深海の心

 あれから僕らは、毎日一緒に帰った。昼休みにも会う。でも最近優璃は、教室に上がって授業を受けているそうだ。成績も上々らしい。

 制服も長袖になったある日。冷たい風が頬を撫でる―

 *

「えっ?今日は保健室に来ていないんですか?」

「そうなのよ。もしかしたら、まだ教室にいるかも。探してくれる?」

「…分かりました」

 人は、日常と異なる状況に陥ると焦ってしまうものだ。僕は、急いで階段を駆け上った。


「え?柄本さんならもうクラスの人と一緒に帰りましたよ。あんまりガラが良くない人達なんですけどねー」

 優璃のクラスの生徒に訊き、僕は妙な胸騒ぎを感じる。ありがとう、と告げると同時に階段を駆け下りた。

 いつもの帰路を、目を凝らして歩く。日没の早さを感じた。

 暫く捜し歩いたところで、誰かの気配を感じた。周りには誰もいない。

 耳を澄ませる。すると、ごみ置き場から声が。近寄る。

「あの、大丈…!」

 とても見慣れた少女だった。肩を抱きかかえる。下着しか纏っていないその姿は酷くボロボロで、体中に痣があった。

「優璃…どうしたんだよ、優璃!!」

 優璃が開いたその小さな口の中は、血塗れだった。

「大好きだよ…柊翔君」

 もう弱りきっていた。どうする。携帯も持っていないし、公衆電話もない。病院はあるが、ここからなら優璃の家の方が近いだろう。

「もう大丈夫だからな…」

 自分の上着を優璃に着せ、負ぶった。露になっている肌から感じられる温かみは、もうない。

 全速力で、優璃の家まで駆けた。

 *

 月明りもない、暗夜の帰路。

 優璃の母から驚かれ、感謝され、もう遅いから帰ろうと諭された。すぐ病院に行くそうなので、少しは安心した。

 だが、どう見てもあの傷は、人が加えたものだ。一体誰が、あんなことを…

 その矢先。横目に見える船着き場に、4人の影が写った。

「で、最近言うこと聞かない柄本って子、どうしたんすか?」

「ああ、3人でリンチしてやったよ」

「あの気持ち悪いくらい白い肌と髪が穢れていくの見てると、最高だったな!」

「ライターで炙られた時とか、もう絶叫やったわ。俺らに逆らった制裁として、上手いこと躾けられたんとちゃうか?」

 そう言うと4人は、ゲラゲラと笑いあった。煙草の火で、その下卑た笑みが照らされていた。

 激昂っていうのは、今の事なんだろうな。

 4人の方へ進む。

「おい、お前らか…優璃を虐めた奴は」

「はぁ?あんた誰すか」

 無心だった。僕はただ、衝動に駆られていた。

「お前らかって聞いてんだよ‼」

 気が付くと僕は、一番近くにいた奴を殴り飛ばしていた。力の差は明らかで、相手が倒れる。

「クソ、何やこいつ!」

 2人目が、バタフライナイフを取り出し襲い掛かってくるが、腹を蹴って瞬時にそれを奪う。

「お前ら…許さねえ」

「う…うわああ!」

 3人目にナイフを突きつけ、怯えているところを刺した。自分の体が鮮血で染まっていく。そんな感覚も、僕にはもうなかった。

 最後の一人を思い出し、後ろを振り向く。愕然としているそいつの胸倉を掴み、海へ投げた―

 冷淡な飛沫の音と、跳ね返る潮水で、僕は目を覚ます。

 辺りを見回すと、自分がしてしまった罪の重さを知った。

 ああ、今日から僕は、こんな奴らの仲間入りなのか。相手を痛めつけて、それで優璃の為になる訳がない。

 もう、全て終わりなのか。もう、おしまいなのか。それなら、自暴自棄だ―


 消えゆく意識の中、僕はふわりと海へ落ちた。

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保健室の玉匣 虚虎ふじ @uroko-fuji

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