砂の涙ー16

 まだ肌寒い早春だった。その日、拳士郎は頬にトクホンを貼っていた。歯痛だった。常連客に「愛結ちゃんになぐられたのかい? 」と訊かれると「そうなんですよ」と冗談を言っていた。閉店間際に友人たちが来て担々麺を注文した。

 覚はラーメンをすすりながら「ここの担々麺は最高だね」と言った。

 アルファも「うん、最高だ」と相槌を打った。

 拳士郎は「俺の気分は最低だよ」と頬をさすった。それが合図だった。

 彼らは目と目を合わせた。

「おいしかった。ご馳走さま」

「腹ごしらえもできたし、俺たちは先に帰っているよ」

 料金をはらって店をでた。

 拳士郎は暖簾をおろし、痛そうに頬をさすった。

 帰り道、彼は人通りの少ないお寺の霊場へと自転車を走らせた。空手着の上にグレーのコートを羽織り、動き易いようにスニーカーを履いていた。案の定、何者かが後から付いてくる気配がした。彼は、外灯の届かない暗闇で自転車を止め、頬を押さえてしゃがみ込んだ。

「いててて」

 気配を身近に感じた。『3人、4人か』彼はしゃがんだまま「隠れてないで、出て来いよ」と呼び掛けた。

 ごそごそと話し声のようなものが聴こえた。ここぞとばかり悪態をついた。

「臆病な奴らだな。そんなに俺が怖いのか? 」

 話し声がぴたりと止んだ。

「ヒヨッコか? 豚の幽霊か? それとも太った狐かい? 」

 辺りに緊張が走った。

「肝っ玉の小さい奴らだな。ここまで言われても平気かい? 恥知らずのストーカーよ」

 拳士郎は振り向いた。

「そこにいるのはわかっているのだ。ビクビクしないで姿を見せろ。弱虫、泣き虫、バカの虫」

 突然つむじ風が巻き起こり、空中から黒い妖怪たちが現れた。

「クソガキが。聴いてりゃいい気になりやがって」

「女王様にとめられてはいるが、お前だけは許さねえ」

「たたっ殺してやる! 」

 拳士郎は後ずさりながら薄暗がりの方角へと身を引いた。中、大、中、小の妖怪だった。般若のような顔をして大鎌を持っている鬼、四ツ目があり四本の手に棍棒を持っている化け物、野獣のような牙と爪を持つ物の怪、頭に一本角があり吹き矢を持っている天邪鬼。それぞれが毒気を放っていた。

「逃げるのか、この野郎! 」

 彼の動きに合わせて妖怪たちは追いかけてきた。

 車のない砂利の駐車場に出た。

「拳士郎! 」

 空中を飛んで来た木刀を受け取った。

 友人達がいた。彼らも戦いの準備をしていた。動き易いようにトレーナーを着てスニーカーを履き、未知の敵と向かい合った。覚は両手に鍔のある小ぶりの木刀を、アルファはヌンチャクを手にしていた。

「お前たちがX先生を殺したのか? 」

 覚の問いに般若顔の妖怪は、

「ほほう。おそろいかい。いっしょに地獄に落としてやる 」と脅した。

 頭に一本角を生やした天邪鬼は

「女王様にとめられているのに、いいのかい? 」と言った。

「お前は引っ込んでいろ」

「姿を見られちまったんだ。このまま生きて帰すわけにはいかねえ」

「そう言うことだ」

 般若と四つ目と妖獣には殺気が感じられた。

 拳士郎はコートを脱ぎ「妖怪は倒しても罪にならんよな」と覚に訊いた。

「あいつらが先にかかってくれば、正当防衛さ」

 メガネをした知恵者は、一歩前に出て物の怪たちをたぶらかそうとした。

「X先生を殺したのはどいつだい? そいつだけは許さない」

「許さないだと? 貴様らが女王様を倒せると思っているのか? 

 まず俺様を倒してみろ」

 般若の大鎌が空中を切り裂いた。拳士郎は身をかわし、木刀で脳天を直撃した。奴は一瞬よろめいたが、傷はたちまち蘇生した。

 四つ目は覚を叩き潰そうと棍棒を振り回した。彼は左右の木刀で受けたが、勢いに押されて吹っ飛んだ。メガネが衝撃で飛びそうになったが、ゴムで括っていたのでどうにか首に残っていた。それを掛け直し、右手の木刀を離し、石を握った。奴が誇らしく向かってきたところへサッと石を投げた。それは目の一つに命中したが、妖怪は目をごしごしと擦っただけだった。

 妖獣は牙を剝いて襲いかかってきた。アルファはヌンチャクで奴の足と頭を素早く打ったが、致命傷にはならなかった。

 覚「こいつら、化け物だ」

 妖怪たちの目は怒りで赤く光っていた。

 拳士郎「後ろに下がれ」

 二人が背後に回ると、彼は目を閉じて木刀をだらりと下げた。まるで隙だらけの構えだった。奴らはいっせいに飛び掛かった。その一瞬、彼は身をかわすように宙を飛び木刀を剃刀のように閃かせた。三つのカマイタチが生じ、妖怪たちの首を斬ったが、それでも奴らは動いていた。

「ウヒヒヒヒ。貴様の力はその程度かい? 」般若の妖怪は不気味な笑みを浮かべた。

 覚は「どこかに急所があるはずだ」と叫んだ。

 死に物狂いの戦闘が続いた。しかし、倒しても、倒しても、奴らは向かってきた。三人はそれぞれに息を切らしていた。拳士郎は木刀をぶらりと下段に構えていた。アルファのヌンチャクの鎖は切れていた。覚は木にもたれていた。『もうダメか』と思ったその時だった。

「ワン、ワン、ワン」

 愛結子の愛犬ポチが吠えた。

 その声を聴いた妖怪たちは、

「おおおおおお」

「ひいいいいい」

「ぐあああああ」と悲鳴を上げた。

 もう一度ポチが

「ワン、ワン、ワン」と吠えると、

「だめだ。逃げろ」と奴らは退散した。

 拳士郎たちは虚脱状態だった。ポチが天敵だったなんて。

 ‥‥

 実は天使リウがポチに乗り移り、妖怪の苦手な超音波を発して彼らを退散させたのである。『なんて無茶な人たちなの。自分たちだけで妖怪たちと戦うなんて。』でも、そのような若者たちだからこそリウは戦士に選んだのである。しかし、今は姿を見せられなかった。リウは『これ以上無茶はしないで』とささやいてポチから離れた。

 愛結子は彼らのもとへ駆け寄った。いつものジーンズ姿だった。

「大丈夫? 」

 拳士郎は「ああ」と答えた。

「今のは、何? 」

「見たの? 」

「暗くてよくわからなかったけど、何かと戦っていた」

 女子高生の心臓は早鐘のように鳴っていた。

 アルファが「どうしてここへ? 」と訊くと

「ポチが吠えて、わたしをここへ連れて来たの」と言った。

 覚は犬の頭を撫でた。

「おまえに救われた」

 犬はクンクンと鼻を鳴らしている。

 拳士郎「ありがとう」

 アルファ「サンキュー」

 今回のヒーローは一匹の柴犬だった。そのポチが草むらに向かって吠えた。木陰でブルブル震えている者がいた。天邪鬼だった。一本角を生やし毛皮を身にまとっていた。

 拳士郎は小鬼を見つけて「おいてきぼりかい? 」と訊いた。

 チビの妖怪には天使の超音波が強すぎたのである。

 邪鬼は「この野郎。負けないぞ」と意気がったが、彼が拳を振り上げると「ごめん、許して」と謝った。

 彼は笑って仲間に相談した。

「どうする? 」

 覚は「女王様って何者だい? 」と訊いた。

 邪鬼はおびえて「知らない。知らない。知らない」と繰り返した。

 頑強な若者が「ポチを連れて来ようか? 」というと「ごめん。ごめん。許して」とひれ伏した。

 覚「子どもだ。許してやろう」

 アルファも同意した。

 拳士郎は「さあ、行け」と解放した。

 邪鬼は空中に消えると

「バカ、後悔させてやるから」と負け惜しみを吐いた。

 愛結子は彼らのやりとりを聴いて目を擦った。確かに声は聞こえたが、妖怪の姿は見えなかった。ただ、目に見えない敵と彼らが戦っていたことは分かった。

 覚が「愛結ちゃん」と呼ぶと、彼女は「このことは、だれにも言わない方がいいわね」と語った。

「優希ちゃんにも、だよ」

「ええ」

 拳士郎は頬をさすった。歯茎がズキズキとしていた。『明日は歯医者に行かなきゃ』と思った。

 その後、妖怪たちは彼らの前から消えた。天邪鬼以外の三匹は、女王の命令に背いた反逆者として魔王に処刑されたのである。

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