事故物件に最初に住むのは

夢月七海

事故物件に最初に住むのは


 編集長に命じられて、俺はとある高層マンションの一室を、近くのビジネスホテルから見張っていた。

 その部屋は元々、某会社のOLが暮らしていたが、彼女は過労が原因で三月前に首吊り自殺をしたと報道された。


 彼女の家族や友人にも、会社のブラックさについても散々取材されていて、この件に関しては何も搾り取れないだろう。

 しかし、編集長は独自のネットワークから、すでにその部屋に借り手が付いているという情報を手に入れていた。


 俺は半信半疑だったが、深夜一時過ぎに、その部屋に電気が付いたのを見て、その情報が真実だと確認した。

 ニュースになるほどの事件が起きた部屋を、いくら安値だからと言って、こんなに早く借り手が来るはずがない。この部屋を借りたのは、編集長の言っていた通り、不動産屋の雇われ人だろう。


 部屋を借りる場合、前の住民が自殺した場合、不動産屋はその事を知らせるという告知義務が生じる。

 そこで不動産屋が雇った人物に事故物件を借りてもらう事で、晴れて彼らは「前の住民には何の問題はありませんでした」と言い切ることが出来るのだ。


 俺の目的は、このように雇われて部屋を借りた人物に取材を行うことだった。

 一先ず、相手方の生活リズムを知ろうと、昼間の十二時から見張っていたが、部屋の電気が付くのは予想以上に遅かった。他にも仕事をしているのかもしれないと、手帳に記載する。

 結局、電気が消えたのは、三時を過ぎてからだった。






   △






 編集長の情報網は恐ろしいもので、このマンションのオートロックの番号を俺に教えてくれた。

 公安の刑事や暴力団組員に取材して、そこそこ修羅場をくぐっている俺でも、編集長は一番逆らってはいけないのだと、骨身に染みこんでいる。


 翌日土曜日の十一時、俺は例の部屋の前に来ていた。

 会社勤めなら土曜日は休みで、昨晩が夜勤ならば昼間に部屋にいるのだろうという予想からの行動だった。


 ドアをノックする。返答はない。

 耳を澄ましても何も聞こえないが、長年の勘が、ここには誰もいないと言っているようだった。


 念のため、もう一度ドアを叩くと、ガチャリと開く音がした。

 しかしそれは、隣の部屋からだった。


「その部屋に、何かご用ですか?」


 目の下にクマのある、青白い顔色をした男性が、玄関から半分体を出して、怪訝そうにそう尋ねた。

 俺は彼に向き直り、「こういう者です」と名刺を出す。

 名刺を見て、「はあ、記者さん」と呟く彼に、俺は取り出したペンで例の部屋を指した。


「ここの住民について、聞きたいのですが」

「ああ、彼女のことですか」


 俺は早速手帳に、「入居者は女性」と書いた。

 男性を見ると、彼は何かを思い出すように、上空を見ながら続ける。


「いつもいつも、早くに出て、帰ってくるのは遅いなと思っていたんです。土日もよく返上していて。ブラック会社に勤めているのは、最近知りました」


 俺はその言葉をそのまま書き写す。

 前の住民と同じだと、一瞬だけ思った。


「彼女は、どんな印象でしたか?」

「引っ越しの挨拶で、喋ったくらいですが、明るくて、はきはき喋る女性でしたよ」


 引っ越しの挨拶をしていたのは意外だった。

 後ろめたさから、近所づきあいは避けているものかと思っていたのだが。

 しかし、彼は下を向いて、残念そうに呟いた。


「でも、まさか自殺するなんて」

「えっ?」


 俺が訊き返すと、彼は不思議そうにこちらを見た。


「××さんの話ですよね?」


 彼の口から出たのは、以前の住民の名前だったので、俺は首を振る。


「いえ、新しくここで住んでいる人物についての取材です」

「新しく……あれ以来、ここには誰も住んでいませんよ?」


 彼がそう断言したので、俺は妙な焦りを感じ始めていた。


「しかし、深夜一時に、この部屋の電気がついていたのを見かけたんですよ」

「見間違いじゃないですか? 僕は在宅の仕事をしているので、引っ越しの挨拶が無くても、隣に荷物の搬入とかあったら、気付きますよ」


 彼の正論に、俺はぐっと言葉に詰まる。

 確かに、部屋が借りられたという記録があっても、実際に住むとは限らない。深夜の電気は、本当に見間違いか、偶然だったということだろうか。


 男性に礼を言い、俺はこの場を後にした。

 しかし、まだ諦めきれない気持ちがあり、今日もビジネスホテルから見張ろうと決めた。






   △






 夜の一時を過ぎて、また、あの部屋に電気が付いた。

 俺はそれをビジネスホテルから確認すると、早速その部屋へと向かった。


 俺は大分意地になっていて、こうなったら非常識でも何でもいいから、部屋の住民に取材をしてやろうという気持ちになっていた。

 ホテルから出て約五分後、俺は再びその部屋の前にいた。


 ノックを二回……返答はない。

 ドアに耳を当ててみるが、何も聞こえない。


 無意識に、ノブに手が伸びて、ガチャリと回していた。

 驚く俺をよそに、右手は勝手にドアを引いていた。


「……すみませーん」


 むあんと籠ったような空気を浴びながら、俺は中に声をかける。

 玄関、廊下、一枚のドアの先のリビングまで、電気はすべて点灯していた。


 もう一度「すみません」と叫びながら、室内に入っていく。

 廊下に面したドアは、全て閉まったままだった。


 俺は、足音を立てないように人の気配のない廊下を進み、リビングのドアを開けた。

 白々しい光に照らされたそこは、家具も何もない場所だった。


 俺が来ることに気付いて、逃げたのだろうか? それとも別の部屋に隠れている?

 嫌な汗を掻きながらそう考えていると、背後で、がたんと何かが倒れる音がした。


 俺は、その音がした部屋に走った。何も考えずに、ドアを開ける。

 そこは風呂場だった。シャンプーの匂いが、一瞬漂った気がした。風呂場用の小さな椅子だけが、タイルに転がっている。


 俺はそれを見て、思い出した。

 ……前に住んでいた女性は、風呂場の換気扇にロープを垂らして、首を括ったということを。


 まだ、タイルの上で左右に揺れている椅子の上を、換気扇の位置を、俺は見ることが出来なかった。

 ドアを静かに閉めて、振り返らずに部屋から出た。


 もう、編集長に何を言われてもいいから、この部屋には関わりたくない、ただそれだけが、俺の本音だった。

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事故物件に最初に住むのは 夢月七海 @yumetuki-773

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