砂の涙ー25
覚の部屋には一枚の素描があった。白石が昨夜持って来たのである。彼はそれが三倉家の令嬢だという。白石は彼女とアルファとの仲が良いのを察し、それを彼に見せたらいいものかどうか迷っていた。
頭に二本の角が生えた悪魔が描かれていた。信じられなかった。しかし、天才画家が描いたデッサンだった。白石の眼力を疑うわけにはいかなかった。その日は、どうするかよく考えてみようということで彼と別れた。彼の瞳は恐怖を隠しきれないようによろしく頼むと語っていた。
翌日、白石が死んだと甚平から知らされた。突然の交通事故だった。酔って運転していた黒塗りの高級車に撥ねられたという。即死だった。
「なぜだ! 」
覚はあまりに急な話の展開に頭が混乱した。
メガネを外し、部屋で独り必死に思考し、X先生の殺害事件を思い出した。
「殺されたのか? あの黒いやつに」
訳もなくそう思った瞬間、女王と美海との糸が繋がった。パッとすべての疑問が解けた。
「そう考えれば、すべてが納得できる。でも、そんなことがあるのだろうか? 」
しかし、もしそうならば
「アルファが危ない! 」
覚はメガネを掛け直し、拳士郎のいる大河道場へと駆け出した。
※
アルファは美海の元で友人の死を悲しんでいた。動物園で会ったばかりだったのに。
女は恋人に同情し、彼を優しく抱いていた。
「命の誕生を喜んでいたのに、どうして白石さんは死んだのだ」
アルファにとって彼は、最大の理解者であり、最大のライバルだった。梨咲が死に、白石も死に、次々に親しい人たちが死んで行くのは辛かった。
美海は心の中でつぶやいた。
『彼は天才だった。だから、見てはいけないものを見てしまったのよ。貴方さえ見ることのなかった私の姿を‥‥』
ミウは配下の悪霊に白石の殺害を命じた。悪霊はヤクザな酔っ払いを誘導して彼に車を激突させた。
美しい令嬢は別邸の二階に恋人を誘い、贖罪であるかのように服を脱いだ。
「抱いて。
あなたの悲しみをぜんぶ吸い取ってあげる」
それはミウが望んだ最後の情事だった。そこにあった赤いソファを広げるとベッドになった。窓のシャッターは閉じられた。恋の花火はすでに夜空に消えていた。そこにあるのは漆黒の暗闇の蠢きだった。
アルファは躊躇っていた。
「赤ちゃんが心配なの? 可愛い人。後ろからならできるでしょう」
暗がりの中で女は魔性の姿を見せようとしていた。それは亡霊に愛撫され獣と戯れるような退廃の快楽だった。不安が男を襲った。部屋がゆっくりと十五度ぐらい傾き、部屋に溜まっていた目には見えない埃が空中にチラチラと舞っているようだった。息苦しかった。白石の死を境に何かが急激に変わっていくような気がした。暗闇に転落しそうな自分を感じ夢中で美海にしがみついた。女は男の戸惑いを嘲笑うかのように甘い声で誘った。
「して」
目の前には剥き出しの丘があった。辺りにポッポッと赤い光が幾つも人魂のように浮かび上がった。女の身体が欲望に火照っていた。
これまでの美海とは違っていた。初めて抱いた時の記憶が甦った。あの時彼女は俺を木陰に誘った。そこには何か異常なものがあった。それでも俺は愛した。今さら驚くことなどない。指の動きに合わせて吐息が洩れた。愛しさが込み上げて来た。この奥に新しい命が宿っている。身体の奥で希望の星が光っているようだった。ブラックホールに吸い込まれるように一つになる。喜びの声が溢れる。行為はどこまでも激しくなりそうだった。男は身を引いた。女は物足りなさそうに腰をくねらせた。
「ああん、やめないで」
しかし、彼は頬を寄せ美しい丘を優しくさすった。
女は身体を起こし、男の唇を奪った。口から吐息が入り込んだ。嵐が静まるように肺から肺へと息が行き交った。
「気遣ってくれるのね。嬉しい。
でも、今夜は狂わせて。わたしを忘れさせて」
その時アルファは暗闇に髑髏のようなものが浮かび上がるのを見た。一つ、二つ、三つ、四つと亡霊が辺りをさまよっていた。夜更けの墓場にいるようだった。ここはあんなに美しい秘密の花園だったのではないか? 美海の孤独とはこれほど深く地下に根を下ろしていたのか? 自分の動きが骨壺から幽霊を呼び覚ましているようだった。
美海はアルファの異変を察した。
「怖いの?
髑髏の亡霊達が」
「君にも見えるのか? 」
「わたし達の悦楽で彼らの頬を赤く染めてやりましょう。今夜だけは獣にさせて。体中に肉の喜びを感じさせて」
愛が捩れるような深い悲しみがあった。しかし、これも美海なのだ。彼は彼女のすべてを愛そうとした。ともに地獄に堕ちてもかまわなかった。
ドアに耳を押しつけている者がいた。詩乃だった。「ウヒウヒウヒ」魔法使いはエロスの声に聴き惚れていた。
「愛しいもの。お前がわたしに新たな命を与えてくれた。ほら、ドクドクして、興奮している」
‥‥
「ああ」
‥‥
「いいの。我慢しないで。ぜんぶ受け止めてあげる。あなたの精気を呑み込みたいの」
‥‥
「ああ、美海」
男の荒い息遣いが聴こえた。
‥‥
「あッ! 」
‥‥
「ほら、髑髏の顔が赤くそまった」
‥‥
「つぎは私をいかせて。
髑髏のうらやむ顔が見たい」
‥‥
「あ、あ、あ」
‥‥
「ああ、ああ、ああ」
‥‥
「あああ、あああああ」
‥‥
「いい、いい、いい~! 」
ベッドが激しく軋む音がした。
‥‥
「だいじょうぶかい? 」
「素敵!
愛しているわ」
「僕に何か隠している? 」
「貴方を私に刻みたいの。何もかも」
‥‥
「上にもして。あなたを喜ばせてあげる」
‥‥
「ううん。ううん」
「痛くない? 」
「気持ちいいわ」
‥‥
「ああ、
ああ
ああ」
「出して! いっぱい出して! 」
‥‥
「ああ、あああ」
烈しい息遣いが聴こえた。
「好きよ、好きよ、好きよ、好きよ」
興奮したあまりに切ない声だった。
詩乃は「ウヒウヒウヒ」と含み笑いをした。自分の身体までが沸騰した薬缶のお湯のように火照ってきた。
声がエスカレートしてきた。
「ああん! 」
叫びが上がった。
「いく、いく、いく、いく!
ああ、殺して。殺して、殺して! このまま殺して、殺して! 」
せつない声が空中を小鳥のように駆けめぐった。
詩乃は目が回るようだった。背筋がゾクゾクした。忍び足でドアを離れていった。
美海は心の中で叫んでいた。
『もっと、もっと、もっと、もっと、もっと貴方を私に刻んでちょうだい。貴方を永遠に忘れないように! 』
快楽のための快楽。不安からの逃亡。孤独の解放。欲望の充足。恋の確認。それは生殖を意図しない不毛の営みだった。辺り一面に死の臭いが漂っていた。アルファが描いた白い衣装の美海の目が暗闇の中で赤く光っていた。
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