第19話タイムリープ3日目ー6

 退院する俺を迎えに来てくれたのは、真理だった。母親は仕事で忙しいから仕方がない。俺が行なったことに対して、母には大いに心配をかけた。そして、栄養をつけるようにと差し入れされたのは、例によって蜂の炊き込みご飯である。俺はちゃんと空気を読んで隠れて食べるつもりだったのだ。だが、母親はよりにもよってナースステーションにも蜂炊きこみご飯を差し入れしてしまって――ナースステーションは阿鼻叫喚となった。看護師さんには、本当に申し訳ないことをしてしまった。言っておくが、母に悪意は全く無いのだ。善意からの行動なのだ。行き起こしたのは、悲鳴の連鎖であったが。

 俺は、真理が届けてくれた服に着替える。真理が持ってきてくれたのは、当然のごとく私服である。動きやすい服装に、俺は満足する。病院で貸し出してくれる病衣は、どうにもごわごわして動きにくかった。定期的に選択してくれるのは、すごくありがたかったけど。

「お兄ちゃん、行こうか」

 荷物をまとめるのを手伝ってくれていた真理が言う。

 病室を出て行く間際に、真理は呟く。

「でも、どうして私……お兄ちゃんの同級生のことを知っているような気がするんだろう」

 真理は、少しばかり不思議そうだった。真理からタイムリープの能力は消えている。そして、自分がタイムリープの能力を持っていたということも忘れてしまっている。だが、タイムリープ中に経験したことは、なんとなくだが覚えているようであった。実は、俺の実の父親にも見られた現象であった。

 今の時間軸の真理は、大和のことを知らないはずだ。

 なのに、真理は大和の作ったドーナッツが半分の確立で砂糖が入っていないことを覚えていた。俺が指摘しなければ忘れていたが。

「不思議……なんでなんだろう」

 真理は、少しだけ考える。俺は、何も言えなかった。タイムリープの能力者については、分からないことが多すぎるのだ。俺がこれ以上口を出して、真理に負担をかけるようなことになったら目もあてられない。真理は、いつのまにか自分なりの答えをだした。

「もしかしたら、私の運命の人だったりして。ねぇ、お兄ちゃん――もしも、そうだったらどうする?」

 真理は、イタズラでもするかのように楽しげに笑っていた。これから大和に会うことを楽しみにしている顔であった。とても、可愛らしい。こんなふうに笑っている真理を見られるなんて、俺は本当に幸せな野郎である。

「どうもしないって。可愛い妹が決めた相手だったらな」

 俺は、できるだけ沈んだ声にならないように言う。

 真理は、大和を救いたいと願った。それは、恐らくは同情によるものも大きかっただろう。自分たちと同じように、父親に虐げられていたものに送る同情。

 真理は大和と過ごした記憶はおぼろげながらに思い出しても、真理は自分の感情は思い出さなかったようである。

「つまんないの」

 真理は、唇を尖らせる。

「私のカレシを見て、慌てふためくお兄ちゃんが見たかったのに」

 俺は真理の頭をなでて、荷物をまとめた。

 そして、支払いをすませて病院を出る。病院からでると、そこには大和がいた。手をポケットに入れて、どこか納得いかないような顔で俺たちを見ていた。今日は平日であるが、学校をサボっているから私服姿である。

「お前は、一体なにを考えているんだ?」

 大和は、俺に尋ねた。

 俺は、なんと答えようかと迷った。だが、なにを言っても嘘っぽく聞こえることが分かった。だから、せめて本当のことを言おうと思った。あの時は、大和のことを考えて伝えなかった言葉である。

「お前に殺人を犯してもらいたくないだけだ」

 大和は、顔をしかめる。

 いやそうな顔ではなくて、俺の行動が理解できない顔であった。

「電話のときも思ったけど……お前には、関係ないだろ」

 今の俺は、ココに引っ越してきたばかり。三日間の時間を何度も繰返したが、結局のところそれは俺しか覚えていないことである。真理は覚えていたけれども、タイムリープの能力を失ったから記憶も失ってしまった。

「関係なくない。俺は、お前にも知ってほしい」

 この世で、一番大切なこと。

 この世で、一番覚えておかなければならないこと。

「悲鳴を上げたら、誰かが聞いてくれるってこと」

 俺は、大和に手を伸ばす。

 大和は、俺の手をわずかに恐れた。大和のほうが身長が高くて、喧嘩したら絶対に大和のほうが勝つのに。それでも、俺の手を恐れる。

 ――かわいそうに、と俺は思った。

 こんなに、誰かに怯えているのに。それすら周囲に知らせることができなくて、可愛そうにと思った。

「俺は、お前の悲鳴を何度も聞いたよ」

 恐れるように、大和は俺から逃げ出そうとした。俺は急いで、大和の腕を捕まえる。そして、長袖の袖を捲り上げる。そこにあったのは、痣である。俺と真理には、見慣れた傷跡。その傷跡は、暴力の跡だった。

「悲鳴を上げれば、誰かが気づくんだ。今回は、俺が気づいた。だから、俺がお前を助けるよ」

 どうやって、と大和は尋ねる。

 その声は、震えていた。

「おれの父親は、俺の母親を殺しても――祖父が時間をもみ消した。たとえ、俺が殺されたってもみ消されるだろう。それに……この村では俺が死んでも悲しむ奴はいない」

 大和も俺も顔をあげる。

 のどかな風景が目に入る。しかし、この村は絶えず犠牲を求めている。自分たちが幸福ではないから、八つ当たりのための犠牲を求めている。残酷な心が表に表れても、誰も隠そうとはしない。

「収まりがついた、と思われるか」

 俺の言葉に、大和は頷く。

 この村の人間は、大和の家に恨みを抱いている。だから、大和の家に不幸があってもそれは不幸だとは思わさない。収まりがついたと思われる。

「なぁ、大和。血の繋がりなんて、そんな大層なものじゃない。それに、この村の住民全員が屑ならば逃げることだってできる」

 俺は、大和にそう伝える。

「そんなことができるもんか。ここに逃げ込むことは簡単だ。けど、出てくことは難しいぞ」

 大和の言葉を。俺は笑ってやった。

 心の底から、笑ってやった。俺の笑い声に、真理も大和も驚いていた。

「この息ぐるしい場所から、出てったこともないくせに」

 俺は、笑う。

 笑い、続ける。

 大和は、目を丸くしていた。

 そして、周囲を見渡す。自然に溢れる、田舎の風景。都会からくれば、癒しがあるような風景。だが、このなかに入り込んでしまえばとても息苦しい。限られたものしかない不自由、限られた場所にしかいけない不自由、そして自分たちこそが正しいと信じる人々。ここには、新しい風は入ってこない。

「たしかに……ここは息苦しい」

 大和は呟く。

 その瞳に、仏里への思いはなかった。大和にとって、ここは牢獄なのだ。俺たち兄妹にとって、都会が牢獄であったように。

「電車に乗っていこう。都会に出るなんて、あっという間だぞ」

 俺と真理は、大和をつれて駅まで行く。

 今日は平日で、乗客は一人もいなかった。けれども、俺が刺された事件があったばかりのせいなのか駅員が一人立っていた。駅員は平日の日中に訪れる俺たちに首を傾げていたけれども、私服を着ているせいか俺たちを呼び止めるようなことはしなかった。

 俺は刺された当事者だったので、呼び止められたらどうしようと思ったが駅員は俺の顔を知らないようだった。やってきた電車に三人で飛び乗った。

 その瞬間に、どうしてか俺たち三人は笑いがこみ上げてきた。とてつもなく、悪いことをしている気分になったのだ。電車には、俺たち三人しか乗っていなかった。

 相変わらず、乗客がいない電車だ。空いている席に三人で並んで座って、俺たちは都会を目指す。かつては、俺と真理が住んでいた場所へ。電車は田舎を離れて、どんどんと遠ざかっていく。

 驚くほど簡単に、田舎は遠くなっていく。大和が離れられないと信じていた場所なのに、離れることはあまりにも簡単であった。大和は離れて行く故郷を見つめていた。何を思っているのかなんて、正確なことは大和自身にしか分からない。

 でも、俺はほっとしているのだろうと思った。

 ようやく、大和は開放されたのだ。田舎という牢獄や屑の父親から、ようやく解放されて自由になったのだ。

「早く……大人になりたい」

 大和は呟く。

 その言葉は、俺や真理にも響いた。俺たち兄妹も同じ気持ちだったからだ。大人になれば、自由に屑から逃げることができると思っていた。俺たちは子供だから、タイムリープなんてズルイ手を使わないと屑から逃げることはできなかった。

「そうだな。早く大人になりたい」

 誰かが、そんなふうに大人に憧れるうちは子供なのだという。でも、子供は子供なりに酸素を求めて必至なのだ。大人は強いから、いつでも酸素を吸えるけど。

 がたん、ごとん、と揺れる車内。

 電車のなかには、俺たちしかいない。駅に止まっても、駅に止まっても、乗客たちが乗り込む気配はまるでなかった。都会に行くだけの旅路のはずなのに、このまま知らない国に連れて行かれてしまうような気がする。

「……何を考えているんだ?」

 大和は、改めて俺に尋ねる。

 どうやら、彼は気がついていたらしい。ただ単に、俺たちが都会へと連れ出そうとしているわけではないと。

「お世話になった警察関係者がいるから、相談に行く」

 この旅の目的を、ようやく俺は明かす。

 母親が屑と離婚するときに、家庭内暴力があったことを証明するために警察に相談した。そのときに、警察に知り合いができたのだ。今回も、大和の家庭のことを相談するつもりだった。

「俺がいやだという可能性は考えなかったのか」

 大和の言葉に「考えたから教えなかったんだ」と俺は答えた。電車に乗ってしまえば、ふん切りがつくと思った。だから、今になって教えた。

「……相談したら、全てが変わるんだろうか」

 大和は、怯えるように呟く。

 俺は、電車の窓から外を見ながら呟いた。

「分からない」

 変わって欲しい、とは思う。

「でも、後悔したくないんだ」

 タイムリープの能力は、もうない。

 だからこそ、あのときやっておけばよかったなんて後悔はしたくなかった。

 俺たちは、電車に揺られて都会を目指す。

 後悔をしない、ために。

 俺の肩が重くなる。どうやら、真理が寝てしまったらしい。俺は苦笑いしつつ、大和に「真理が寝てるから静かにな」と伝えた。大和はうなづいて、それ以上は喋らなかった。車窓に揺られて、俺たちは都会へと向う。

 

 後悔をしない、明日へと向うために。

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振り返ればあの時ヤれたかも 落花生 @rakkasei

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