満天の星
めがふろ
満天の星
実家のある山口の夜空を綺麗だと思ったことは無かった。田舎は都会と比べて星が綺麗。なんて言葉を物語の中では良く耳にしたものだが、20年間も同じ夜空ばかり見上げていれば満点の星空に感動する心持ちも薄れてくる。しかし、現在私の眼前に広がる夜空に星の明かりは皆無だった。
あるのは人工的に作られた衛星から放たれる無機質な光のみ。地元の夜空は少なくともこの殺風景な灰色よりは輝いていたことを覚えている。
およそ72時間は引き篭っていた六畳一間の汚れた空気から逃れようとベランダへ出てタバコを吹かしていた時の事だった。20年間苦楽を共にした実家を離れ、憧れの都会生活。「行動力のある馬鹿が一番手に負えない」という言葉が私の頭を埋め尽くしていた。なまじ周りの若者よりは金を稼ぐ才能があった為、生活に困ることは無かったがそれは学生と比べてと言った場合に過ぎず、このまま無為な日々を過ごすことになればいずれ首が回らなくなるだろう。練炭か、あるいは太い麻縄でも用意しておくべきだろうか。
タバコを吸い終わり、再び汚れた空間へと舞い戻ろうとした時、向かいのアパートの二階に人の姿があることに気がついた。アパートの二階へは階段を使わなければ行けないのだが、足音は全く聞こえなかったため少々驚いてしまった。時刻は午前三時である。こんな時間に外を出歩くとは、何の用があるのだろうか。
かくいう私もこんな時間にベランダで突っ立ていては怪訝に思われても仕方ないだろう。嫌な誤解を防ぐ為部屋へ戻ろうと窓に手を伸ばしたその時、背後から女性の悲鳴が聞こえた。間違いなく先ほどの人影の主から発せられたものだろう。一体どうしたというのだ。私は何も悪くない。悪くないぞ。
数分間後、事態は只事ではないということに気がついた。なんでも向かいのアパートで人が殺されたらしい。先ほどの悲鳴はその事件の第一発見者によるものだった。被害者はアパートに住む26歳の男性で、首にはコードのようなもので締められた痕があったらしい。また、遺体は電気モーフに包まれていたことから死亡推定時刻の割り出しが困難だという話だった。
私が目撃したあの人影。その影の主が遺体の第一発見者ということはその時にはすでに被害者は亡くなっていたということになる。なんとも言い難い恐怖に襲われた。私が何の気なしにベランダで一服していたその場所から見える扉一枚向こう側では人が死んでいたというのだ。人の死がこうも身近で起きてしまうとは。
翌日、ポストを開けると茶色い封筒が入っていた。中にはキャンパスノートの切れ端が入っており黒のボールペンで「昨日見たことは忘れろ」と書かれていた。意味がわからなかったが、何やらただならぬ気配だけを感じ私は急いで自室へと駆け込んだ。
「昨日見たことは忘れろ」というのはやはり昨晩の事件のことを言っているのだろうか。とすればこの手紙を送ったのは事件の犯人からということになるが、納得ができない。私は何も見ていないではないか。何しろ72時間も引き篭もっていたのだから。
私が見たものといえば事件の第一発見者の姿だけだが、そんな目撃情報など犯人逮捕に繋がるとは思えない。
もしかするとこの手紙は近隣住民全員に送られているのかもしれない。そうだとすれば事件となんの関係もない私の元に手紙が届いたことには納得できる。しかし、それではあまりにも犯人にとってリスクが高すぎる。
殺人事件を起こした翌日にのこのこ現場まで舞い戻り、近くのポストに手紙を入れまくるとは間抜けもいいとことだ。だとすればやはり、犯人には何か確証があってこの手紙を私の元に送ったということになる。
そういえば第一発見者のあの女性はなぜあの時間に被害者宅を訪れたのだろうか。午前三時とはなんとも中途半端な時間帯だ。普通は寝ている。それも事件が起きたタイミングで。。。
思い返してみればもう1つ不思議なことがあった。足音だ。私は昨日、足音が聞こえなかったにも関わらず現れたあの人影に驚いたのだ。いくら夜空を見上げながら物思いにふけっていたとはいえ、音がすれば気がつくだろう。そう考えた瞬間1つの嫌な考えが私の頭を過ぎった。
あの女性は、階段など登らなかったのではないか?
すなわち、元から2階にいたのではないか。
息を潜め、玄関から姿を表した時、向かいのベランダで空を見上げている男がいた。このまま階段を降りてしまえば音に気づきこちらを見るかもしれない。そう思い咄嗟に今このアパートを訪れたという振る舞いをする。だが、死体のある部屋に訪れてそのまま帰ったのでは辻褄が合わない。そこに必然性を求めるならば死体を見つけ、通報しなければならない。
そう考えれば電気モーフのことも納得がいく。犯人はなぜわざわざ電気モーフで死体を包んだのか。
被害者を殺害し、玄関を出てそのまま第一発見者のように振舞ってしまえば、犯行時刻との矛盾が生じてしまうからだ。
だから私の元に手紙が届いたのだ。犯人には確証がなかった。私が事の顛末をどこから見ていたかわからなかったのだ。
私は手紙を握りしめ、部屋を飛び出していた。このことを早く警察に伝えねば。
はやる気持ちを抑え歩く私はまたも背後からの足音に気がつかなかった。
気づいた時には甲高い金属音と共に目の前が暗転し火花が飛び散った。
それはまるで夜空に輝く満天の星のようであった。
満天の星 めがふろ @megahuro
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