真宮天華の黒歴史
第3章【1】
翌日、由依は学校を休んだ。
昨日の午後には保健室にいたというから予想はしていたが、実際に休んでしまうと意外な気もした。過去の記憶をさかのぼっても由依が欠席した覚えはない。少なくとも中学時代は三年間皆勤だったはずだ。
「礼。お前、小笠原に何か悪いことでも言ったんじゃないか?」
休み時間。海斗が後ろの席から俺をとがめるように話しかけてきた。
「悪いこと?」
俺は半身をひねり、後ろを振り返る。
「そっ。きっと小笠原が傷つくようなこと言ったんだろ。それで小笠原のやつ、ショックで倒れたんじゃないのか?」
昨日は由依に誘われ、中庭で一緒に弁当を食べた。
それから俺の恋愛話になり、俺と天華はけっして結ばれない、身分違いの恋にしばられても幸せにはなれないと由依に厳しく忠告された。
この話の流れだと、むしろ傷つくのは俺の方じゃないか?
海斗の言葉を俺は否定した。
「いや。俺は何も悪いことは言ってないぞ。……いや、待てよ」
俺はふと思い当たった。
「そういや弁当代、由依にまだ払ってない」
「それだっ!」
海斗が人差し指をピンと突き出し、正解っ! とクイズ番組の司会者の真似をしてみせた。俺は苦笑した。
由依のことだ。弁当代の未払いで機嫌を損ねはしても、そんなことで学校を休んだりはしない。おそらく生徒会の報告書を作るために労力を使い果たして、疲れて熱でも出したのだろう。
海斗は机に頬杖をつくと軽い調子で言った。
「俺はいいと思うけどねー、小笠原」
「ん? 何の話だ?」
「いーや、こっちの話だ。気にするな。それより、礼に大切なお客様だぜ」
海斗が顎で向こうを指す。
海斗が見つめる視線の先には教室の扉があり、その奥に天華の可憐な姿があった。
俺に用か? 俺がジェスチャーでたずねてみると、天華はうん、と小さくうなずいた。
「悪いな、海斗。ちょっと行ってくる」
俺は立ち上がると狭い机の間を通り、廊下へと出た。
俺と天華は教室の入り口から離れ、廊下の窓側に並んで立った。
「どうかしたか?」
「さっき先生に備品調査の報告書を提出してきたの。そうしたら、今度は別の仕事を頼まれてしまって」
「別の仕事?」
今月の生徒会の仕事は備品調査で終わりのはずだった。これが終われば次の定期試験に集中できる。天華はそう踏んで、作業を急いでいたはずだ。そして努力の甲斐あって早く終わらせることができた。
しかし、ホッとしたのも束の間、今度は別の仕事を頼まれてしまったという。
ひどい話だ。
早く終わったら終わったで、教師は俺たちに何か仕事をさせなくてはならないとでも思っているのだろうか。なんだか大人たちに都合よく利用されているような気がしてきた。
もっとも、天華に対する教師の信頼が厚いから、安心して仕事を任せてしまう面もあるのだろう。人がいい天華は「分かりました」の一言であっさり引き受けてしまったに違いない。
天華は表情こそいつもと変わらず穏やかだが、内心は複雑だろう。せっかく早く終わらせたのに。たまには怒りをあらわにして仕事を断ってもいいんだぞ、天華。
「それで、次の仕事ってのは?」
「七夕の準備」
ん? それは生徒会の仕事なのか?
俺がすっきりしない顔でいたからか、天華が説明してくれた。
「ほら、うちの学校、正面玄関入り口のエントランスに七夕を飾るでしょう? 笹は用務員の方が用意してくださるから、私たちには短冊の準備をお願いしたいんだって。色紙を短冊状に切って、筆記用具と共に机に並べて置いておくだけ。あとは生徒が書いたものを順に飾りつけていくだけよ」
ね、簡単でしょう、と天華は柔らかい微笑みを俺に向けてくれた。なんだか心が洗われるような慈愛に満ちたご尊顔だ。
だが、俺は天華のような天使でもなければ善人でもない。面倒な作業は好まない省エネ人間だ。
「思いきり雑用じゃないか」
俺は不満を口にする。
ただでさえ七月中旬には秋の文化祭に向けた準備が本格的に始動する。今くらい休ませてくれたっていいじゃないか。
「愚痴らないの。考えてみて。誰がどんな願い事を書いたのか、生徒会は誰よりもいち早く知ることができるのよ。興味深いと思わない?」
どうやら天華は急に与えられた仕事でも肯定的に捉えているらしい。きゅっと手を小さく握り、明るく前向きに取り組もうとする姿勢を見せている。本当に人がよすぎる。
だが天華よ。それは本心なのか?
俺は昨日の生徒会室で耳にした、天華の冷たい声を思い出した。
――私の意志なんて、関係ないもの。
凍えそうなか細さで、ぽつりと小さな声をもらした天華。俺の聞き違いだったら、まだよかった。だが暗い影が差す天華のうつろな表情を目の当たりにした俺は、けっして聞き間違いではなかったと確信してしまった。
天華がいかに優れていても、所詮はまだ高校生だ。いつも光に満ちあふれた優美なお姫様の心にも、闇が忍び寄ったっておかしくはない。
自己犠牲も献身も大いにけっこう。見返りを求めない他者への愛は尊いものだろう。
しかし、それで自分が暗く押しつぶされてしまっては、あまりに可哀そうだ。
「よし分かった。やろう、その仕事」
だったら、俺が天華を支えてやるしかない。雑用なら庶民の俺にはお似合いだ。何もお姫様の手をわずらわせるまでもない。
俺の言葉に天華も安心したのか、表情が甘くゆるんだ。
「助かるわ。ありがとう、礼」
今日は塾があるから、また明日ね。天華は笑顔でそう告げると、自分の教室へと戻っていった。
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