砂の涙ー10

 X氏殺害事件後、目撃者である若者たちは、その事件について何度か検討を繰り返していた。

 壇上にいた二人のX先生、どちらかが本物でどちらかが偽物だ。おそらく初めに壇上に立っていたX先生が偽物である。(執筆した書物の内容と講演内容とが異質のものだったからである。) そこに本物のX先生が現れた。本物の先生は偽物の正体を暴こうとした。そのとき偽物が本物のX先生を銃で撃った。拳士郎がコーヒー缶を投げつけると、空中にパッと姿を消した。会場が大混乱になった。その後、頭がキーンとするようなめまいがした。そのとき俺たちは壇上に魔物を見た。にもかかわらず、他の聴衆は静まり返った。X先生は係員に連れて行かれた。そこに場内アナウンスが流れ、全員が帰宅を始めた。翌日の新聞にはX氏心臓疾患のため急死と報道されていた。三人だけがそれを殺人事件であると認識していた。

 覚「つまり、偽物のX先生が聴衆に集団催眠をかけ、俺たち三人だけがその催眠術にかからなかったのだよ」

 アルファ「でも、二千人もの聴衆に集団催眠をかけるなんて出来るのだろうか? 」

 覚「それじゃ、俺たち三人がそろって同じ夢を見ていたのかい? 」

 拳士郎「いや、あれは夢じゃない。俺は手にもっていた缶コーヒーを投げた。そしたら、銃をもっていたX先生はパッと空中に消えた」

 覚「場内は騒然となった」

 拳士郎「そのあと頭がキーンとなった」

 アルファ「そのとき俺たちは魔物を見た」

 覚「ところが、その後,場内は急に静かになった。いったい何が起こったのだ」

 考えても結論は出なかった。しかし、彼らは自分たちの見たものを否定することができなかった。

 実は彼らが魔物を見たとき、悪魔はX氏に化けて聴衆の頭脳に事実の上書をしていたのである。銃で撃たれたX氏を舞台裏に隠し、X氏に化けて壇上で気分の悪さを訴えた。そして係員に支えられて退場していった。その姿が聴衆の脳裏に刻印された。そのため、その前にあった殺人事件の記憶は忘却されてしまったのである。その後、女王は配下の悪霊に指示し、弾丸で撃たれたX氏が急性心臓麻痺と診断されるよう画策した。

 そのとき覚たち三人には、その黒いものが悪魔であるという認識はなかった。それはX先生を敵視していた魔性の者だった。それは仮にそう言っているだけで、その正体については何も分からなかった。ただ、それ以来、彼らは身のまわりの事象に敏感になっていた。覚は東京の空に巨大な一つ目を見た。拳士郎は魔性の者の気配を近くに感じ続けていた。アルファは、梨咲のこともあり、その黒い魔物を病魔と重ねていた。いずれにせよ彼らは何か分からない魔的なものがX先生を死に追いやったと感じていたのである。

 その日、三人の密談を立ち聞きしていた者がいた。拳士郎が気配を感じて扉を開けると、そこにいたのは優希だった。学校から帰ったばかりでセーラー服を着ていた。

「こ、こんにちは。おじゃまかしら? 」

 覚はメガネに手をやりながら機転をきかせた。

「どうぞ。どうぞ。優希ちゃんなら歓迎だよ」

 そういって空いている席に招いた。

 彼女は遠慮がちにアルファのそばに座ったが、彼はG服を着てジーンズを穿いていた。

 拳士郎は短髪をかきながら「愛結はいっしょじゃなかったの? 」と尋ねた。

「きょうは別行動よ」

 優希は彼らのために買ってきたあったかい缶コーヒーと切れ目の入ったロールケーキを出した。

『甘いものに甘いもの』・・アルファはちょっと抵抗を感じたが、顔に不満は浮かべなかった。それぞれに礼を言い、覚と拳士郎はさっそくロールケーキを頬張った。

「うまい! 」

 ほとんど同時に二人が言ったので、女子高生はクスリと笑ってしまった。

 優希とアルファはゆっくりと後から食べた。クリームに苺がサンドされていた。


 その部屋は拳士郎の部屋だった。余計なものはなく整理整頓されていた。(覚の部屋は本の山で、アルファの部屋は画材であふれていた。) 八畳一間の和室だった。中央に炬燵があった。押入れがあり、壁に道着が掛かっていた。木刀が柱に立てかけてあった。テレビはあったが、どちらかというとラジオを聴いていた。東側に窓があり、壁には「天照皇大神」の掛軸が飾られていた。本棚には武道や調理に関する本が並んでいた。その上に愛結子から贈られた熊のヌイグルミが置いてあった。他には洋服ダンスが一つあった。空間がすっきりしているので、そこが三人の集会所となっていた。(下宿屋大楽の調理場は共用だったが、おもに甚平の妻の幸子が朝夕の食事をこしらえて下宿人たちに提供していた。時間帯は少しずつずれていたが、おおまかな朝食時間と夕食時間のなかで彼らは食事をとっていた。幸子の料理はおふくろの味だった。画家の白石は幸子の優しさと食事が好きで、いつまでも大楽に留まっていた。)

 拳士郎はテレビをつけ、ポテトチップスの袋をあけた。じゃが芋は彼の好物だった。

 NHKのニュースが流れた。缶コーヒーを飲みながら、彼らはニュースをネタに他愛ない話をした。それから笑顔で別れたが、女子高生は自分が除け者にされているようで寂しかった。


 翌日、優希は覚を近くの公園に呼び出した。

 夕風に紅葉が舞っていた。

 覚がモスグリーンのコートを羽織って出掛けると彼女はブランコに座っていた。いつものセーラー服にオレンジ色のコート姿。息で手を温めていた。

 彼がとなりのブランコに乗って漕ぎはじめると、若い娘は負けじとブランコを漕いた。ブランコは大きく振り切れそうに揺れた。彼女は髪を風になびかせキャーキャーとはしゃいでいる。覚は危ないと思って漕ぐのをやめた。すると笑顔で「わたしの勝ちよ」とゆっくりとスピードを落とした。

「優希ちゃんは負けず嫌いだな。さすが、愛結ちゃんの友だちだ」

 ブランコが止まった。

「どうしたの?  何の相談? 」と訊くと、

 さりげなく「X先生が銃で殺されたって、どういうこと?」と尋ねた。

 答えに困っていると

「きのう、聴いちゃったの。みんなを驚かそうと思ってそっと部屋に近づいたら、そんな話をしているのだもの。わたし、どうしたらいいのかわからなくなって。そのまま聴いていたら話が難しくて、引きかえそうと思ったら拳士郎さんに見つかっちゃった」

 覚は溜息をついた。そしてとっさに嘘をついた。

「X先生が僕たちの行った講演会で亡くなられたのは知っているよね。先生は心臓病で亡くなった。ただ、あまりに急な出来事だったものだから僕たちも混乱していた。その混乱していた話をしていたのさ」

 混乱という言葉を強調して少女を煙に巻いた。

「ふ∼ん。だから、魔物を見たなんて言っていたの 」

「そうそう。混乱してなかったら、そんな話にはならないさ」

「だったら話をつづけてくれればいいのに。仲間はずれにされているようでさびしかった」

「君に心配かけたくないからさ」

 女子高生は突然立ちあがり「わかってない!」とムッとした。「わたしはみんなの役に立ちたいのに」

 その言葉が胸に刺さった。

「ごめん。優希ちゃんは頼りになるよ。頼りにしているよ。ブランコこぎも負けちゃったし・・」

 彼の弁解に若い娘は笑って「どうせわたしは子どもですよう」と舌を出した。

 覚はタジタジだった。

 女子高生はまたゆっくりブランコを漕ぎはじめた。鉄のきしみが乾いた空間に響いた。その日、彼女はアルファの話はしなかった。しかし、夕焼けをながめているその瞳は、遠くから星のように彼を見つめていた。


 同じころ、拳士郎は愛結子に呼び出されていた。優希は真実を確かめるため友人に協力を依頼していたのである。

 そこは大きな杉の木がある水神様の境内だった。彼女は待ち合わせの場所に早めに到着し木陰で息を殺していた。彼があらわれると、後ろからすばやく跳び蹴りをくらわせた。サッと身をかわされた。

「残念」

「失敗」

 これがふたりの挨拶だった。隙があればいつでも打ちかかってもよいというのが暗黙の了解だったのである。これまでに技が決まったことはなかった。そのたびに悔しい思いをしたのだが、彼女はそんな彼が好きだった。

 二人はグレーの上着にジーンズを穿いていた。どちらがどちらに合わせたというわけではないが、いつも似たような恰好をしていた。

 愛結子は腕組みをし、樹にもたれながら尋ねた。

「優希からきいたけど、X先生が銃で撃たれたってほんとう? 」

 拳士郎は「そんな話。他の人にするんじゃないよ」と言った。

「うん。でも、ほんとうなの? 」

「正直、よくわからないのだ」

「わからないって、どういうこと? 」

 彼は周囲に何者かの気配を感じた。そこで、とっさに覚と同じような答えをした。

「X先生は病気で亡くなった。でも、そのときパニック状態だったから、そのときのことをいろいろと話していたのさ」

 愛結子は、その言いぶりに尋常でないものを感じた。だから、それ以上話をきいてはいけないと思った。

「そうなの。優希の思いすごしなのね」

 彼はうなずいた。武道の試合前のように神経がピーンと張りつめていた。何か大きなトラブルが起こりそうな予感がした。

「わたしは信じているから。何があっても拳士郎の味方だから。愛しているから」

 ぶっきらぼうにそう告げた。

「そう言ってくれるのは、愛結だけさ」

 ふたりは手をつないだ。

「帰ろう」

 拳士郎は自転車を押しながら、女子高生はとなりに寄りそうように夕闇のせまる堤防の路を歩いていた。宵の明星が光っていた。向こうからジョギングのおじさんが走って来た。彼が「こんちは」と脇をすぎると、拳士郎は自転車にまたがり

「乗って」と声をかけた。

 愛結子は彼の背中にすきを発見したが正拳突きはしなかった。クスリと笑い、荷台に乗ると彼を後ろからかかえ、心の中で『わたしが守ってあげるから』とつぶやいた。


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