砂の涙ー11
X先生殺害事件から一カ月が過ぎていた。
クリスマス・イヴの夜だった。喫茶店カノンでは、大楽のメンバーと有志によるクリスマス兼忘年会が行なわれていた。
カノンはお洒落な音楽喫茶だった。カウンターのほかに小さな舞台とテーブルが十台ほどあった。酒やコーヒー、軽食等が用意され、カラオケも設置された市民の憩いの場所だった。
甚平はその日のために特製の寄せ鍋を用意し、優希の母でありカノンのママである恵子はクリスマスケーキを準備していた。和洋混淆のお祭りだった。店内はキャンドルとツリーが飾られ宴はすでにたけなわだった。優希はカウンターに座り黙ってジンジャーエールを飲んでいた。
愛結子がやってきて「どうしたの? 浮かない顔して」と声をかけた。彼女はクリスマス会とあって珍しくグレーのロングスカートをはき、暖かそうな白いセーターを着ていた。
覚はいつもと変わらないラフな格好だったが、優希の隣りにいて
「だいじょうぶだよ。もう来るよ」となぐさめた。
優希は「十代はお酒が飲めないって、いったいだれが決めたのでしょうね。不公平だわ」と愚痴をこぼした。
『今日はいつもよりおめかしをして、きれいに髪もとかしてきたのに、なんで早く来てくれないのよ。』恋心がチクチクと痛んで、喉がヒリヒリしていた。赤いとっくりのセーターと短めの黒いスカートが目には見えない怒りの炎を発しているようだった。
そこに白石が来た。飄々とした顔つきでスケッチブックを見せた。
アルファの横顔が描いてあった。
「まあ、そっくり。憎らしいくらいそっくりだわ」
女子高生は喜びと悲しみの表情をこうごに見せた。彼は会に出席をすると約束したにもかかわらず姿をあらわさなかった。時計は午後7時を回っていた。
優希は機嫌をとりもどし、その場を盛りあげようと立ち上がった。
「皆さん。クリスマスを祝って一曲歌います」
あちこちから拍手やかけ声が起こった。カラオケのイントロが流れた。選んだ曲は、その年の夏にはやった『潮騒のセレナーデ』だった。若い歌声が店内に響きわたった。
白い砂浜 足跡つけて 明日の夢を追いかけている
♪♪♪
あなたの眠る部屋を想って 風にまかせて歩いてみたの
乾いた砂に足をうずめて 寄せては返す波を見つめて
♪♪♪
Back musicは 潮騒のセレナーデ
揺れる心 波間に浮かべて
流れる髪 想いが風に舞う
いま始まる Sun rise
優希は二番目を歌いだすまえに背中に隠していたスケッチブックを皆に見せたので、それがアルファの横顔であると気づいた客からは笑いが巻き起こった。しかし、せつなさを感じさせるように心を込めたのでその声は聴き手にも感動をあたえた。
銀の海 はじける光 数えきれないメモリー
♪♪♪
朝の海はしずかすぎて ほんの少し不安になる
あなたの愛をたしかめたくて 試すことさえできないの
♪♪♪
Back musicは 潮騒のセレナーデ
あなたの気配 からだに感じて
夢でもいい 強く抱きしめて
輝きだす Sun rise
(台詞)
瞳そらさないで
あなただけがわたしのヒーローだから
今すぐ会いに来て
もう君のそばから離れない
♪♪♪
Back musicは 潮騒のセレナーデ
揺れる心 波間に浮かべて
流れる髪 想いが風に舞う
いま始まる Sun rise
Back musicは 潮騒のセレナーデ
あなたの気配 からだに感じて
夢でもいい 強く抱きしめて
輝きだす Sun rise
歌い終わるとスタンディングオーベーションが起こった。クラッカーが鳴った。
「いよ、日本一! 」
あたたかい拍手とありきたりなかけ声に優希は笑顔をとり戻した。照れくさそうに白石にスケッチブックを返すと、愛結子と覚の手をひいて鍋料理にむかった。
「おいしそう。おじさん、ありがとう」
甚平は白衣のまま笑顔で「こちらは日本一の鍋だからな。食べてごらん」という。
鮟鱇鍋にモツ鍋、湯豆腐が湯気を立てていた。
優希と愛結子は割り箸を取って「いただきます」と言った。幸子が取り皿によそってくれた鮟肝を一口食べた優希は、
「おいしい! やっぱりおじさんの料理が一番ね」と声を上げた。
愛結子はモツをつつきながら「おいしい。でも、息臭くなりそう」と感想を洩らした。
ニンニクが効いていた。
横にいた銀行員が「そんなこと気にするガラなの? 」とからかうと、
「失礼ね。うら若き乙女にむかって」といいながらパクパクと食べて取り皿を空にすると
「ファイト一発! 」と叫んで、すばやく左右の正拳突きをした。
「やっぱり男だ」と笑いが巻き起こった。
優希も笑っていた。
覚は白石のそばに来て、耳元で「ありがとう」とささやいた。
彼は手帳に『どういたしまして』と書いて微笑んだ。
アルファはイルミネーションが光っているカノンの入口で、中に入ろうかどうしようか迷っていた。そこに店仕舞いを終えた拳士郎が来た。彼は白衣のままだった。よいタイミングだった。若い画家は白バラとカスミソウが入っている小さな花束を彼に渡し、「きょうは気分がすぐれないのだ。優希ちゃんに謝っておいて」というなりさっさと曲がり角に消えてしまった。
風が目の前を通り過ぎたようだった。
チャイムが鳴ったので視線は入口にそそがれた。そこに立っていたのは花束を持ったいかつい若武者だった。若い娘の唇からため息が漏れた。
赤ら顔の客が「よお、大将。遅かったな」と声をかけた。
「店の片づけがあったものですから」
彼は笑顔で近寄ってきた愛結子に耳打ちした。彼女は花束を受け取って優希に渡した。
「アルファさんからよ。きょうは体調が悪いから来れないって」
拳士郎は頭をかきながら、
「ごめん。引きとめようとしたのだけれど・・」
「サーッと風のように通り過ぎてしまったのでしょう」
「そうそう。どうしてわかるの? 」
「だって、いつもそうなのだもの」
白薔薇を見ながら悲しくなった。
覚が「梨咲ちゃんのことで疲れているのさ」というと
優希はあきらめたように
「そうよね。梨咲ちゃんのこと、心配だものね」と答えた。
皮肉ではなかった。彼らはアルファから病気の少女の話を聴かされていた。そして元気を出してもらおうと皆で相談し、十一月の彼女の誕生日(それはX先生殺害事件の四日前だった)に武市家を訪れた。優希はギターを弾きながらハッピーバースデーを歌った。『潮騒のセレナーデ』も歌った。梨咲は感動していた。拳士郎と愛結子は覚の発案でドタバタのコントをやった。たった一畳の広さの中で彼女がいくら叩いても蹴っても彼に当たらないという曲芸だった。覚が審判だった。でも最後に「好きよ」といって息を吹きかけるとそれだけで彼はバタンと倒れてしまった。女子の勝利が告げられた。少女は手をたたいて喜んでいた。それぞれにプレゼントを贈り、心から誕生日を祝った。梨咲は笑顔でいっぱいだった。幸江夫人が彼らの来訪をどれだけ喜んだかしれない。優希はアルファの教え子というだけでその子に親近感を持った。そしてほんとうに良くなってほしいと心から願っていた。
ふっきれたように微笑んだ。梨咲のことを家族のように心配している彼のことも好きだったからである。
クリスマス会が終わったあと、アルファの部屋の扉をノックする音がした。覚と拳士郎だった。背中から優希と愛結子が顔を出した。
二人は「メリークリスマス。サンタです。早く良くなってね」と言って帰っていった。
入口には手編みの襟巻が残されていた。
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