♡52 幸せな生活/『先輩は俺がもらった』僕らは毎日、ラブコメディ

「おーい、ヒロくん」

 ぺちぺち。

「起きてよー。朝ですよー」

 ぺちぺちぺちん。そして、腹に重みが。

「朝倉先輩?」


 寝ぼけまなこで見上げる。腹の上に彼女がまたがっていた。


「せんぱい? かな子ですよー」


 ああ、そうか。高校時代の夢を見ていたようだ。しかも、いやな場面で目が覚めたもんだ。あのあと、朝倉先輩ことかな子さんが、わんわん泣いて、さすがの飯田先輩もたじろいでいた。僕はといえば、「メガネ、メガネ」状態でぼやぼやした視界のまま、首に抱きつく朝倉先輩をなだめながら、周りに注目されている恥ずかしさを十分すぎるほど味わっていた。


「うわーん。死んじゃダメですよー。うわーん、わんわん」

「死んでないですから。大丈夫ですよ」


 本当は大丈夫じゃないが、そう言うしかない。僕を抱きしめ、大泣きしている先輩を見て、ギャラリーの考えはどうやら少し変わったらしい。飯田先輩に対して、やや冷たい空気が流れ始めていた。


「おい、かな子。帰るぞ。そんなクズ、ほっとけよ」

「わーん。小鳥くんが死んじゃうよー」


「小山です」


「小山くんがぁ、ボロボロですぅ。うえーん。たくちゃんなんて嫌い。大嫌い」

「かな子っ」

「あっち行ってよ、たくちゃん。かな子に触らないで」


 僕から朝倉先輩を引きはがそうとしていた飯田先輩の手が、ぴくりと動く。彼は「けっ」と典型的な悪態をつくと、

「おめー、クズが好きだな。頭悪すぎだぜ」

 と捨て台詞を吐いて、足早に去っていった。


 ギャラリーもぞろぞろと散っていくが、そこに、「修羅場?」「飯田が振られてんの?」「あの子、誰だっけ?」「ことりくん?」という声が足音に混じって聞こえてきた。


 負けたというか、そもそもまともに対峙すらできなかったわけだけど、僕の評判は思ったほど下がらなかったようだ。


 朝倉先輩はずっと泣いていて、「ごめんなさい」と何度も耳元でくり返していた。あなたが謝ることないですよと、こちらも何度も言ったのだけれど、彼女は首を振り、しくしくするばかり。拭いても拭いても涙がこぼれてくるので、どうしたらいいか、僕は不安でいっぱいになってしまった。


 それでも、しばらくすると騒ぎを耳にしたらしき川田先輩が駆けつけて来るなり、「なにやってんだ、お前」と僕の頭をスパンと叩くと、朝倉先輩の目は真ん丸になって、涙はひっこんだ。


「みきちゃんっ。小山くんをいじめないでよ!」

「いじめてないっ。しつけてんの。おい、なに負けてんだよ。頑張れよ、知恵をつけろ。素手でやろうと思うな。いいか、武器は弱いものが使えば許される」


 なんの指導だろうか。でも、おかしくて笑ってしまった。

 川田先輩も僕のやられっぷりを改めて見て、「ぶふふっ」と笑い出す。


「おいおい。メガネが砕けてるじゃんか。うけるー」

「みきちゃんっ」


 朝倉先輩だけがプリプリと怒っていた。でも、泣いているよりは、ずっといい。

 僕は――


「ヒロくん、まだ起きないのぉ」

「はいはい、起きますよ。だから、僕から降りてくださいよ」

「わかった」


 ぴょんと、僕からもベッドからも飛び降りる、かな子さん。

 朝、まだ早い時刻だ。お寝坊さんの彼女が、こんなに元気よく起床している理由。それは、


「ヒロくん。はやく冒険に行きましょう」


 やってやるぜ、腕を突き上げて「やー」と気合を入れている。

 冒険……というか、今日は軽い登山をしてロッジに一泊する予定なんです。

 妻は一週間も前からソワソワして、眠れないほどだった。

 ディナーにチーズフォンデュが出るらしいので、僕も楽しみです。


「みきちゃん、まだ来ないかなぁ」

「まだ六時前でしょ。集合は七時ですよ」

「もう先に行こうか?」

「ダメですよ。向こうの車で行くんだから」

「むふぅ。遅い、遅い。電話しよっかな?」


 腕を組み、ぐるぐる部屋を回る。唇は突き出していて、眉間には深いしわ。それでも、かわいい人だ。かな子さんは十年経っても、変わらずに自由でかわいい。


「かな子さん。たくちゃんさんって憶えてます?」

「たくあんさん? 誰、それ」

「飯田先輩。たくちゃんですよ。高校時代にかな子さんが付き合ってた人」


 ん? と首を傾げ、歩き回っていた足を止める彼女。

 うーんと、しばらく考えてみたようだが、

「忘れちゃった」とのこと。


「ほんとに? 背が高くて、茶髪にピアスの人ですよ」

「うーん。かな子、彼氏はヒロくんだけだったはずです」

「それだと、彼氏じゃない人とキスしてたことになりますよ」


 ま、かな子さんの認識だと、たくちゃんもそれ以外のボーイフレンド軍も彼氏ではなかったのかもしれない。……しれないが、やることはやっていた。というか、やられていたのだから、危うい人だ。


「キスぅ?」


 うーんうんうん、と難しい顔をして考え込む。

 それから、パッと晴れやかな顔をして、


「思い出した。たくちゃん、いたっ。ヒロくんが傘で、めったんこのギッタンギタにして退治した人ね。『朝倉先輩は俺がもらった』って言いましたね、あのとき」


「僕、言いましたか、そんなこと?」絶対、言ってない。絶対。

「言ったはずです。そうだ! かな子、日記に書いてるよ」


「ああ、ああ」と本棚に近づく彼女を制して、

「いいですよ、確認しなくて。それより、朝食とって、旅行の最終確認しましょうね」


「イエッサー」


 かな子さんは、るんるんでウサギのように跳ねて部屋を出ていく。

 お弁当におやつ、オカリナまで用意した(山の頂上で奏でるらしい)。


「お泊りセットは完璧でしょぉ。アニーも連れて行くしぃ」

「アニーは、お留守番にしたら?」

「なぬっ! ダメですよ、アニーはどこでも連れて行くのです」


 失くさないでね……、と心配なんだけど。

 僕がしっかり用心してないと、危険ですね。

 くまボンリュックがパンパンに膨らみ、かな子さんはご満悦。


「さて、完璧……はっ!」

「どうしました?」

「帽子! おそろいの、あるの」


 そう言って駆けて行き、戻ってきたと思ったら。

 僕の頭にのっけられたのは、どう見ても女性用のつば広帽子だ。

 しかも裏地が派手な花柄ときた。


「あの、これは」

「かな子とリボンが色違いよ。ふふふ」

「へへへ」と笑う僕。登山道にバカップル誕生の予感です。


 第一ラウンドのあとにも紆余曲折あったけれど、それは、また別の機会に振り返りましょう。ともあれ。僕はこうして彼女と――学校のマドンナだった朝倉先輩と、いま、とても幸せに暮らしています。



  ――過去・高校時代編 PART 1 幕。

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