。おばちゃん、ありがとう」


 と、いうことがあって、今この木製机の上にはママの特製ケーキと、紅茶が入った三人分のマグカップも乗っている。それを、わたしたち三人は囲んでいた。


 海里さんは、ママのことを「おばちゃん」と呼ぶ。リンダさんは「先生」と呼ぶ。わたしのことも「先生」と呼んでいる。ややこしいと思われるけど、リンダさんにとってママは今でも先生で……と、思いながらも、わたしは呆気あっけにとられた。それはリンダさんも同じで、原因はこの子にあった。


 それで、わたしはおそおそる、


「海里さん、そんなに急いで食べなくてもケーキはげないよ」


「だって、とってもおいしいんだもん」


 ……とにかくすごい。

 すでに三個を完食かんしょくして、もう四個目だ。


 海里さんは、クリームを口の周りに残しながら、


「先生だって、たくさん食べてるもの」


 その通りで、わたしも同じく三個、見事に完食していた。


 それでも、大きなお皿の上にはケーキが残っていて……って、一体いくつあったのだろう? まるで大きなバースデーケーキを、まるまる使ったみたいだ。


「海里、先生はね、お腹の赤ちゃんの分も食べてるのよ」


 リンダさんは左手にケーキフォークを持ちながら、そう言った。この時、初めてリンダさんが左利きだということに気がついた。ちなみに海里さんは右利きだ。


「元気な赤ちゃん、生まれるといいね」


「海里さん、ありがとう」


 本当に、海里さんは不思議な子だ。


 でも、どう不思議なのかと訊かれたら、きっと説明に困るだろう。正直にいえば、まだまだわからないことばかりだ。それに、リンダさんと海里さんが目の前で横に並んで座っていると、本当によく似ている。う~ん、違いといえば……。


 リンダさんのひとみは青くて、かみ栗色くりいろ。一方、海里さんの髪は黒くて……と、思っていたら、あれ? よく見れば少し栗色? それに瞳も少し青い? でも、この二人には歳の差がある。もしリンダさんが、海里さんと同じ歳だったら、瓜二つに極めて近かったのではないかと想像できる。いくら親子でも、ここまで似ているのはめずらしいことだ。


 と、まあ、そんなことを思っているうちに、海里さんはケーキを食べ終えた。それで花より団子と思っていたけど、やっぱり女の子。口元をティシュでいている。


 海里さんはきょとんとして、


「どうしたの?」

 って、訊いてきた。


 どきっとして、わたしは思わず、


「海里さん、ママによく似てるのね」


「よく言われるの」


 海里さんはにっこり……というよりも、さっきとは百八十度も違うイメージで、優雅ゆうがという言葉が似合うように紅茶をすすった。それと合わせたような声で、


「先生、そろそろ始めましょうか?」


 そうリンダさんが言ったので、


「は~い!」

 と、わたしは笑顔で答えた。


 リンダさんがお願いしたことは、大まかに二つある。


 これから書いていく物語の主人公は、わたしをモデルにしたいということ。そのために週一回の割合で、この部屋でインタビューさせてほしいということ。それが一つ目。


 じゃあ、二つ目は?


 それは、この玉手箱にねむっている日記帳を一冊ずつ起こしながら、そこに綴られている様々なエピソードを、わたしの感じたままに語ってほしいというものだった。


 ……リンダさんが本当にモデルにしたいのは、もしかして、この日記帳に綴られた瑞希ちゃんなのだろうか? そして、わたしがこの子のことを語るのに、どのような意味があるのだろうか? 二つ目は、わたしの中でこの二つの疑問を浮かばせていた。


 ただ、クラスの中ではちょっとおチビちゃんで、おかっぱ……ではなくて、ボブの少しぽっちゃりした女の子が、頭の中でえがかれたこの子のイメージ。そして頭の中で描かれるこの子の様々な出来事を、この日記帳を通して、あるがまま語り始めた……



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