砂の涙ー7 

 妖怪の女王である悪魔ミウは、X氏殺害後、集団催眠にかからなかった三人の若者たちを子細に観察していた。

 桜木拳士郎は短髪のいかつい青年だった。身体は頑強で通常よりひとまわり大きく、身長は180センチを超えていた。中華料理店大龍の従業員であるが、彼にはもう一つの顔があった。彼は、幼少のころより元軍人であった父から武道の手ほどきをうけて育った武術の達人だったのである。剣道、古武道、空手、柔道、合気道など種々の武芸に通じていた。とはいっても、力を誇るタイプではなく気さくで明るかった。

 だが、彼にはその強さが災いした暗い過去があった。高校二年のこと、河川敷で若いカップルに絡んでいる不良グループを見かけた。彼は友人とともに仲裁に入ったが、徒党を組んでいた連中は罵声を浴びせた。拳士郎はみずから盾となり若い二人を逃がしたが、その後を追う男たちと小競り合いが生じた。彼は不良仲間をつぎつぎと投げとばしてしまった。グループのリーダーはジャックナイフを取り出した。チェーンや鉄パイプを持ち出したやつもいた。二人は相手をせずに立ち去ろうとしたが、それを臆病風に吹かれたとみたリーダーが友人を背後から刺した。学生服が血で真っ赤にそまった。拳士郎の怒りに火がついた。気づいたときには武器を手にしていた連中を叩きのめしていた。残りのやつらは逃げだした。友人はその刺し傷が原因で死んだ。身動きができずにいた三人は骨折や打撲の重症だった。彼は武道の有段者であったため過剰防衛とみなされて傷害罪に問われた。執行猶予のついた有罪判決がでた。父は拳士郎の心情は認めたものの、我を忘れて相手を叩きのめしたのは武道家として未熟であると叱責した。高校は退学し、半年ほど山にこもった。家は由緒ある侍の家系で農家だったが、その後ふるさとの神奈川を離れ、母の縁故で大龍の調理人として修業を始めた。

 武道はしばらく封印していたが、やがて大龍の近くにある大河道場の門をたたいた。道場主の大河源吾(おおかわげんご)は空手の大家であるが、彼の武道家としての才能に驚嘆した。すぐれた身体能力や技の切れ味ばかりではない。彼にサムライの魂を見たからである。源吾は拳士郎の事情を知っていたが、ゆくゆくは道場の後継ぎにとまで考えていた。

 大河道場には一人娘の愛結子(あゆこ)がいた。彼女は喜多原優希の友人だった。長い髪をしっかりとポニーテルに結んだ溌剌とした女子高生だった。男勝りの空手家だったが、拳士郎には勝てなかった。そこで初めて自分が女であることに気づいた。愛結子は彼のそばにいると、それだけで幸せだった。

 拳士郎は都会に自分の居場所を見つけ、日々調理と武道の修行につとめていた。


 妖怪の女王である悪魔ミウは、拳士郎を厄介な青年であると認めた。

「こういう若者ほど手のつけられない奴はいない。自分が守るべきもののためには命を惜しまずに戦う。バカな人間の見本だわ。でも、だからこそ扱いやすい。行動のパターンが丸見えよ。手玉に取るのは簡単だわ。問題なのは、次の奴だ」


 行合覚は髪を自分でカットして平然としているような文学青年だった。軽い乱視でいつも眼鏡をかけていた。K大の学生だが、通学はせず下手な物書きに熱中していた。東京の外れにある寺の息子で剣道の有段者だが、腕前は拳士郎には及ばなかった。一度竹刀で立ち合ったが素手で負かされてしまった。「いつか必ず負かしてやるから」と負け惜しみを言ったが、拳士郎はニコリと微笑みを返した。

 覚は一見どこにでもいそうな普通の青年だったが、生真面目で気難しい求道者としての顔を持っていた。彼は道なき道を行く未来の水先案内人だった。

 現実的にみれば、おもしろい人間ではなかった。教室で、人生論集や宗教書や科学書やニーチェやサドの本などを熱心に読んでいる若者を想像してほしい。客観的に見ればおかしいが、それは何となく場違いだからおかしいのである。人づきあいが悪いわけではないが、どこか孤独を感じさせる青年だった。それは育った環境と無縁ではない。彼は生まれついた時から死と向き合っていた。その子の遊び場は墓場だった。前世や来世は存在し、幽霊がいるのはあたり前だと思っていた。だから、学校で人間が猿の子孫だと教えられても「嘘だろ」と思っていた。人生への果てなき疑問符が、彼の青春だった。

 母方の実家は神道だった。自然を破壊し続けている近代化への疑問も働いて、西洋文明や科学にも興味を持っていた。中学高校のころから「本当のことが知りたい」という欲求から偉人の書を友としてきた。文学書、哲学書、宗教書、科学書、それらのなかに真理を見出そうと格闘することが彼の生きざまだった。むろん、人並みに恋をしたり、受験に失敗したりもした。しかし、挫折してもわりと平然としていた。人生を鳥瞰する目を持っていた。どこかで目に見えぬ何かに導かれていた。

 覚は優希と出会ったとき、どことなく好印象をもった。彼女が本では得られない人としての温かさを感じさせてくれる娘だったからである。彼が大龍に行く目的の一つは、そこにあった。しかし、アルファが登場して状況が一変した。彼女がアルファに夢中なのは明らかだったので、淡い憧れの気持ちはそれまで以上に封印した。その点でも、彼はつまらない男だった。感情には流されず、相手の幸せを願うような青年だったからである。


 悪魔は、覚には非常な警戒心を持った。

「こいつは、わたしがもっとも嫌いな考える葦だ。生真面目でつまらぬ若造だが、どうもそれだけではない。人間以上の存在を信じている。そして少々知恵もありそうだ。タフで煮ても焼いても食えない男だ」

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