春の空。

私は今日も絵を描く。

それは今だって贋作で、偽物。

でも、本物と見分けがつかないときもある。

さすがに経年劣化とかがあるから、私の技術以前に昔の作品の模倣は難しいけど、同じ時代に生きる作家なら、理論上は完璧な模倣もできる。

筆をいったん止めて、視線を上げる。

部屋の壁に掛かった絵画。

新進気鋭の画家、天神九郎による花の絵のひとつ、『夜露の櫻』。

私の模倣品ではなく、あの病院に飾ってあったレプリカではない。紛れもない本物。

「ふふ……」

頬が緩む。私たちはあれから、沢山の絵と模倣品をすり替えてきたけど、この『夜露の櫻』は、唯一美術館に収蔵されているものと私の模倣品を取り換えたもの。

そして、今もまだバレていない。不思議な感じがして、おかしくて、少し笑ってしまいそう。

窓の外は晴れ。昼下がり。外に出てみてもいいかも。

木漏れ日が差し込む公園で、サンドイッチか何かを片手に風景画を描くのが最近の流行りだ。私の中でも。

って、考えててもしょうがない。行くか。


「このへんかな……」

キャンバスの位置に十分、構想に五分。そしたら、すぐに書き始めてしまう。模倣と違ってとっても適当。

さらさらと筆を流すと、透明な景色がキャンバスの中に出来上がっていく。

そこにだんだんと色を載せていく。

そんなに難しくはない作業。やっていることでいえば、ふだんやっていることより断然簡単だ。

でも、何も考えず、心のままに絵が描ける。それは、案外楽しくて。

昔はそんなことなかったのに、何が変わったのか、私にもよくわからないけど。

気づけば、後ろのほうに可愛いギャラリーさんがひとり。

小学生くらいの男の子が、私の絵を見ている。バレないように、五メートルくらい離れて。

「んー……」

ちょっと考えて、絵の中に小さな少年を付け足す。林の中に、ひとり佇む男の子だけど……。

「これじゃホラーだな」

絵のタッチが暗いせいか、なんかB級ホラー映画の広告みたいだった。

ガードレール下のピエロがいたら完璧……って、それじゃメジャーなホラーよね……。

公園から戻って、模倣する。私が模倣した作品を、彼が本物とすり替えてくる。

そんな生活をしているから、あまり一つのところにとどまることはなく、せわしない生活だったりする。

今いるのはイタリア。もうこれをはじめてから二年ほどになるので私も馴れて、コンビニの品ぞろえに焼きプリンがないくらいでは文句言わなくなった。

最初はほんとーに大変で、パスポートもないわころころ移動するわ枕変わって寝れないわ、泣きっ面に蜂みたいな状態だった。

美術品泥棒の世知辛い現実を見てしまった……とか思ってたような気がする。

だいたい盗みに入るのは模倣品だとバレるリスクが少なく、絵のネームバリューに満足しているような大金持ちの家なんだから、ついでにお金も少し掠めてくればいいのに。

一度そう言ったら

「泥棒はモラルが大事なんだ。欲張るのはよくない」

と思いっきり説かれてしまった。意外だ。

外国に来たは来たけれど、そもそも外国語もできない今の私の生活には、絵と彼とコンビニのおばさんしかいないので、私としてはあんまり変わった感じはしない。

最初のころは大変だったけれど、もう完全に適応してしまっている。

細かいところは変わって大変だったけど、もっと大きな何かが変わってしまって大変だった記憶がない、というのがいちばん正しいかもしれない。

何言ってるのかわからんな。

コーヒーを一口。チョコを溶かして味を濃くした私用のブレンドは、落ち着きたいときにピッタリだ。

ふと携帯を見ると、メールの受信数が999+を示している。

迷惑メールとかもあるんだけど、だいたいこれはそのまま私が故郷に置いてきた人とのつながりの数だ。もう連絡は取ることはないけど、消すことも、着信拒否もできないでいる。自分でもどうにかしろよと思わないでもないけど、削除や着信拒否設定をしようとすると、どうしても指が止まってしまう。

私もまだ、少し怖い。

あのとき、彼が私のことを認めてくれたけど。

それでも、まだ怖いこともある。

怖くても、やるしかないのだけど。

怖くてもやってみたかったんだけど。

「ね、うまく書けてる?」

「ん? 当然! 今日も自信をもって交換してこれたしね」

……………とーぜん、か。

あーあーあーあー、たぶんこいつは何も考えずに言ってるんでしょうね。

その当然が、いつまで続けられるか、私は心配してるんだけど。

当然できると思われていることが、明日もできるとは限らない。今までできていたことが、明日になったらできなくなるってこともある。

それに、私はしっかりとした、ゆるぎない確証を持って模倣しているのではないから、なおさら。

楽しいけど、私はあなたに見限られたらどうすればいいのかな?

「ん……そう」

おもむろに彼の手を取る。

こいつは、あのとき自分が言ったこと、本当にわかってるのかな?

私の心に入り込んできて、緩やかに死ぬだけだった心に火をつけて。

ちゃんと連れて行ってくれるの? 

そういう意図を込めて視線を送るけど、彼は何も気づいてなさそう。

でも、そんなことを口に出すような関係でもないから、私は壁に掛けられた贋作たちを見つめる。私が作った贋作たち。贋作と本物を誤認させるとき、何より問題なのが、作られてから過ぎた時間だ。そっくりな贋作をつくっても、経年での変化がなければ一瞬でわかる。最初から現状とそっくりに仕上げても、ひびとか、見た目は同じようにできても、時間の痕跡まではなかなか難しい。

といっても、これは全部彼の受け売りだけど。

いま飾ってあるのは、その点で本物とすり替えるのが難しそうだったものたち。大富豪の個人的な収蔵なら、見る人が限られるのでバレにくいのだけど、美術館の展示品などになると見る母数が増えすぎて贋作だと見破られかねない。

ただ、どれも我ながらなかなかの力作だ。自分で言うのも何だけど、かなり本物に近い……と、思う。あれを見ると、私もまだまだ捨てたもんじゃないなって思えるから、今日みたいな気分の時はよく見る。

「絵を見てるのか?」

「……そう。よくわかったね」

「あはは、本物があるとやっぱり捗る?」

「そうでも……って、え?」

本物?

「? でもきみの絵も本物と見分けがつかないからこっちがきみのだって言われても信じちゃうけどさ」

「もしかしたら、だれも本物の区別がつかないかもね」

彼の口ぶりでは、これらの飾ってる贋作たちは本物らしい。

……マジ?

「いや……あれって私の描いた贋作じゃないの?」

「そんなことないって、たぶん本物だよ」

「たぶん?」

「……絶対」

「間があったよね! というか、アレ本物は美術館にあるものじゃないどうやって盗ってきたのよ!」

「輸送中にちょっとね」

「というか、本物だったらバレるでしょ……勘違いじゃないの?」

「今のところ問題になってないから大丈夫だよ」

「あ、そう……って、そういうことじゃない!」

「大丈夫。だれにもわからないよ。何がほんとでなにが嘘かなんて、そもそも芸術を見るひとたちには大したことじゃない。きみの絵は、たとえ本物じゃなかったとしても、僕たち鑑賞者を納得させる力がある」

「………」

「それで十分。きみの絵で世界を満たすんだ。だれにも知られずに、世界中のいろんな場所にきみの絵がある。それってきっとすごく面白いよ」

「芸術家に真贋が大したことじゃないなんて、言うな。 ……馬鹿」

彼は今言ったことなんて明日には忘れているんだろう。

でも、私にとってはすごく大切なこと。

異国の地で、ふたりぼっちで、これから先もこのまま続けられるのかわからないけど。今日もいい日になったな。

ゆるんだ口元を見られないように、コーヒーに口をつける。

なんか、いつもよりちょっと苦くて、驚く。

ドリンクテーブルの上には、カカオ含有率80%と書かれたパッケージが転がっていた。


あっそうなんだ………唐突にわかってしまった。

私は歩き始めてしまったんだってこと。

不可逆な、先の見えない夢路を。


ひとりなら、何が起きても平気なのに。

ふたりなら、何でもできる気がする。

今、とてもドキドキしてる。子供が珍しい雲を見つけてはしゃぐみたいに。

自分でもびっくりするくらい。実は私、とんでもないことに気が付いてしまったのかも。

だって、こんなのを抱えていたらもう他の何かはいらなくなくなってしまう。

これからどんなにつらいことがあっても、今のこの気持ちにたどり着けたというだけで、もう後悔なんてしないと思う。そういう確信がある。

ほかの人たちはこれを持ってるのかな? 

持っているんだとしたら、なんでもっと早く教えてくれなかったんだろう。

ワクワクする。震える。暖かな気持ちになる。

矛盾した感情が、矛盾しないように私の中で綯交ぜになる。ミキサーにかけた果物がミックスジュースになるみたいに。

わかってしまった。たどり着いてしまった。

いやだなぁ。今までの自分が塗り替えられてしまった。塗り替えてもいいと思えてしまった。

塗り替えたいけど塗り替えたくなかったのに、塗り替えているのは私で、私がそうしたいからそうするしかない。

まだ怖い。まだわからない。まだ見えない。ほんとにひどいって、今までの私が文句を言うけど。

でも、それでいいんだって、思えてしまった。私は、それでいい。それがいい。



この驚きは、どうすれば伝わるんだろう?



筆を動かす。疲れたら、コーヒーを飲んで、彼の腕を取ったっていい。

私の絵はどこまでも広がってゆく。彼の手を借りて、誰にも知られず、けれど確かに。


筆を動かして、疲れたら、コーヒーを飲んで、彼の腕を取る。

次は、何をしようか?

四角く切り取られた窓を見上げる。

うすく靄のかかった空でも、いいかなって気がした。

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あさみどり 卸忍辱 @orosi_niniku

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