第4話 少年と剣

イッヌに追われて何分たったのだろうか──────

炎月は死んだ魚のような瞳で空を見上げた。

現在地はある住居の、おそらく暖房設備等の為に作られた機械の上…ぎりぎりイッヌが登って来れない所だ。

逃げている間、一応人とは遭遇したのだが…誰もが二人を追っているイッヌを見て逃げてしまった。

助けろよ、とは炎月もミレニアも思わない。

実際自分もそうするだろうし、今実際にし続けている。

こんな凶暴な生き物を素手で倒せる気がしない。


「ミレニア、あの壺ってもう無いの?」


「狼避けですか? 流石にもう無いですね」


狼避けと聞いて、なぜミレニアがあれを持っていたのか納得する。

羊といえば狼が天敵だ…が、正直原液そのままはやり過ぎでは? と炎月は思う。

明らかにあれは薄めてない。

元々羊飼い故に狼に対する恨みが強いのだろうか?


「おやおや、何をしてるんだ君達は」


聞き覚えのある声に二人揃って顔を上げる。


「ファルさん!」


ミレニアの驚いた声と対称的に炎月は視線がファルの手元に吸い込まれる。

ファルの手には少し変な形をした片刃剣がある。

幅広で直刃、柄には何やら引き金に近い物が付いている。


バリッと嫌な音に炎月の意識は引き戻された。

イッヌが2人の乗っている機械を壊し始めた様で、機械の外側を保護する金属板を紙でも食いちぎるみたいに剥がしている。


どうするんだこれ、と青ざめる炎月のすぐ側にトスンッと剣が刺さる。

火花が散ったのを確認した炎月はそっと目を伏せ、この機械もう逝ったな…と現実逃避をしてからファルを見る。

剣を投げたのはファルだ、まるでボールを幼子に放る様な優しさで剣を投げて容赦なく機械を壊した。


「アンタ機械に恨みでもあるの?」


「片刃剣は君の得意分野だろう?」


話通じねぇな此奴、と大きな溜め息を吐きながら剣を引き抜く。

感電するかと最初は手の甲で触ったが、的確に機械を殺す位置に落としたらしくバチッすら感じなかった。


「ファルはどうすんの?」


と、機械の上からイッヌを突く構えを取りつつ、炎月が問うた………それと、ほぼ同時だろうか。

ファルが蹴りで街灯を破壊したのは。

ファルの蹴りで途中から寸断された哀れな街灯は、重力に従って地面に落ちかけた所を哀れな事に、ファルの手のひらに収められる。


「……………。」


ミレニアの物言いたげな目がファルを刺し殺す勢いで見ているが、ファルは気付いていない様子で街灯を槍の様に軽く振り、イッヌを見ている。


「ミレニアここから動くなよ!」


と、ミレニアに告げて炎月は飛び降りる。

そして金属板に齧り付いているイッヌの頭に向けて突きを繰り出す。


「元気がいいなあ」


などと言いつつ、ファルはくるりと手のひらの中で槍を回して持ち直した。

…持ち直す必要があったのかは不明だが、満足気に頷き、


「っぶね」


路地全体を薙ぐようにして街灯(だったもの)が振るわれる。

イッヌから剣を引き抜きかけていた炎月を巻き込みかけながらも、それはいつの間にやら増えていたイッヌの胴を捉えて勢いよく吹き飛ばした。

かわした街灯の風圧に、そして壁に叩き付けられ目の当てられないカタチに変えられたイッヌの姿に皮膚を粟立たせながらも体勢を立て直す。


頭や胸が冷えていく、しかし皮膚や手が燃えるように熱くなっていくのを炎月は感じていた。


2体ではない、まだ来る。

まだ居る。

何故かは不明だが、漠然とそれだけは把握する事が出来て、安全地帯となっている場所から降りようとするミレニアを手で制した


「ふうむ、長柄の獲物はこういう場所では些か不利か…?」


街灯の穂先代わりを見つめながらファルが呟くのを背後で聞く。

確かに、長柄となると振り回すのは大変だろう。

先程は上手く炎月が避けたから良かったが、この状態では連携は取れそうにもない。


考えている内に、獣の足音が近付いてくるのを感じる。

深く考えている時間はない、と首を巡らせて現状の確認をする事にした。


炎月達の居る路地は袋小路になっており、おそらく路地に設置された暖房用の機械類を整備する為に用意された場所だ。

路地の幅は、子供の背丈辺りから蹴りで寸断された街灯を振り回してギリギリ壁に当たらない程度。

逃げられる道は無い、が。


(防衛には向いている気が、する)


炎月の視線がファルに吸い込まれる。

ファルは最初からずっと炎月を見ており、目が合った途端穏やかに微笑んだ。


「ババア!」


「バッ…!?」

「うん、どうした?」


炎月の指さし放った言葉は、正直言って失礼以外の何物でもないが、ファルはそれを受け入れた様子で頷く。

動揺しているのはミレニアだけだ。


「俺は前で各個撃破する! だからババアは俺の撃ち漏らした奴を倒してミレニアを守れ!」


ファルの返答は微笑みを湛えたまま、目を伏せるだけだった。

炎月はとりあえず了解したんだろう、と考えて剣を構える。

正直今の武器の使い方は分からない、何故引き金が付いているのかも不明であるし、そもそも手に持ってみて馴染みが無い。

ただ、剣の振るい方や戦う時の体の動かし方は分かるようだった。


やがて、角から六匹ほどのイッヌが現れる。

炎月が駆け出そうと、足に力を入れた所で


「炎月」


と背後からファルの声がかかり、たたらを踏む。

今いい所だったんですけど、とほんの少しじとりと睨む様な目でファルを振り返れば、わざと足に力を入れたタイミングで声を掛けたのだろう。

にこり、と微笑んだファルがそこに居た。

…ババアと呼ばれた事を少し気にしているのだろうか?


「その剣、振る時に引き金を引いてみるといい。面白い事になるぞ」


つまり、ろくな事が起きないのだろうなと前を向き直した。

しかし、武器の機能を知らないというのはそれだけで罪だ。

余裕があれば引いてみるか、と考えながら漸く前に駆け出した。


先頭の一匹が炎月の腕目掛けて飛び込んでくる。

炎月は前に進む力を殺す事無く、右足で強く踏ん張り飛び上がる。

イッヌより高く、無駄な動作を省いて短く、宙返りをする様に。

その動作の途中でイッヌの背中を撫でる様にして斬り付け……


「やっべ浅かった!」


本当に撫でるようにしか斬れなかった。

後悔しつつも足を止めることは無い、手負いの獣ならあの機械を登ることも出来ないしファルもいる。

着地した低い体制のまま直ぐに前に飛び出す。

手負いになった仲間の事など気にも止めず、ただ餓えに狂った様子で大きく口を開いて食い掛かろうとしてくるイッヌ。

その口に前進しながら剣を振るい、深く斬り込んだつもり…なのだが。

キャイン、と声だけ聞けば可哀想な鳴き声を上げてイッヌが2回3回と床を跳ねて転がる姿を見て首を傾げる。

どうもおかしい、深く斬るつもりで斬っても鈍器で殴っている様にしか感じない。


後ろから風が吹いた。

べチャリと炎月の左頬を濡らしながら、イッヌだった肉塊が路地を吹き飛んでいく。


「ひとついい事を教えてやろう、その武器はとんでもなく斬れ味が悪いぞ」


「先に言ってくれませんかねぇ!?」


通りで思った通りに斬れない訳だ、と思いつつどうやら前にとても鋭い剣を振るっていたらしいと察する。

と言うより、鋭くない剣って何だ鈍器か?

そこまで考えて思い出す。

いやいやそんなまさか、と思いつつも構える。

イッヌ達は一匹を殺され、もう一匹も傷を負わされたせいか警戒したように距離を取っている。


…剣に細心の注意を払いながら、一歩で間合いを詰めて引き金を引く。


​(──────!?)


爆発音と共に腕が持っていかれる感覚がする。

肩が外れる! と頭が理解する頃には、体が自然と腕に合わせて足を大きく動かし

踏み込んだ足で地面を蹴上げ、そのまま空中でくるりと回転して勢いを殺すついでに…と言った感じで着地点の前にいたイッヌの頭蓋を剣で叩き潰した。

……振り返れば、最初に斬りかかったイッヌは首から腰にかけて斜めに切り込まれて転がっていた。

斬れ味の悪いはずの剣が、あの裂け目の中を通って行った事になる。

そして、そのついでにもう一匹のイッヌの頭蓋を砕いたと。


今回は何とか制御出来たが、正直言って自由に制御出来る勢いでは無いので今すぐモノに出来るような代物ではない…と、引き金を僅かに触りながら苦い顔をする。

引き金を引いた時、大体一回転する間を制御する事は少なくとも今は出来ない。

そして勢いを無理に抑えようとすれば、腕がイカれる。

つまり、今の炎月に出来る唯一の戦闘方法は、引き金を引いた時の勢いをイッヌにそのまま叩き付けるという戦闘方法だけである。


​(…これが獣相手でよかった。)


そんな考えが炎月の頭をよぎっていく。

炎月が心優しいからそういう考えが過ぎった訳では無い。

人間相手なら、炎月が武器の扱いに慣れていない事は察したであろうし、そういった人間は大抵直ぐに対策を建てて此方を殺してくるものだからだ。


剣を構え直し、さっき引き金を引いた時の勢いを思い出す。

通常の獣であれば今頃戦意を喪失していそうなものであるが、イッヌ達は狂ったように唸りながら臨戦態勢をとっている。

やはり何か、普通の獣と違うんだろうと考えながらも炎月は再び引き金を引いた。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


「言いたい事は幾つかあるんだけどさあ……街灯はもぎ取るもんじゃないから止めろ?」


という炎月の言葉を、実に不思議に思うような顔で眺めているファル。

それを、機械から降り溜息を吐きながらミレニアは眺めていた。

17年共に居た相手なので、分かってはいるがやはりこの叔母には常識というものが欠けている気がしてならない。

おそらく、知ってはいるのだろうが知っていて無視している節があるように思える。


「そこにあったから使えると思った」


…こういったことをと平然と言ってしまうから、困ったものである。

ミレニアはこう言った常識を無視した発言を聞く度頭を抱えてしまいたくなるし、炎月も困惑のあまり「頭痛が痛い…」等と訳の分からない発言をしている。


「おおい大丈夫かあ!」


ふと、大人の男性の声が聞こえて顔を上げる。

角から出てきたのは2人。

知らない顔の人間…それも大人に、若干の警戒心を抱いてファルの後ろに隠れる。


「ああ大丈夫そうだ、な………?」


男性がファルの持っているものに目を奪われる。

ミレニアも男性の存在に気を取られて忘れていた事を思い出す。

ファルは蹴りで壊した街灯を武器にしていたのだ。


「えっ? あれ、街灯、武器、あれ? …貸し出しましたよね?」


貸し出された武器、というのはミレニアにも覚えはある。

炎月が持っている大きい変なナイフのような物だ、多分あれが貸し出された武器なのだろう、少なくともあんなものを家から持ち出した覚えはないし、そもそも出ていった時のファルは手ぶらだった。


「ああ、そこに居る子に貸したぞ」


とファルが炎月を指さすも、男性は炎月を見る事すらせずに「なんで又貸ししちゃったかなあ!」と頭を抱えて蹲る。

その様子に心の底から申し訳ない気持ちになりつつ、ファルの背中を人差し指で強く押す。


「落ち込んでいる所すまないんだが、あそこの暖房用の機械も壊した」


男性が「何故?」と問いたげな顔でファルを見上げるのを見て、今度はミレニアはそっと頭を抱えて蹲った。

確かにだんぼう、という機械は壊す必要が無かった筈なのだ。(だからといって街灯が壊す必要があったと言いたい訳では無い)

いや、その前に獣に傷をつけられたり外側を剥がされたりしていたのだが。

ファルがあの武器を機械に刺さるように投げなければ深刻な被害は出なかった筈なのだ。

隣に炎月が少しばかり行儀の悪い座り方をした為に顔を上げれば、ファルは男性と何やら会話を続けていた。

報酬が…とか減額…とかの単語までは理解出来るが、それ以外はいまいち理解はできない。


「こりゃ被害額引かれて報酬は雀の涙だろうな…」


炎月が耳打つ。

一応、今のうちに聞いておくべきだろうと炎月に「なんの報酬ですか?」と訊ねておいた。

今回の質問に関しては、炎月が「なんで知らないんだコイツ」みたいな顔をしないので、おそらく一般の人間は知らない事も有るのだろう。

……炎月がミレニアの無知を諦めた可能性もあるが。


「護衛ギルドって言って、商人とか普通の人とかが移動する時に凶暴な動物に襲われないよう護る人らが居るのな?」


……いわゆる、羊飼いや牧羊犬の人間バージョンだろうか?

と、自分にわかる常識で噛み砕きながら続きを促す様に相槌を打てば


「で、多分あのババアは護衛ギルドに仕事を探しに行って、今回たまたま俺達が襲われてたのが初仕事になったって事」


被害額の方が大きくないだろうか? と遠い目をしながら「そうですか…」と相槌を打って気付く。


「炎月くん、女性にババアは駄目ですよ」


「今それ言う?」


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


結果的に報酬が貰えたかどうか、となると。

驚く事に貰えたのである。


「確かに様子のおかしい野犬だったけど、ここまで払うか普通?」


と、炎月が疑問を口にする。

ミレニアは相場がわかっている様子ではないが、ファルは事情を知っている様子で、説明しようと珍しく口を開いてくれた。


「様々な機械を動かす為の燃料は、なんだと思う?」


固まる。

正直な話をすると、炎月は機械の存在は知っているものの、その仕組みまでを理解している訳では無い。

つまり、この手の質問に弱いのだ。

恐る恐る顔を上げればファルがにこり、と微笑んだ。

ふと頭痛が襲う。


​───────勉強不足だな。


誰かの微笑みと重なった様な気がして、炎月は頭を振って誰かの記憶を振り払う。

ぽんと頭が重くなったのを感じ、顔を上げるとファルが炎月の頭に手を乗せて微笑んでいた。


「宿で詳しく話してやろう、少し休め」


「…おう」


唐突な優しさに困惑してその背を見送っていると、ミレニアが心配そうに炎月の顔を覗き込む。

どうやら、あまり良い顔色では無いらしいと理解しながら、ファルの話を聞く為にミレニアと並んで宿に戻った。

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