第3章【5】
日曜日はあいにくの雨だった。
午前十一時。遅い時間に目覚めた俺は、朝と昼を兼ねた飯を食べながらテレビを眺めていた。
天気予報士のきれいなお姉さんが、画面の向こう側で、「この後さらに雨脚が激しくなるでしょう」と警戒を呼びかけている。むう、それではどこにも出かけられないではないか。
俺は食事を終えると食器を洗い、自分の部屋へと引き返した。
机の上に置いてある教科書やノート類がふと目に留まる。
俺は蛍の生意気な笑顔を思い出した。
「あいつ、今ごろ何しているかな?」
人に勉強しろ、医者になれと強制してくるわりに、蛍自身はさほど成績が良くはなさそうだった。だとしたら、日曜日は楽しく遊んで過ごすのだろうか? はつらつとした蛍の姿にはその方がお似合いだ。あるいは、美術が得意だと言っていたから、絵でも描いて過ごしているのだろうか?
何にせよ、蛍が自由に青春を謳歌しているのなら、それに越したことはない。
俺は机の前に座り、教科書を広げてみた。
勉強しなければいけないのは分かっている。来月上旬には期末試験も控えているし、もう高校二年生だ。塾の話題も教室でよく耳にするようになってきた。
……とはいえ、こんな雨の午前は憂鬱で、勉強する気にはあまりなれない。
「よし、後でやろう」
俺は一度はつかんだペンを机に放るとベッドへと移動し、仰向けに寝転んだ。
どうせ今日は雨でどこにも出かけられない。時間ならいくらでもある。俺はなんとなくスマートフォンに手を伸ばし、いじり始めた。
はまっているソーシャルゲームにログインし、ボーナスポイントを手に入れる。
各時代の英雄たちを従えて戦う流行りのアクションゲームだ。一回ごとのポイントは少なくても、何日も続けていればけっこう貯まる。まさに『継続は力なり』。
しかしプレイ自体の総時間はたいして長くはない。やり始めた当初はけっこうのめりこんだが、今ではこのゲームとの付き合い方も分かり、かつての興奮もしだいに冷めていった。最近はもうログインするだけのゲームになっている。
ゲームのアプリを閉じ、今度は動画サイトを開いてみる。
再生回数が何万も超えるような人気の動画や、最近始まったゆるキャラの可愛らしい動画など、目を引くものは多い。
その中から俺はサッカーのスーパーゴール集の動画を選んだ。再生時間は約五分。その時間に凝縮された数々のスーパープレイに息をのむ。
だが、それも短時間で終わってしまうと、他の動画を見る気はあまりしなかった。
誰かから連絡が来ていないか、SNSを開いてみる。
連絡が来ればスマートフォンの画面上で知らせてくれるから、来ているはずはないのだが、つい手持ち無沙汰になって見てしまう。
そして俺は、自分の目を疑った。
俺の知らないところで勝手に会話が進んでいた。
しかも相手は天華だ。
『苦しいことがあったら何でも言ってね』
『ありがとう。でも、そんなにないかな。しいて言えば、生徒会の女の子とうまくいっていないことくらい』
以前俺に打ち明けてくれた天華の本音が、SNSに包み隠さず書かれていた。
では、天華の本音を聞き出している相手はいったい誰だ?
俺はとっさに思いつく。
俺からスマートフォンを奪い取り、勝手に使っていた人物。
そう、天野川蛍だ。
俺は跳ね起きると食い入るように会話を目で追った。盗み見なんて品が悪いと思いつつ、気持ちが先へ先へと突っ走って止められない。
蛍と天華が交わした会話は数日間に及んでいた。
『塾の問題が解けなくて、昨日は寝るのが遅くなっちゃった(>_<)』
『毎日忙しくて目が回りそう』
『母があまりに厳しいの。私に期待してくれているのはありがたいのだけど』
塾の問題が難しくて解けない悩みや、追われるような日々の窮屈さ、厳しい家庭の方針への不満などが、天華らしい簡潔な一文で書かれている。
普段はけっして表に出さない天華の本心。それを蛍は巧みに聞き出している。
俺は先日生徒会室で交わした蛍との会話を思い出した。
――本当は、今日はそれを返しに来たの。アタシのミッションも終わったしね。
――こっちはもうコンプリートしたから、後はあなたが気づくかどうかだね。
今さらになって気づかされる。
蛍のミッションとは天華の本音を聞き出すこと。固く閉ざされた天華の心の深層に触れ、それを表に引き出すこと。
蛍は単独でそのミッションに挑み、見事に完遂させた。
そして蛍は俺に委ねたのだ。天華の本心に気づけるかどうかは俺次第だと、スマートフォンを俺に寄こして。
俺は心臓が押しつぶされそうに苦しくなった。
蛍と天華の会話は、最後にこう綴られていた。
『本当にもう大丈夫?』
『ありがとう、蛍ちゃん。たしかに、軽く死にたいと思うこともあるよ。でも、誰だってみんなそうでしょう? 私は大丈夫よ』
『天華ちゃん。冗談でも死にたいなんて言ったら駄目だよ。いつか二人で会えないかな? ちゃんと会って話がしたい』
『日曜日なら。十一時に駅前の喫茶店で』
『分かった! 日曜日、絶対会おうね!』
俺は部屋に置かれたデジタル時計をとっさに見た。まもなく十二時になる。今から駆けつけて間に合うだろうか?
俺は乱雑に雨合羽をかぶると慌てて家を飛び出した。エレベーターで一階まで降りる時間さえ、今はもどかしい。
降りしきる雨が暗い世界を激しく打ちつけている。
俺は自転車に飛び乗ると、濡れるのも構わず駅へとがむしゃらに自転車をこいだ。
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