季季怪廻

石井腕

季季怪廻

 が出た。

 その報せの電話を聞いた父は、受話器を元の位置に戻すと、「今年の冬も長くなっちまったな」とぼやいて壁にかかった猟銃を担いだ。

「何処に出たの?」

 私が聞くと、父は

「××山の麓だ。雪はあるが、車で二時間も掛からんさ」

 ふーん、と力のない返事をすると、父は怪訝そうに、さっさと準備をしておけと言い残して車のエンジンを点けに外へ出ていった。

 狭く仄暗い冬の部屋に取り残された私は、さーてと、なんてわざとらしく呟いてみて、自分の部屋に向かった。健気に働いていたストーブを出ざまに消した。

 

 部屋のドアを開ける、電気は点けない。

 小学校に上がる時に買って貰ったスタンダードな勉強机。薄いピンクのカーペット。ホームセンターで買ったサボテン。壁にかかった高校の制服、紺の通学鞄、——

 暗がりの中でそれぞれが夜警でもするように定位置に佇んでいた。

 私はその中の、標準的な女子高生としての完成をぶち壊している凶器を手に抱えた。それがいつもより重く感ぜられて、射撃の練習はしていたが生き物を殺す練習はしていないからだと解った。



 夜が開けて間もないのに外は叩きつけるような雪が降っていて、そんな中を白い軽トラが私と父を守りながら運んだ。

 暗く暖かい車内には聴き慣れた斉藤和義が流れていて、それだけならただのドライブと同じみたいだった。

「もう三月だからね」

 その後に続く「仕方ないよね」を隠して、私は隣で運転する父に言ってみた。

「ああ、とっとと殺さにゃならん」

 バックミラーの父の瞳は動かなかった。気まずい沈黙に、稼働するエンジンの音と『歩いて帰ろう』のイントロがじり合った。私が遅れて、そうだね、と生返事をすると、

「怖いんか」

 と父が言った。会話は続かないだろうとたかをくくっていた私は少し意外で、咄嗟に「いろいろ考えてるだけだよ」と返した。どうかそっけない風に聞こえていてくれ──という私の嘆願虚しく、父は落ち着いた声で「そうか」と言った。私は何かそれが負けたように思えて何処か恥ずかしかった。

 父は言う。

「俺もはじめの頃は、いろいろ考えた」

「で、どうなったの」なんて聞かずとも、この人は話を続けるだろうから、私は窓の外を見ながら黙ったままでいた。

「季節が来るたびに、殺して、殺して、殺して――、何年も迷いながら季節を廻し続けた。でもある春のことだ。満開の桜を目にしてからは、何か自分の中で答えが生まれたような気がしたんだ」

「ただの桜でしょ」

「お前が生まれた日の桜だ」

 父は声色変えずはなった。そういうのはずるいと言いたかったが口には出さなかった。それからは私も父も何も言わなかった。



 車を降りると、雪を被った名も知らぬ山が眼前に聳え立っていた。曇り空の灰色と山のの白が一体化して、山でも空でもない別世界の光景が生まれていた。

 車を停めた道端から逸れて獣道に入り、冬の山を登る。向かい風に乗った雪が、顔に当たって呼吸が難しかった。でも前を先行って道を作ってくれる父のおかげで、それ以上の苦労はなかった。

 獣道には、私たち以外の生き物の音はなかった。獣は眠っているか潜んでいるかだろう。私たちは耳を澄ませて四季の怪の気配を探した。


 ――しばらくして、。まるで、五感の底が全身の毛を逆立てるような感覚。父も同じものを感じているようだった。

「近くだ。あと少し上にいる。やれるか?」

 私は頷いた。抱えた銃は重いままだった。

 張りつめた空気の中を、息を潜めて歩く。しばらく上った所に、坂が途絶えひらけた地点があった。

 ――そこに、いた。

 吹雪の中でもはっきりそれと判ったのは、自然の風景の中にいたそれが、どう見ても自然から産まれてよいようなものではなかったからだ。

 それは、訊いた通りに人と同寸同形で、ジェルのような透明な液状の身体をしていた。そして画で見たのと同じく、その液状の体内に溢れんばかりに色とりどりの花びらを流動させている。まるで花びらの埋まったビー玉を何十万も固めて無理やり人の形にしたようにも見えた。

だ」

 父の力強い声で私は我に返った。それの神様じみた美しさに、私は怯えていたのだ。

 春の怪はまだこちらに気が付いていなかった。融けているような身体をうねらせて、不規則に徘徊している。時折突然死んだように停止して金切り声をあげるのが、不気味で仕方がなかった。

「撃てるか」

「————うん」

 私は猟銃をその化け物に向けた。銃口と標的――、その間を繋ぐように見えない一本の線が生まれる。手は震えていた。やはり怖いのだ、私は。

 その時、父が隣で言った。場違いにも優しい声だった。

「春が来れば、何か分かるさ」

「——そうかな」

「俺もそうだった」


 ぱん。

 乾いた冬空に、銃声はよく響いた。



 季節を変える仕事をしてるんだ、なんて言ってもクラスのみんなは信じてくれないだろうな。

 そんなことを思いながら、私はその春の怪ふゆの亡骸を見下ろしていた。

 特製の銃弾が命中した瞬間に、春の怪は支えていたものを失ったように崩れて、水と花びらだけになってしまった。あれだけ怖かったのが馬鹿らしく思えてくる。

 それでもやはり、私は怖かったのだ。

 引き金を引いてしまえば、化け物を殺してしまえば、もう普通の人間ではいられない気がして、この家の人間として季節を殺し続ける使命に囚われてしまう気がして、


「何か変わったか」

 父が尋ねる。

「何にも。季節だけだよ」

 私が答えると、そうか、と父は笑った。


 冬が終わった所為か、雲が割れて陽が覗いていた。

 今年の桜は、きっと綺麗だ。


 

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季季怪廻 石井腕 @KAINA141

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