第4章【4】

 翌日。

 

 私は学校で蛍の姿を探した。

 

 しかし容易には見つからない。病院に運ばれた次の日だ。学校を休んでいるかもしれない。


 というより、私の仮説が正しければ、天野川蛍はこの学校の生徒ではない。異なる世界の住人だ。


 だとすれば、探すだけ無駄か。ふらっと出てきた時にとっ捕まえて、蛍から話を聞き出した方が得策かもしれない。


 しかし、二日経っても三日経っても蛍は現れない。


 私はとうとうしびれを切らした。放課後、誰もいない屋上へと駆けあがる。そして私は声高に叫んだ。


「天野川蛍、いるんだろー! 出てこーい!」


 すると案の定、蛍が屋上の扉を開け、何食わぬ顔で姿を表した。


「どうしたの、由依さん? 大声で私の名前を叫んだりして」


 不思議そうな顔で首をかしげる蛍。ついにお出ましか、と私は内心身構える。


「あっ、もしかしてあの衣装を返してほしいってこと? ごめんね。まだクリーニングに出しているところで」


「衣装のことはいい」


 蛍はいつも通りマイペースで、私が抱く緊張感とは相いれない。けげんな顔をして私を見つめる蛍。その蛍の直前へと一歩踏み出し、私は真剣な目で蛍を見つめ返す。


「えっ、なに? 今日の由依さん、なんか怖いんですけど」


 蛍がたじろぎ、一歩後退しようとする。その蛍の白くて細い腕を、私はぎゅっと握った。今日は絶対に逃がさない。私の強い意志表示だった。


 並んで立つと、背の低い私は蛍を見上げなければならない。勝気な蛍の瞳に見下ろされると、つい委縮してしまう。けれども、今日ははっきりと言わせてもらう。


「天野川蛍。私の仮説が正しければ――アンタ、この世界の住人じゃないよね?」


 私はまっすぐに蛍を見すえる。


 蛍の表情が、いつもの軽い調子から、感情を失ったような冷たい顔へと変化するのを私は見逃さなかった。


 私は確信を得ると、さらに蛍の懐へと踏みこんだ。


「どうやら図星みたいね。まさか本当にそんな話があるなんてね。アンタ、もしかして異世界から来たの? そしてこの世界に迷いこんで、一人で秘密を抱えて生きている。――どう? 違う?」


 小説で読んだような世界が目の前で起こっている。事実を突き止めたという高揚感も手伝って、私は少なからず興奮していた。


 けれども蛍は私の熱とは対照的に、涼やかな顔で肩をすくめた。


「うーん。ちょっと違うかなあ」


 私がつかんだ腕をそっと振り払う蛍。口元には優しい笑みを浮かべている。


 ただ、いつもの勝ち誇った様子とは異なり、どこか寂しい色を帯びていた。


 蛍は校庭が見える柵のところへと移動し、街を見下ろした。私もつられて後を追い、横に並んで立つ。もう梅雨は明けたのだろうか。初夏を感じさせる風が爽やかに吹き、私たちの髪を揺らした。


 蛍は柵に背を預けて寄りかかり、高い空を見上げた。


「由依さんには、アタシが消えるところを見られちゃったもんね。アタシの存在に疑問を抱いても不思議じゃないか。あーあ、失敗したなあ」


 蛍は残念そうにそう言うと、空から視線を移し、私を見下ろした。


「たしかにアタシはこの世界の人間じゃないかもしれない。でも、異世界から来たのかって言われると、そんなに遠い世界じゃない気がする。うーん、よく分かんないや。なにせアタシだって気づいたらここにいたんだから。なんだか不思議な夢を見ている気分」


 蛍は困ったように笑い、


「……それで、由依さんはアタシの秘密を知ってどうする気?」


 私を見下ろす瞳を光らせた。


 この勝気で高圧的な眼差しこそ、本来の蛍だ。返答によっては容赦はしない。そんな敵意を私は感じ取った。


 けれども、私はひるまない。私はたしかにコミュ障かもしれないけれど、言葉を持たないわけじゃない。言いたいことはきっぱり言わせてもらう。


「別に私はアンタの秘密のすべてを知ろうとは思わない。でも、もしアンタが一人で秘密を抱えて苦しんでいるのだったら、力になりたい」


 蛍の目がカッと大きく見開かれる。


 いきなり私に向かって長い腕を伸ばしてくる蛍。


 もしかして怒らせてしまった? 


 私は攻撃されるのかと思い、びくっと肩を縮めた。


 けれども痛みはやってこない。


 その代わり、私に襲ってきたのは、蛍にぎゅっと抱きしめられる感触だった。


「えっ? なっ、何?」


 予期しない出来事に私は狼狽する。


 引き離そうにも上背に勝る蛍の力が強くて敵わない。どうしてこうなった? 理解がとうてい追いつかない。


 蛍は細い身体を小さく揺らし、私の肩に顔をうずめている。


 もしかして泣いている? 


 そう気づいた時、私の両腕もまた蛍の背中にそっと回されていた。

 

 しばらくすると蛍の気持ちが落ち着いたのか、ようやく私から身体を離してくれた。


「ありがとう。由依さんて本っ当にいい人だね。アタシがこの世界の住人だったら、絶対に由依さんと友達になる」


 初夏の青空にも似たはつらつさで、にこやかに蛍はそう告げた。


 私はとまどい、それから呆れたように口を尖らせた。


「別にこの世界の住人じゃなくたって、友達になってもいいんだぞ」


「そだね」


 私は蛍と笑い合った。


「それで、私はどうしたらいい?」


「えー、別に何もしなくていいよ。たしかにアタシも苦しいと思うことはあるよ? でも、それは秘密を抱えているからじゃなくて、別の理由」


「別の理由?」


「そっ。まあ、家庭の事情ってやつ?」


 蛍は茶目っ気たっぷりにそう言い、ふふん、と鼻唄を歌い出した。


 本来の調子を取り戻したのか、それともあえて陽気に振る舞っているのか。私は後者な気がした。


 私は蛍にたずねた。


「それで、礼には話すのか? 大切な人なんだろう?」


 私は以前この屋上で蛍が話していた言葉を思い出していた。



――そうね。好きよ。成瀬礼は私にとって、とても大切な人。



 蛍が言葉につまる。一度うつむき、迷うそぶりを見せ、それから困った顔を上げた。


「分からない。あの人に事実を伝えたら、未来が変わってしまう気がして」


 私はようやく蛍の本音に触れた気がした。


 蛍は一人で苦しみを抱えている。そして自分の存在が影響を及ぼし、この世界の未来が変わってしまうのではないかと怖れている。


 だったら、なおのこと理解者が必要なんじゃないのか?


 私だって苦しかった。


 天華へと想いを寄せる礼への感情を一人で抱えて辛かった。


 蛍とは礼のことで激しい言い合いになったけれども、蛍だけが私の気持ちに気づいてくれていた。今にして思えば、それで救われた部分もあったかもしれない。


 私は蛍に言い聞かせるように、優しく告げた。


「本当に大切な人なら、自分の口から真実をちゃんと伝えた方がいいんじゃないか? 礼だって蛍が一人で苦しんでいたら、きっと悲しむだろ。大丈夫、礼のことだ。きっと蛍のよき理解者になってくれるって」


 そして私は、努めて明るく蛍の背中を引っぱたいた。


「ほらっ、元気出せよっ!」


「痛ッたあ~っ!」


 不意打ちを食らって飛び跳ねる蛍。今まで私を振り回してきたんだ。これぐらいの悪戯なら許されるだろう。


 蛍は涙目になりながら私をキッとにらみ、それから良からぬ企てを思いついた悪い顔でニッと口角を上げた。


「分かった! 考えてみるよっと!」


 蛍は言うなり長い右腕をしならせると、仕返しとばかりに私の尻を思い切り引っぱたいた。


「痛っ! それはセクハラだろッ! 私、アンタと友達になるのやっぱり考え直そうかな」


「え~っ! 嘘嘘っ!? ずっと友達でいようよ~っ!」


 私と蛍の笑い声は屋上によく響いた。


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