第1章【2】

 俺はこほん、と咳ばらいをして彼女にたずねた。


「それでお前の名前は……」


「――ごめん。遅くなっちゃった」


 俺が問いかけた矢先、生徒会室の引き戸がふいに押し開かれた。


 廊下から姿を現したのは、つい先ほどまで話題の中心だった真宮天華その人だった。


「あら、お客さん?」


 天華は謎の美少女に会釈すると窓側の生徒会長席へと進み、肩に提げたスクールバッグを下ろした。


 彼女の表情がにわかにぱっと明るくなる。


「わあっ、天華さんだ~っ! 本物だ~っ! 可愛い~~っ!」


 きらきらと目を輝かせ、黄色い声を上げる少女。まるで憧れのアイドルにでも出会ったかのように頬を上気させ、すっかり興奮している。


 彼女は立ち上がると跳ねるように天華へと歩み寄り、「きゃ~っ」「うわ~っ」と何度も感嘆の声をもらしながら、近くで顔をまじまじと見つめた。


 そして「天華さァん♪」と甘えた舌足らずな声を出すと、瞳にうっすら涙まで浮かべ、ついに天華にぎゅっと抱きついた。


「あ、ありがとう。……ええと、『ありがとう』でいいのかな?」


 普段はクールな天華でさえもさすがに戸惑いを隠せず、笑みを引きずらせている。天華は謎の女子の身体をそっと押し返すと、さりげなく距離をとった。


「ところで、あなたは誰? 校内であまり見かけない気がするけど、もしかして転校生?」


「うふふっ。まあ、そんなとこ!」


 天華に甘えて幸せいっぱいなのか、ほの赤い顔をにっこりとほころばせ、機嫌がよさそうだ。


「お名前は?」


「名前? そうだなー」


 引いた顎に手を当て、眉を寄せて少し考える。


「天野川! 天野川蛍っていうの。よろしくね、天華さん!」


 どう見ても今思いついただろ、その名前。


 だが人のいい天華は一ミリも疑問も抱かなかったようで、爽やかな顔で対応した。


「こちらこそよろしくね、蛍ちゃん」


「うんっ! じゃあアタシも天華ちゃんって呼ぶ!」


 二人はまるで旧知の仲であるかのように微笑み合う。


 女子ってこうやって円滑に良好な関係を築いていくんだな。柔らかい物腰で相手の懐にすっと入りこむ天華の巧みなコミュニケーション術に、俺は感心した。


 蛍はすっかり気が済んだのか、ようやく生徒会室を去ろうとする。


「二人ともありがとう。今日は会えて嬉しかった」


 そりゃどうも。俺はお前が来てからペースが狂いっぱなしだったけどな。


 蛍は天華に甘えるように微笑みかけ、それから俺に高圧的な目を向けた。どうでもいいが、俺と天華とで態度が違い過ぎやしないか?


「あなたはアタシとの約束通り、ちゃんと勉強しなさいよね。呼吸する間も惜しんで、決死の覚悟でやるんだよ。やらないで後悔するのはあなたなんだからね」


「俺はそんな約束をした覚えはない。それと、お前にいいことを教えてやろう。人はな、勉強しろと言われるとかえって勉強したくなくなるんだ」


「へえ、そうですか。その言葉、大人になっても絶対に忘れないでよね!」


 互いにいがみ合う俺と蛍。どちらも一歩も引かない構えである。


「とにかくっ! あなたがちゃんと勉強するまで、これはアタシが預かっておくからね!」


 蛍の手には俺のスマートフォンが握られていた。こいつ、いつの間に? 机上に目を移すと、先ほどまで置かれていた俺のスマートフォンがたしかになくなっている。


「蛍ちゃん。さすがにそれはやり過ぎなんじゃないかな?」


 天華がやんわりと蛍を諭す。さすがは天華、常識をきちんとわきまえている。


 すると蛍は天華に優しい笑みを返した。


「天華ちゃん。この人、天華ちゃんが来るまでこの神聖な生徒会室でいやらしい画像を眺めていたんだよ」


「へーそうなんだー」


 蛍の侮蔑の眼差しが俺に突き刺さり、さらに天華の冷え切った抑揚のない声が追い打ちをかける。 


「誤解だ! 俺はそんなことはしていない!」


 必死に弁明をはかるが、俺の声は女子二人の耳には届かない。ねっ、本当でしょう? と天華に画像を示す蛍。きっと画面上では白いビキニ姿のグラビアアイドルがまぶしい谷間を輝かせているに違いない。


「蛍ちゃん。しばらく預かっておこっか」


 天華が冷淡にそう提案し、


「はァい」


 蛍が調子よく返事をする。そして俺に向き直った。


「そういうことだから。でも安心して。あなたがちゃんと約束を守ってくれたら返してあげる。じゃあね」


 蛍は一方的にそう告げると軽く手を振り、身をひるがえして生徒会室を去って行く。


「『じゃあね』じゃねえ! 俺のスマホを返せ!」


 俺は慌てて追いかける。だが、生徒会室を飛び出して廊下をのぞくと、蛍の姿はもうどこにも見えなかった。


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