♡47 教室に女神降臨 2/『待ちたまえよ』島々コンビは唖然としていた
ざわざわとしていたはずの教室が静まり返る。
朝倉先輩は少し口をすぼめ、教室を見回していた。
僕が見つかるのも時間の問題だ。やばいと思った。
とにかく隠れたほうがいいと、顔を伏せて息をひそめた。周りではコソコソと「小鳥くんって?」と囁きかわす声が聞こえ、目の前にいる島々コンビも、「おぉ、あれは我が校のマドンナでは」と恐れおののいている。
彼らは直視すれば目が潰れるとでも思っているかのように、やや視線を下げ気味だが、それでも全神経が朝倉先輩に向かっているのはビンビンに伝わってくる熱気でよくわかった。
「小鳥くん、小鳥くん……。ここじゃないのかなぁ」
しゅんとした悲しげな声。さすがに胸がちくりとした。
それでも、ますます僕は体を丸めて、この場から消え入ることばかりに神経を使い、息すら止めて耐えていた。
「うぅ、小鳥くんがいないよ。困ったぞ」
「あの、小鳥くんって?」
誰か知らないが、そう言っている。
女子のようだが、緊張しているのか声が震えていた。
朝倉先輩といえば、あまりに有名すぎるのだ。一年生がこんなに間近で声をかけることなど、まず不可能な存在だ。
そうだ、不可能な存在なんだ。僕はあらためて思い至った。
自然と会話を交わしていたが、それは、どんでもなく大それたことで、その報いをいま受けているに違いない。僕はゆっくり長く息を吐き出しながら、なんとか朝倉先輩が諦めて去ってくれるのを待った。
の、だけれど。
「あっ、小鳥くんじゃなかった。小島くんだった」
ハッとした。小島でもないしっ。って、そうじゃなくて、小島はうちのクラスにいる。その小島くんに、全員の視線が集まった。僕も申し訳ない気持ちを抱えて、そっと彼をうかがう。
小島くんはサッカー部所属の、そこそこイケメンな男子だ。うちのクラスでは一番人気だと言っていい。ただ学校全体でいうと霞む存在ではある。
小島くんは顔を赤くして硬直していた。無理もない。いきなり朝倉先輩から名指しされたのだ。人生において、こんな突飛なことは、今までなかったんじゃなかろうか。しかし、さらに彼にとっては残念な展開が続く。
朝倉先輩は小島くんを見て、あっさり言ったのだ。
「メガネしてない! 違う、小島くんでもないぞ」
はい、僕は小山ですから。なんて、挙手して立ち上がるわけにはいかないので、じっと静かに体を丸めて縮まる。
「どうしよう。小鳥くんはメガネなの。どこ行っちゃったんだろう」
「小島くんでも、ないんですよね?」と誰かさん。
「うん。あの人違う。もっとかわいくて素敵な人」
どきっとした僕はバカかもしれない。
かわいいですと? いや、うん。朝倉先輩のことは、もう、よくわかっている。ちょっと変な趣味なんだ。リアルなカメレオンをかわいいとかいうタイプの女子だ。違いない。うん、僕はかわいいなんて女子に言われて喜んだりしないぞ。
って、強く自分に言い聞かせながら、口が緩む僕はやっぱりちょっとバカなんだ。
「かわいい人?」と誰かさんが繰り返す。
「男子ですよね」
ここへ来て誰かさんの緊張感は落ち着き、それよりも好奇心が勝ってきているのが声音で分かった。他のクラスメイトも、そうらしい。
誰だ。かわいい小鳥、もしくは素敵な小島とは?
目の前にいる島々コンビも、興奮してきたのか、
「島田のことかも」「いや、島村かもしれない」と小声でやりあい始めた。
「島だよな」「イエス、島の誰かだ」
小山だよ。と言いたくなる欲求を抑え込む。
言ったところで悲劇しか起こらないはずだ。
僕はじっと冬眠するかの如く、身動きひとつせずに時を待った。
「ああん、ここにもいないのかなぁ。どこ行ったんだろう」
「どんな人ですか? 特徴とかは?」
「うーんと、かわいくて優しいの。あと、料理が上手なの」
「へぇっ」
感心したらしい様子のあいづちが、耳をくすぐる。
てへへと照れそうになって、気合を入れて無心になろうとした。
「メガネなの。それで黒い髪でね」
「メガネ男子ですか」と誰かさん。
クラスにメガネ男子は三人いるのだ。そう、島々コンビ+僕です。
ぐりんとクラスメイトの頭が回って、こちらを見ている気がした。
僕は朝倉先輩には背を向けている。目の前には、どうにかなっちゃいそうなほど動揺している島々コンビの真っ赤な顔があった。
「た、たいへんだ。僕のことですぞ」
「待ちたまえよ。きっと僕のことさ」
島々コンビはあたふたしながらも、期待に胸をときめかせているようだ。手がソワソワと動き、心臓を押さえている。
僕は透明人間になりたいと強く願いながら、じっとしていた。と、「いたっ」と声があがる。「ひっ」と島々コンビ。いざ、発見されるとたじろいでしまったのだろう。だが、君たちではない。僕だ。でも、僕であっても困るわけで。
「小山くん! 思い出したぞ、小山くんだった」
わーいと駆け寄ってくる足音。クラス中の視線が集まる。島々コンビは宇宙人でも見るみたいにして僕を凝視している。僕は……、逃げよう。そう思って立ち上がり振り返ったところ、朝倉先輩に前から抱きつかれた。
「会いたかったよぉ」
ぴったりと張り付く体。何か……色々、当たっている。気にしない、気にしない。気にしたら色々終わる。僕は目を閉じて、「あの、放して下さい」と頼んだ。
「ダメ。かくれんぼは、もうおしまいです。かな子は見つけたの」
「もう逃げませんから」
目を薄っすら開けると、朝倉先輩のドアップ。
びっくりして、僕はまた固く目を閉じた。
「もう、ひとりでお弁当食べるなんて、ひどいです。かな子にもください」
「これは僕の昼食です。先輩は自分のを」
「ないのぉ。お腹空いたのぉ」
「また、たくちゃん先輩に食べられたんですか?」
「エビフライだったの。でもかな子は揚げ物禁止だって、たくちゃんが」
「断ればいいじゃないですか」
「むぅ。だって、すぐ食べちゃうんだもん」
「じゃ、売店でパンでも買えば?」
「かな子、財布もってないもん」
ここで、やっと僕は目を開けた。締め付けられていた体が、ちょっと解放されたのを感じたからだ。伝わっていた体のぬくもりが薄れる。が、ほっとしたところ、今度はクラス全員の目がこちらに向いているのに気づいて、また目を閉じたくなった。でも、さすがにもう無視はできそうにない。
「あ、あの。とにかく、移動しましょう」
「どこに?」
誰もいないところ。
と言いかけて、なんか怪しい響きだと思って、ただ先輩の手を引いた。
「いいから。ちょっと」
「お弁当ぉは?」
腕を伸ばして机の食べかけの弁当をとる。
島々コンビは唖然として僕を見てきたが、口はぱっくり開けたままで、一言も、呼吸すら忘れたように大人しかった。
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