第2章【2】

 昼休み。

 

 いつものように海斗と一緒に食堂へ行こうと教室を出ると、すぐさま廊下で声をかけられた。


「礼。ちょっといいか」


 俺を呼び止めたのは由依だった。

 

 由依は教室の入り口付近の壁に寄りかかり、どうやら俺が出てくるのをじっと待ち構えていたらしい。

 

 それなら教室の中に入ってくればいいのにと思うが、それが簡単にできないのが由依である。

 

 実際、他の教室に顔を出しにくい気持ちも分からなくはない。教室が違うだけで文化も空気もまるで別世界に感じるのはなぜだろう。

 

 海斗がさっそく由依を茶化す。


「おっ、なんだ小笠原。礼とデートか?」


 由依は露骨に嫌な顔をした。


 由依は以前から海斗の体育会系のノリがどうも苦手らしかった。


 俺は見かねて二人の間に割って入った。


「悪い、海斗。先に行っててくれ」


 オーケー。と軽く手を振り、一人廊下を歩いていく海斗。と思いきや途中で振り返り、いしし、と含み笑いをこちらに向けてきた。たちまち由依が苦々しい顔でそっぽを向く。


 俺は苦笑しつつ、由依に声をかけた。


「で、俺に何か用か?」


 由依がこうして昼休みに俺を訪ねてくるなんて珍しい。なにか話したいことがあるのだろう。


 由依はもじもじと言いにくそうにしていた。俺の顔を何度か見上げ、目が合うとすっと目線をそらしてしまう。いつもと異なる由依の様子に、俺は首をかしげる。


 だが由依もようやく観念したのか、一度深呼吸をして見せると、口を開いた。


「今日は天気がいいな」


 ああ、と俺は窓の外に目をやった。見事な青空が広がり、白い雲が気持ちよさそうに浮かんでいる。


「今日みたいな日は外で食べたくないか」


 そうだな、と俺は気のない声を返す。正直、腹が満たせれば別に外じゃなくてもいいんだが。でも由依がそう言うので適当に合わせておく。


 すると、由依は急に勢いこんだ。


「だろ! 私も礼が外で食べたいんじゃないかと思ったんだ」


 なんだかよく分からないが、勢いに押されてうなずいてしまった。


「じゃあ行くぞ」


 由依にしては珍しく力のこもった声で、俺を中庭へと連れ出した。


   〇

 

 南高の校舎は一部がロの字型になっており、校舎に囲まれた中央のスペースが中庭となっている。緑の芝が敷かれ、縁には木々が何本か植えられており、ベンチも備えつけられる。生徒の憩いの場として人気があるスポットだった。


 中庭に行ってみるとすでに数名の生徒がいた。会話を楽しんだりバドミントンに汗を流したり。みんな思い思いの昼休みを過ごしている。


 由依はベンチが偶然空いているのを見つけると、そこに腰を下ろした。


「ん」


 隣を指さす由依。どうやら俺にも座れということらしい。俺は黙って指示に従い、由依の隣に並んだ。


「ほれ」


 俺が座ると当時に、由依は俺にステンレス製の銀色の弁当箱をさっと寄こしてきた。


 俺は驚き、由依の表情をうかがう。由依は気恥ずかしそうに頬を赤らめて「さっさと開けろ」と俺を急かした。開けてみると、ハンバーグや卵焼きや鮭が所狭しと詰めこまれている。ちょっと豪華なのり弁だった。


「言っとくけどな。別に礼のために作ったんじゃないぞ。作り過ぎて余ったから礼にも分けてやっただけだ」


 由依はつんと鼻を高くし、自らも弁当を広げる。どうやらメニューは同じらしい。しかしピンクのプラスチック製の弁当箱は明らかに俺より小さく、量は少なかった。やっぱり俺のためにたくさん作ったんじゃないのか?


「いったいどういう風の吹き回しだ?」


「余り物だって言ったろ。いいから食え」


 由依はあくまで作り過ぎた余りを俺に寄こしたと言い張るつもりらしい。


 理由はどうあれ、せっかく作ってきてくれたんだ。美味しくいただこう。


 おかずを箸でつかみ、口に運ぶ。由依が心配そうな目で俺の反応を眺めている。


「うん、普通に上手い」


 たちまち由依の顔がぱっと輝く。由依もひと口つまんでみる。うん、たしかにと納得したようにうなずく。


 それから俺は一心に食べ進め、あっという間に完食した。俺はすっかり満足した。


「ご馳走さま。ありがとな、由依」


「ああ。余り物だけど、食べてくれてよかった」


 それから由依は校舎に囲まれた四角い空を見上げた。


「なあ、礼。礼は生徒会長のこと、どう思っているんだ?」


 生徒会長とは、もちろん真宮天華のことである。


 どう思っているって急に聞かれても。由依がなぜ唐突にそんな質問をするのか、意図が分からない。


 だが、俺は今の想いを正直に答えた。


「好きだよ」


 すると由依は、はあー、と深いため息をついた。


「だと思った。でも、この際だから礼にはっきり言っておく。普段生徒会で一緒にいるから分かるんだ。……かわいそうだけど、礼に脈はない。それでも好きなのか?」


 痛いところをついてくる。俺が天華と不釣り合いなのは自分でもよく自覚している。


 それでも、俺の気持ちに変わりはない。


「それでも好きだ」


 由依の真剣な顔に、俺はきっぱりと言い切った。


 由依は理解できないといった様子で首を横に振る。


「分かった。じゃあ仮に、万が一にもあり得ない奇跡が起こって、礼が生徒会長と付き合えたとしよう。相手は総合病院のお嬢様だ。経済的な観念が私たちとはまるで違う。食事にしろ遊ぶにしろ、相当裕福でないと生徒会長の欲求は満たせない。それに、生徒会長のご両親がなんと言うか。そもそも都内のお嬢様学校に通っていたような娘だぞ。そんな大切な一人娘の彼氏には、それ相応の高いものを要求してくるはずだ。容姿、学力、家柄、社会的地位……礼はそんな高い要求に応えられるのか?」


 応えられるはずないだろう、と由依は語調を強め、さらに勢いよく述べ立てる。


「私は礼に幸せになってほしい。だから礼は身分違いの恋にしばられて高校生活をふいにするより、自分に合った相手と結ばれるべきだ。少なくともその方が誰かを幸せにできるし、礼だって幸せになれる。それなのに、どうして生徒会長にこだわる? 手に届きそうな相手なら他にもいるだろ!」


 由依は話しているうちに興奮してきたのか、最後はほとんど怒っているかのように言い放った。


 どうやら由依はこの話がしたくて俺を昼に誘い出したらしかった。


 俺は考える。


 たしかに由依の言う通りなのだろう。手に届きそうな相手と身の丈に合った恋愛を楽しむ。その方が幸せになれるのかもしれない。


 けれども、そんな客観的な正論に対して、俺の素直な感情は由依の考えを受け入れはしなかった。


「ありがとな、由依。俺のこと気にかけてくれて。でも、申し訳ないけど俺の心は変わりそうにない」


 由依の表情が一瞬ゆがむ。自分の考えを否定されたからだろうか。


 だが由依はすぐにいつものすました顔に戻った。


「礼ってホント馬鹿だな」


 それからぽつりと一言、


「……馬鹿なのは私の方か」


 力なく笑う由依。


「ごめんな。私、重くて」


 俺の頭に?が浮かぶ。


「いや、どう見ても軽いだろ」


「見た目の話じゃない。それに、見た目にもそんなに軽くない」


 由依は自虐的にそう言うと、不機嫌そうに弁当を片づけ始めた。


 今日の由依はやはり調子がおかしかった。表情にも暗い影が差している。


「どうした、由依。何かあったのか?」


「何もない」


 由依は愛想なく一言だけ告げると、すっと立ち上がった。


「今日は付き合わせて悪かったな。弁当代、五百円な」


「金取んのかよっ!?」


「余り物だからご馳走してやろうと思ったけどな。気が変わった」


 結局由依は俺から五百円を後日徴収する約束を強引に取りつけると、一人先に教室へと戻ってしまった。


 何だったんだ、あいつ。


   〇


 由依は教室に戻る途中、トイレに立ち寄った。


 気持ちが逆立ってなんだか落ち着かない。ここが学校でなければ、すっきりするまで叫び声でも上げたい気分だ。


 手を洗い、鏡に写る自分の表情をうかがう。なんて暗くて寂しい顔をしているのだろう。我ながら嫌になる。


 眼鏡を外し、目尻に光る涙の粒を袖でぬぐう。


 そして再び眼鏡をかけると鏡をのぞいた。


 由依ははっと息をのんだ。


 鏡の中に、もう一人の人物の顔が写し出される。


「……天野川蛍」


 昨日突然現れて、私に難癖をつけてきた女。誰とも会いたくない時に、一番会いたくない奴が登場してしまった。


 蛍の嫌味な悪い微笑を目の当たりにし、由依はますます苛立たしげに顔をしかめる。


「いったい何の用?」


 由依は振り返りもせず、鏡越しに冷たい声で吐き捨てる。


 すると蛍もまた目を怒らせて由依に迫った。


「アタシ、たしか昨日由依さんにお願いしたと思うんだけど。――さっきのアレ、何?」


 五時間目の開始を知らせるチャイムが校舎内に鳴り響く。


 だが、教室に由依の姿はなかった。


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