第5話 機械と神秘

神秘と科学は似ている。

火をつける行為に神秘の力に頼る事と、化学の力に頼る事は何が違うのだろうか。


「機械の燃料は聖石の力で生まれたものらしい」


ファルがサラリと述べても、二人は不思議そうな顔をするばかりで理解をした様子はない。

詳しく、と言われると面倒であるし、ファルは弟のように専門家ではない。

易しい解説や説明は出来ないだろう。

面倒だし。


「ええと、ミレニアにはウェルスとファイスの話をしたかな」


した覚えがない気もしたので一応聞いておこう、と思ったのだが。

炎月がミレニアの耳元に顔を近づけて「ウェルスの創世神話のはなしだよ」と耳打つのが聞こえて、大丈夫そうだなとひとりで頷く。


「創世神話の聖石というのは今も存在していて、そこには神秘の力が宿って居るらしい」


神秘の力はウェルスの大地を巡り、昔から人々に親しまれていた存在だった。

ある者は神秘の力によって火を操り文明を発展させ、ある者は水を操り土地を豊かにした。

機械の始まりは、ある災害が起こった事だ。

7日かけて降り続く雨で北の山脈が崩れた時、深い青色の泉が現れたのだという。

その泉の水は神秘の力を多く宿しており、人々はその水をファイスの涙と呼んだ。


神秘の力を人でなくとも扱える様に、神秘を扱うことが苦手な人間でもその恩恵を受けられる様にとファイスの涙を使って進められた神秘の研究。

その研究の結果生まれたのが機械である。


「…その、ファイスの涙とさっきの狼? は一体なんの関係があるんですか?」


そういえばその話だったなあ、と思い出しつつ話を続ける。


ファイスの涙を燃料として使い続けていたある日、凶暴化した獣が人々を襲う事件が多発するようになった。

突き止められた原因がファイスの泉だった。

ファイスの泉は聖石から大地に巡っていた神秘の力そのものだったらしい。

機械はその泉の水から使用する分だけの神秘の力を動力として使い、使わない力の宿った水を排水して大地に垂れ流した。

1部だけを抜き取られ、均衡の崩れた泉の水は赤く染まり、大地を穢した。

その穢された水に触れた生き物達は次々と狂い、汚染獣と呼ばれる存在と化した。


「イッヌじゃなかったのか…」


と、炎月が意外そうに呟くものだから、ファルは思わず噴き出しそうになるも何とか堪える事に成功する。

イッヌ、と非常に発音しにくい名前になっている事もファルにとって面白いことの一つだが、一番面白いのはそれが名前であると確信していた事だ。


「汚染獣……排水…そういえば、ファルさん機械の排水管壊してませんでしたっけ?」


咎める様な表情で睨んでくるミレニアに落ち着こうかと、ひらりひらり手を振って「大丈夫だよ」と教える。

壊したのは冷却水を循環させている管であって、ファイスの泉を流している管ではない。

大丈夫と答えても、ミレニアの睨む視線は止まなかったが。


「つまりこの辺りには汚染された土地っていうのがあるのか…」


「そうなるな」


炎月の疑問を聞いてなのか、ミレニアが首を傾げて訝しげな表情をする。

どうした、とファルが疑問を口に出すように促す。


「汚染された土地というのは、どうしたら戻せるんですか?」


当然の疑問ではある、と思いはするがファルには説明が難しい部分ではある。

話していい話と、話すことでミレニアが危険に晒される話があり、その区別が大変難しいからだ。


「神秘の力が扱える者なら、浄化する事が出来るんじゃないか? あまり酷過ぎれば皇帝一族にしか出来んだろうが」


ふむ、と考え込んでいるらしいミレニアにファルはほんの少しばかり嫌な予感がした。

生まれながらの善性なのか、彼女は正義感の強い優しい子であるので、そういったをどうにかしようとするのだ。

多分、ロセ……ファルの弟の血だろう。


「神秘の力って私にも扱えますかね…」


ポツリと呟いた言葉は予想通りであったが、実に面倒な事になったなあと内心で呟く。

神秘の力の扱い方などファルは教えた事がないので、ミレニアには無理だろう。


「少なくともファルは使えるだろ、多分」


炎月がファルを真っ直ぐ見ながら指摘する。

…この勘の良さは炎月が生まれ持ったものなのだろうが、少しばかり厄介である。

指摘の通りファルは神秘の力を、得意ではないが扱う事が出来る。

だからと言って、汚染された土地を浄化する為に動きたくはない。

それは面倒臭いから…ではなく、時間が無いだとかミレニアを危険に晒す可能性が高いから…という理由なのだが。

ファルはミレニアの気配を探る。

訝しげにファルの顔色を伺っている様子は、自分が危険にさらされているなんて思ってもいないのだろう。


「…行かないからな?」


…説明はしない、とファルは最初から心に決めていた。

説明をした時、危険に晒されるのはミレニア自身なのだから。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


ミレニアは納得はしていない様子ではあったが、従順に「わかりました」と答えて布団に潜ってしまった。


…炎月には少しばかり気になる事がある。

ミレニアがあまりにも無知すぎる事だ、常識が幾らか欠落しているのはまだ世間知らずで済むかもしれないが、自分の暮らす国の事すら分からないというのはさすがにおかしい。


「…ファル」


「うん?」


ファルは穏やかに微笑んで首を傾げる、けれど炎月の聞きたいことはお見通しのような気もする。


「ミレニアに何で何も教えなかったんだ、今まで」


ファルはミレニアと違い、明らかにこの国での常識や近況含め全て知っていた。

教えようと思えば教える事が出来たはずなのだ、面倒だからと言って放棄していいことでは無い。

それは、ファル自身も分かっている筈で…その上でミレニアに今まで何も教えてこなかったように炎月は感じていた。

…炎月の知っているらしい誰かに、彼女が似ているからだろうか。


「…小さな田舎に閉じ込めていれば、誰もあの子を知らないだろうし見つからないと思っていた」


ファルが目を伏せながらポツリと呟くように話し出す。

口元が微笑んではいるが、どこか後悔のようなものを感じる表情だ。


「あの子の身を守ろうと思って、何も教えないでいた。聞かれてもはぐらかしていた。」


残酷なことをしているのは百も承知なのだろう、ファルは穏やかだが申し訳なさそうな表情をベットで眠るミレニアに向けている。

…あの表情をいつも向けられているのだとしたら、お人好しそうなミレニアは無理に知ろうとはしないだろう。


知らない、興味を持たない。

そうさせることで、ミレニアを小さな村で誰にも知られぬように守ってきた。

17年間も、だ。

そこは純粋に凄い事なのだと、炎月にも理解はできる。

だが、好きなやり方ではないと思ってしまうのは何故なのだろう、と考え込む。


「…子供はそろそろ寝る時間だが、寝かしつけてやろうか昏倒させてやろうか?」


「遠慮シマス」


ファルの微笑みに尻を叩かれながら炎月もベッドにもぐり込む。

モヤモヤとした気持ちは残っている。

ふと、自分の記憶は一体どうして無くなっているんだろう、自分はどこの誰なのだろうという不安が芽生えかけるが、一日に多くの情報を詰め込みすぎたせいか、眠気の中に全て消えてしまった。


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┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


…ゆっくりと目が覚めた。

未だ眠気で重い瞼に、夢の残滓が張り付いているような気がして思い出そうとする。


​───────小さいミレニア、可愛いミレニア。


…優しい、歌うような女の人の声。

誰なんだろうか、あの人は…


「ミレニア」


ふっ、と正気に帰る。

ファルが穏やかな笑顔を浮かべて此方を見ていた、ぽすんと乗せられた手のひらが冷たく、直前まで何かしていたんだなと感じた。


「炎月を起こしてはくれないか、私が起こそうとするとどうにも二度寝させてしまうみたいでな」


仕方ないなあ、とミレニアが体を起こせばそれは嫌でも目に入った。


「…ああ、二度寝ってそういう…」


頭頂部にたんこぶを作った炎月が、床でのびて動かなくなっていた。

揺すっただけでは起きなかったのか、それともファルが面倒臭がったのか、殴って起こそうとした結果なのだろう。

ため息を吐きながら、ミレニアはカバンから小瓶と布を取りだした。


ファルが集めた材料で作った、ミレニア特製の気付け薬である。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


「…っげほ」


宿の入り口、扉を避けて炎月は座り込んでいた。

嗅がされた気付け薬の臭いがあんまりに酷すぎて、いまだに喉の奥に何かが引っ掛かったような感覚がある。

ファルはなにか俺に恨みでもあるのか? と失った記憶に問いかけつつ、壁に寄りかかりながら空を見上げ、ファルとミレニアが宿から出てくるのを待つ。


「お待たせしました!」


ミレニアが扉を開いて現れ、その後ろにファルがついてきている。

炎月は何となくファルの顔が見れなくなってきているので、視線をミレニアに戻しつつ「おう」と短く答えた。


「次の目的地はどこでしょうか」


と、ミレニアがファルを見上げながら聞けば、ファルは「そうだなあ」と言いながら一度動きを止めて、考え込むような集中した表情になる。

ふと、ファルの瞳が妙に気になってじっと見つめていれば、ファルが顔を上げて笑顔を見せたので、炎月は慌てて顔を逸らす。


「ここから東に行けばたしか町があったはずだから、とりあえずはそこへ向かうとしよう。」


地図を見ることもなく、「たしか」という記憶に頼りきった情報に、ミレニアが怪訝そうな表情で、「それ、どれくらい遠い、どんな町なんです?」と訊ねるが、ファルは首を傾げるだけで答えてくれそうにない。

…分からないと取るか、答えたくないと取るか。


ファルの性格なら後者で、しかも面倒くさいからという理由なのもあり得そうなのだが。

なんとなく、違うのかもしれないという考えが炎月の中にあった。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


炎月の手には再び引き金のついた剣が握られていた。


「…なんで?」


「片刃剣は得意だろう?」


そういう話だっただろうか。

そもそも、前になんの話をしていただろう。

ファルの話はいつも唐突で、こちらの事情を待ってくれたりはしないから、炎月もミレニアも振り回されるしかない。


町と町を繋ぐ道には、野性動物が暮らす場所に近い所もある。

たとえば、今炎月達が通り過ぎようとしている森だ

りすが木の枝からこちらを見下ろしていることもあれば、鹿とすれ違うこともある。

…そう、野性動物が普通にいる。

ということは、汚染獣が襲いかかって来ることもあるのだ。


そうだ、そんなことを考えているときに唐突に武器を渡されたのだった。

その前に会話などはなく、こちらが丁度危険性に気付いた瞬間を狙ったかのように。


「…不気味に思われてたりしねえの?」


と、純粋に疑問に思ったので炎月が訊ねれば、答えはファルからではなく、ミレニアの方から返ってくる。


「思ってます、私が」


身内じゃん…。

思わず哀れみの表情をミレニアに向けつつ、剣を片手に持ちつつ柄の握った感覚を試したり、引き金を僅かに引いてどれくらいの力をかければ良いのかを確かめる。

ファルがその炎月の様子をやたらと観察してくるため、ほんの少し緊張するものの、無事確認を終える。


「思ったんだけどこれ片刃剣の扱いじゃなくね?」


「ああ、だろうな。」


ミレニアの視線がファルに深く突き刺さった。


炎月はその様子をため息混じりに眺めていたが、ふと視界に気になるものを見つけて足が止まる。

森の緑のなかに、赤い色が見えたのだ。


「…炎月?」


立ち止まった炎月に、ミレニアが心配そうに声をかけながら肩に手を置いてくる。

ファルの奔放さに炎月が怒ったのかと心配している様子だが、そうではないと振り返ろうとしたところで、急に背筋が冷えた感覚がした。


「…!?」


「足元失礼」


炎月が武器を構え直すよりも前に、ファルが炎月に…ミレニアを巻き込みながら足払いをかけたことで、二人揃って地面に転がる。

その上を大きな影が通りすぎていったのが、炎月にも確認できた。

色々と文句が言いたくもあったが、まずは体勢を整えつつ、ミレニアに逃げる準備をさせるのが先決だと、立ち上がりながらミレニアの腕を付かんで立たせ、炎月も武器を構えながら体勢を整える。


影の正体を見ようと、まずファルの視線を追うが…ファルの視線の先には茂みがあるだけでなにかいる気配はない。


「さっきの影なんだった?」


「そこにいると思うが鹿だった」


茂みにいるわけではないのか、と頭を抱えそうになりつつぐるりと視線を巡らせれば大きな鹿が目にはいる。

…いや、本当に大きい。

炎月の身長は小さくない。

だが、鹿の頭は大きく見上げなければ見えない。


「でかくね?」


思わず指差しながらファルに聞けば、ファルはこちらを振り向くことなく笑顔で「そうだな」と返してくる。

そうだな、じゃないんだが。とミレニアの腕を掴みながら攻め口を探しつつ「どうするんだ?」と炎月が訊ねれば、ファルはくるりと炎月達をを振り返って歩いてくる。


「逃げるぞ」


「もっと早めに言え?」


文句を言いつつもミレニアを先に(歩きで)下がり始めたファルの方へ押し、炎月は巨鹿から目を離さないようにしながら後退りを始める。

逃げた後にどうするのかは疑問に思いつつも、炎月には巨鹿の情報が何一つない状態で戦うことがどうにも恐ろしく感じ、どこか慣れた様子のファルに指示を仰ごう、と。

ミレニアの足音が遠くに消えていったのを確認してから、素早く木の幹を駆け上がり枝と枝とを移りながら二人の後を追った。

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羊と機械 ラスクのみみ @Rasuku-pannomimi

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