第4章【3】

 礼と一緒にマンションのエレベーターに乗る。礼は七階、私は十一階。だから礼が先に降りる。


「とにかく今日はありがとう。じゃあな」


 軽い別れを告げる礼を見送り、私はさらに上昇する。二人でいた時は冷静を装っていたが、一人きりになると私の心は急にもぞもぞと落ち着かなくなった。


 私の中で、使命感が叫んでいる――『天野川蛍の秘密に迫れ。それができるのはこの私、小笠原由依しかいない』と。


 屋上で蛍と対峙した日の出来事を振り返る。


 あの日、蛍は息苦しそうに咳をくり返すと、まばゆい光に包まれ、たしかに私の目の前からすっと消えた。あれはいったいどういう現象なんだ?


 そしてスマートフォンの写真。

 

 たしかに蛍の姿を収めたはずの画像に、何も写ってはいなかった。おかしな話だ。まるで蛍自身がこの世に存在していないかのようではないか。


 病院から一緒に帰りたがらないそぶりも気になる。


 蛍は家に帰るのではなく、あの後どこかに姿を消したのではないか? あの屋上の時と同じように。


 私の中に疑問が次々浮かび、一つの仮説へと集約されていく。


――蛍がこの世界の人間ではないのではないか? 


 エレベーターが到着し、ゆっくりと扉が開く。


 と同時に私は駆け出し、家へと突進する。鍵を回す手間さえ惜しく、乱暴に扉を開け放つと自分の部屋へと飛びこんだ。


 勢いづく足に急ブレーキをかけ、息を乱しながら本棚の前に立つ。


 私の本棚にはたくさんの書籍やCDがつまっている。教科書や参考書もあるが、そういった類の本は隅の方に押しやられている。


 本棚の中心にあるのは、アニメのキャラクターのフィギアやCD、漫画や同人誌、そして愛する少女小説たちである。


 私が何年もかけて積み上げてきた、私だけのかけがえのない本棚。


 この本棚に並ぶ作品のラインナップを一目見れば、私の人格がいかにして形成されたかが分かるだろう。


「あった」


 私はそのうちの一冊、お気に入りの少女小説を本棚から引き出した。


 それは普通の女子高生が飛ばされた異世界でお姫様となり、イケメンの騎士たちに囲まれて国を復興させていく冒険譚だ。


 アニメ化もされ、メインキャラクターにはそれぞれ今を時めく声優陣が声をあて、キャラクターソングを収めたCDが毎月のように販売されている。正直、毎月財布が痛い。


 私は部屋の学習机に座ると、思い当たるシーンが書かれたページを広げ、急いで読み直してみた。


 主人公のお姫様には秘密がある。それは自分がこの世界の人間ではなく、異世界から来た存在だという事実だ。


 その秘密をかぎつけるのが、侯爵家の一人の若い男。


 実は主人公には恋い慕う王子が別にいるのだが、この侯爵家の若い男が主人公の秘密をネタに主人公に交際を迫ってくる。彼もまた主人公のお姫様に激しい恋慕を抱き、どんな手を使ってでも我が手中に収めようと画策するのだった。


 しかし、彼は途中で方向を転換し、主人公から手を引いてしまう。


 なぜなら、主人公が流す悲しみの涙を目撃してしまったから。


『愛する女を泣かすのは、俺の趣味じゃないんでね』


 主人公を愛するがゆえに、彼は身を引き、主人公を陰で支える好人物へと変貌するのである。


 彼は秘密を誰にももらさず、主人公にこうアドバイスする。


『お姫様は愛する人に秘密を持ち続けるのかい? 俺だったら嫌だね。俺が王子だったら、お姫様のどんな秘密だって受け入れてやる。それが本物の愛ってもんだろう?』


 なおもしぶる主人公に、若い男はさらに説き伏せる。


『本当はお姫様だって知ってもらいたいんだろう? 一人ぼっちで秘密を抱え続けるのは、辛いもんな』


 主人公はこの言葉に目が覚め、自分がこの世界の人間ではないと、ついに愛する王子に打ち明けるのである。


 その後、侯爵家の若い男は戦場に赴き、成就しない主人公への愛を叫びながら戦死するのであった。


「はあ~。何度読んでも泣ける」


 私は眼鏡を取るとハンドタオルで目頭を押さえ、ため息をもらした。


 礼はきっとこの手の物語を空想だと笑うだろう。


 けれども私に言わせれば、空想の中にこそ現実が存在する。


 愛する人の幸せを願うがゆえに身を引き、純粋な愛を叫びながら命果てるこの行為の尊さは、この世の真理だ。現実世界において大切な心のあり方を、空想の世界が教えてくれるのだ。


 まあ、礼のことはいい。それよりも問題は蛍だ。


 今の私は侯爵家の若い男。


 蛍のためにも、私は真実にたどり着かなくてはならない。


「よし、この手で行こう」


 私はお気に入りの少女小説を片手に握り、立ち上がった。


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