第132話 おすすめ「どんでん返し」➁ 映画『スティング』
『スティング』は1973年公開の古い映画ですが、舞台は1936年。当時としてもレトロな世界観で描かれています。
これは詐欺師の物語です。つまり、悪い奴を騙してやっつけるコン・ゲームというジャンルの名作になります。
ストリーリーはこう。
若手の詐欺師フッカーは、ギャングの下っ端から大金を誤って巻き上げてしまい、その報復として、親代わりの師匠を殺されてしまいます。彼はギャングのボスに復讐を誓うのですが、銃弾ではなく、詐欺によって報復することを決心します。
そして、伝説的詐欺師ゴンドーフと手を組み、仲間を集めてギャングの大ボスから巨額の大金を騙し取る。そういう物語です。
まず、第一に、「人を騙す」というのは、根源的に楽しいです。復讐のために悪人を殺すのではなく、騙すというストーリーが痛快です。悪い奴から大金を巻き上げて復讐する。この物語はそういう楽しさが根っこにあります。
まず冒頭。
フッカーは男を騙して財布を奪います。これが、ギャング組織の大金なのです。
この騙しの手口なのですが、組織の男が悪い心を起こし、相手の財布を奪ってやろうとする心につけこんで、その男の財布を逆に奪い取ります。
つまり、冒頭のシーンで、騙されやすい心理状態というものが示されているのです。
それは、「相手を騙してやろうとしている奴が、もっとも騙されやすい」というものです。
映画『スティング』では、このテーマがストーリー上で一貫されていて、ラストまでぶれません。
とにかく、この映画はプロットが神がかっています。その辺りは是非視聴して確認してください。ぼくは洋画ではこの『スティング』が、もっとも多い回数視聴した作品だと思います。何回見ても思うんです。
「こいつら、ほんと見事に騙すよな」と。
まさに舌を巻くレベルです。
物語の根幹は、若手詐欺師のフツカーが、ベテラン詐欺師のゴンドーフとコンビを組んで、仲間を集め、ギャングのボス・ロネガンを騙すという大仕事に挑むというもの。
なんといっても面白いのは、ロネガンを騙すための資金を調達するにあたり、ロネガン本人から現金を騙し取るという展開です。
列車のなかで開かれる賭けポーカーにゴンドーフが紛れ込み、イカサマ・ポーカーでロネガンから大金をせしめます。これに腹を立てたロネガンは報復を企み、フッカーの、「ゴンドーフの奴を騙して金を奪おう」という企みに乗ります。
つまり、ギャングのボス・ロネガンは、もっとも騙されやすい人間、すなわち「人を騙してやろうとしている人」にされてしまうのです。ゴンドーフを騙すという餌につられたロネガンは、欲の皮つっぱらかせて罠に落ちてゆきます。
資金調達と同時に、獲物であるロネガンを、罠に喰いつかせているのです。
ただし、物語は順調には進みません。フッカーを狙う殺し屋や、ゴンドーフを逮捕するチャンスをうかがうFBIが絡んで、これ一体どうなるの?という展開。最後の最後まで、息もつけません。
さて、おすすめどんでん返し映画として紹介させていただいたこの『スティング』なんですが、厳密にはどんでん返しは存在しません。
観客の意表を突く展開、どんでん返しと思える展開は存在しますが、プロット上、物語の世界観を変化させてしまうような大転換はありません。それどころか、本作は、冒頭からラストまで、一貫した流れを維持しており、そのプロットが神がかっているため、どんでん返しと感じられる部分もありますが、決して途中で話のスタンスが変化したりはしないのです。
「騙す爽快感」と「騙そうとしている人間がもっとも騙しやすい」というテーマ。ここからいっさいの逸脱はありません。
もし視聴するなら、そこのところのプロットの神技にも是非注目してください。
もう一度書いておきます。
「騙す快感」と「騙そうとしている人間がもっとも騙しやすい」です。
さて、未視聴の方も、すでに視聴された経験のある方にも楽しんでもらえるよう、ここである場面について解説させていただきます。
一種のネタバレになりますが、映画の面白さを損なうものではないと判断して解説させていただきます。
場面は、ゴンドーフ(演 ポール・ニューマン)がフッカー(演 ロバート・レッドフォード)に、ポーカーの勝負でイカサマして、ロネガンから大金を巻き上げてやると語るところ。
フッカーはゴンドーフに、大丈夫なのかと問い、解答としてゴンドーフはトランプを扱って見せます。
そのゴンドーフの手つきが凄い! まるで、ラスベガスのマジシャンみたいな華麗なカードさばきで、シャッフルしたりタンブリングしたりしてみせます。
が、画面にはゴンドーフの手元しか映っていません。観ている観客のすべてが、「あ、これはプロのマジシャンが吹替でカードをさばいているんだな」と思ったことでしょう。
ところが、だぁーっとテーブルにカードを並べると同時に、その手はそのままテーブルの上に置かれ、そこからカメラがパンして、手の主を映します。
そこには、もの凄いドヤ顔のポール・ニューマンが!
えっ、本人!?
これ、意表をついてびっくりします。そして、ポール・ニューマンの「まさか、俺だと思わなかっただろ?」という表情がいいです。
そして、このシーンには、ふたつの見方があります。
ひとつは、観客に対するポール・ニューマンの、「吹替だと思ったろ? 違うんだな、俺がやってたんだよ!」というドヤ顔。
もうひとつは、ゴンドーフの、フッカーに対する、「俺はカードの扱いはプロだから任せておけ」というドヤ顔です。
ひとつのシーンが、劇中のキャラクターに向けたものと、それを観ている観客へ向けたものの、ふたつの意味があるのです。
☆『スティング』をすでに視聴したことのある方は、これと同様のシーンがもうひとつ、そう、極めて重要なシーンとして機能していたことを思い出してください。
さて、このシーン。もしかしたら、『スティング』をすでに視聴済みの方でも、見抜けていないかもしれないので、ちょっと解説します。
じつは、カードを扱っているのは、ポール・ニューマンではありません。吹替の、プロの方がやっています。でも、テーブルに置いた手からパンした先には、ポール・ニューマンの顔がありました。
あれはどういうことなのでしょう?
トリックは単純です。
少しだけ前に、入れ替わっているのです。
これから視聴する方、あるいはこの機会にもう一度視聴しようという方は、是非そこに注目してみてください。
画面から両方の手が消える瞬間があります。そこからあとは、ポール・ニューマンがカードを扱っています。よく見ると、めちゃくちゃギコチないです。そのくせして、そのあとのあのドヤ顔。ポール・ニューマンは間違いなく名優です(笑)。
今回は「どんでん返し」の名作として紹介した映画『スティング』ですが、プロットという観点からみても本作はおそらく世界最高の完成度だと思います。
「どんでん返し」というと、奇をてらって驚かせてやろうとか、とにかく意表をついてやろうとか考えがちですが、その根本は最終的には読者を楽しませるためのものです。
『スティング』のこの、徹底的に観客を楽しませようとする姿勢こそ、そこに仕組まれたトリックやギミックよりも学ぶべき部分であると、ぼくは思います。
今回のエピソードにも、ネタバレ用の近況ノートを用意します。内容に関するコメントは、そちらにお願いします。
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