第5部 ワシントン・ラプソディ
第5部 ワシントン ラプソディ プロローグ
アメリカ合衆国、ニューヨーク市。
マンハッタン島の中でも、高層ビル群がひしめき合うミッドタウン。
その一画に位置するタワーマンションの最上階の部屋では、のんびりとした会話がやり取りされていた。
「ところでディーン? 夕方、スチュワートさんと話していた件ですけど……」
クリスマスから、何だかんだでディーンの自宅の一室に間借りすることとなった居候が、大窓いっぱいにキラキラと輝く摩天楼を背景にして、リビングのソファーで膝に置いたノートパソコンから、そろりと伺うように顔を上げて呼びかけてきた。
シャワー後で、頭から被ったタオルで金糸の髪を伝わる滴を振り払うように、ガシガシと拭いていたディーンの歩みが、その問いかけにピタリと止まる。
そして、「何の事だ」とでも言いたそうな怪訝そうな紫色の瞳に、蓮は意味深な笑みを向けた。
「ほら、イギリスの皇太子妃の御懐妊の発表の後で、生まれてくる子が男か女か、スチュワートさんと夕方に話していたでしょう?」
英国王室から、午後のビックニュースとして、リザベート妃の第4子の妊娠6カ月が発表された。
レテセント・リージェント・グループのウィーンのホテルが王室御用達に指定されていることもあり、グループから第1子誕生からプレゼントを贈っていたが、第4子ということもあり、さすの敏腕秘書も贈り物のネタが尽きたようだ。
片眉を不満そうに上げて「せめて性別でも分かれば、まだ手はあるんですが」と、珍しくぼやいていた。
「――あの件か」と、ようやく敏腕秘書との夕方のやりとりを思い出した男に、蓮はにっこりと花綻ぶ笑みを向けた。
「――男の子ですよ」
さらっと断定した黒髪の青年に、途端にディーンは訝しそうに眉をひそめる。
「なんで分かる?」と不審そうな様子に、蓮は得意気に説明を始めた。
「皇太子妃の主治医のパソコンに、ちょっと侵入してみました。エコーの写真もあるので、確実ですよ。――見ますか?」
答えを返さず、遠慮なく蓮の隣に腰を降ろせば、全く悪びれた様子もなく画面をディーンの方へと向けた。
画面には白黒で扇形にグレーがかった縞模様が写っていて一見したところ何かは分からないが、その画像の下に、「未来のプリンス オブ ウェールズ」という言葉と日付が書かれている。
――その日付は、3日前だ。
「どうやら、皇太子夫妻は産み分けをしていたみたいですね。7か月前、スウェーデンから世界的権威と言われる産婦人科医が、約二か月間、訪英しています。表向きは、論文の執筆と、学会に出席すると理由付けていますが、学会が終わった後も3週間滞在を伸ばしています。きっと、そのお医者さんに診てもらっていたんでしょうね。……ところで、産み分けってどうやるのかな?」
最後の言葉は独り言のようだが、それよりも気になる事がある。
「お前、それをいつから調べていたんだ?」
オフィスから夕食までずっと一緒だったが、その間、蓮はパソコンやスマホに一切触れることはなかった。
「いつって、今ですよ。ディーンがシャワーを浴びている間です。この程度の防御なら、そのくらいの時間で突破出来ますって。――表向きの主治医のPCは、セキュリティが穴だらけでしたし、世界的権威の産婦人科医のPCも似たようなものです。他の証拠としては、最新のものでふたりのやりとりするメールとかありますけど、見ます?」
そんな、悪びれる事なく小首を傾げた21歳の男に、ディーンは「いや。遠慮しておく」と返し、深く息を吐いた。
パリで起こったトレインジャックの一件以降、ハッカー仲間達の交流がますます盛んになってきている。
その為に、自分の関係する事以外でも、ハッカー仲間に尋ねられれば罪悪感の欠片もなくハッキングで答えを探す頻度も多くなっていた。
英国王室のトップシークレットを突き止めた作業を、何て事も無いようにさらりと流す蓮に、ディーンが「お前、調子に乗っていると、そのうち痛い目を見るぞ……」とハッキングについて口を開きかけたものの、「あれ? チャットの呼び出しだ」と、再びパソコンに向かって操作を始めてしまった。
だが、何かトラブルでもあったのか、眉間に皺を寄せて集中し始めた青年を尻目に、ディーンはため息とともに立ち上がり、何か飲もうとキッチンへと向かうが、唐突に背後で「ええっ!」と驚愕した声が上がる。
振り返れば、深刻そうな顔つきの蓮が画面を食い入るように見つめている。
おそらく、がめんで見えないその10本の指は、高速でキーを叩いているのだろう。カタタタタタ……という、キーボードを叩き続ける音が、スタイリッシュなリビングに鳴り続く。
それからしばらく、夢中でネット世界を泳いでいた蓮は、唐突に「まさか……」と一言呟き、フリーズしたようにその動きをピタリと止めた。
そして、深刻そうな顔をそろりと上げる。
「ディーンは今週末にワシントンDCに出張ですよね。系列ホテルの支配人達が集まる経営会議に出席するために……」
「お前も出るんだろうが。何を今さら?」
「でも、それは来週の月曜のことで、その前にどこかの企業のパーティーに招待されて、金曜日に発つんですよね?」
「気は進まんが、DCの支配人から、パーティー主催者の顔を立てて欲しいと要請があったからな」
紫の瞳を蓮へと向けて、オーナーは面倒くさそうにぼやいた。
蓮は、すこし考えて小さく息を吐く。
そして、毅然としたエメラルドの瞳をオーナーへと向けた。
「ディーン。金曜日に、オレもジャクソンさんやスチュワートさん達と同じで、有給を取ります。理由は聞かれても、絶対に話しませんよ。あくまでもプライベートな案件です。色々気にせず、貴方は予定通りにワシントンで仕事して下さい。――月曜の経営会議には、オレも合流しますから!」
先制攻撃で捲し立て、次に問われる質問をシャットアウトした蓮の顔は、何故だか怒っているようにも見えた。
アレキサンドライト クライシス 2 虎之丞 @toranojo
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