♡45 おいしいランチ 2/『そんな喜ぶなよ』先輩はぶちゅっとキスをする

「メガネくんはいい人ですね」

「そうですか?」

「うん。とってもいい人よ」


 なんだか餌付けに成功したような気分だったが、素直に照れる僕がいる。

 朝倉先輩はガリガリ飴を砕ぎ始め、


「お茶が飲みたいです」と要望。僕は、すかさず水筒を渡す。

「ぷはぁ。ありがとうです、メガネくん」

「はい。あの」と僕は言いかけて、

「いえ、なんでもないです」

「ん? どしました、メガネくん」


 メガネくんがちょっと嫌です。とは言っていいものかどうか。

 黙っていると、この迷いが相手に伝わったのか、朝倉先輩は、


「メガネくんは、たしか……、名前がぁ」

 と考えだした。眉間にしわが寄り、うーんとうなる。

「こや」と言った僕をさえぎって、


「思い出したぞ。小鳥くんだ」


 ぱぁと晴れやかに笑う。

 小鳥くんて……、僕は口を緩ませると、顔をそむけて、

「小鳥くんじゃないですよ」と小声で主張した。


「え、違いますかっ」と朝倉先輩。

「うそ、メガネくんは小鳥くんじゃないですと。でも、こ、こ、こぉ……なんとかでしょ?」


「はい。小山ですよ」

「こまた?」

「こやま」


 パチっと手を打ち鳴らす先輩。


「なるほど。小山くんですか。小鳥くんでもいいですか?」

「えっと」嫌ですね。というわけで。


「小山でお願いします」

「小鳥くんのほうがかわいいのに?」

「かわいくなくていいです」


 むぅと口を尖らせる先輩。


「じゃあ、仕方ないですから、小山くんって呼びます」

「はぁ」

「かな子のことは、かな子ちゃんって呼んでね」

「無理です」

「なっ」のけぞる先輩。驚いたらしい。

「無理ですと。なぜです。かな子はかな子ちゃんがいいのですが」

「朝倉先輩と呼ばせていただきます」


 ぺこりと頭を下げる僕。

 顔をあげると、不満顔の先輩がいた。


「じゃあ、メガネ貸してくれる?」

「え?」

「メガネ。かな子もメガネしたいの」

「これ、きつめな度数入ってますから、かけると頭が痛くなりますよ」

「いいの。ちょっとだけ」


 僕は一秒間考えて、

「ダメです」と断る。


「なんでよぉ。ケチ。ちょっとだけ。メガネ女子になりたいの」

「これはダメです。貸しません」

「小鳥くん、お願い」

「小山です」


 ぶぅと音を鳴らす先輩。僕は笑って、

「外すと見えなくなるんですよ」と大げさに言った。


「ほんとに?」と目を丸くする先輩。

「ええ。ものすごく近くは見えますけど」

「真っ暗になるの?」

「そうじゃなくて。ぼやけるんです」

「ほうほう」


 うーむと腕組みをすると、朝倉先輩は気難しげな顔をした。


「それは大変です。メガネはしておきなさいね」

「はい。だから貸せません」

「一秒なら大丈夫かも?」

「一秒でもダメ」


 ちぇっ。地面を軽く蹴る。


「じゃあ、諦めます。でも、くやしいですよ。がっかりでお腹が減ってきました」


 ちらっと何か期待する視線を感じた。

 しかし、生憎だがもう手持ちの食糧はない。


「売店に行ったらどうです? パンが残っているかも」

「買ってくれる?」

「えっと」正直、僕もお腹が空いていた。誰かさんのせいで。

「買いに行きますか?」

「行きましょうよ」


 ぱっと立ち上がる先輩。僕もつられて勢いよく立ち上がった。

 と、むぎゅっと腕に暖かいものが……


「あ、あの。放してくださいよ」

「やだ」ぎゅう。僕は左腕に抱きつく先輩に腰が抜けそうになっていた。

「あの、本当に放してくれます? 僕、僕……」

 悩んで、

「腕が抜けるかもしれないから」


 本当は腰が抜けそう。でも、朝倉先輩はパッとすぐに放れて、

「あら、ゾンビみたいになるの?」と目を大きく見開く。


 ごそっと落ちると思ったのだろうか。

 不気味。意外とホラーな思考のようだ。


「そうじゃないけど。でも、よくないですから」

「よくない?」

「だって」彼氏いるじゃないですか。


 でも、そう言葉にする前に、その彼氏とやらが登場した。

 またしても、「おい、てめぇ」との怒声と共に。


「何やってんだよ、ブ男」


 ブ男とは僕のことか。ダサいや暗いは言われたことあるけど、ブ男はお初です。

 颯爽と登場とはいえない、ずかずかやって来た飯田先輩は、僕の肩をがんとあいさつ代わりのように突き飛ばし、それから朝倉先輩の腰に手を回して抱き寄せると、なんとブチュッと唇にキスをした。


「もう、苦しいよ」と必死に抵抗して怒る朝倉先輩。

 それに飯田先輩は得意げな笑みを浮かべて、

「そんな喜ぶなよ」と言っている。

 僕にはついていけないお戯れだ。


「それでは」とそそくさと逃げようとしていると、

「あ、小鳥くんっ」と叫び声。それから、「違った。小山くん」とすぐに訂正が入る。こうなると振り向かないわけにはいかず、

「はい」と僕は返事をする。


「いかないでよぉ。パン食べようって約束したじゃない」

「は?」と、これは飯田先輩の不機嫌な声。

「なに言ってんだ? かな子、こいつと何やってたんだよ」

「ペロペロでごほって」


「は?」と、これは飯田先輩だけじゃなくて、僕も同時に驚く。


「あのね、かな子が死んじゃうって思ったら、小山くんがドンっとしてくれたの。ヒーローよ。たくちゃんも助けてもらえるかもよ」


「はぁ? お前、もう黙ってろよ」

「むぅ。何よ。たくちゃんのバカ」

「だぁれが、バカだあ」


 で、またブチュって。なに、この人たち。

 僕はげんなりして、その場を駆け出して逃げた。

 むかむかした。身をよじって赤くなる朝倉先輩。

 にやにやしている飯田先輩。


 気持ち悪い。この気持ち悪さを振り払うように、僕は思いっきり爆走して、階段も二段とばかしで登る。廊下に出て、ふと、喉がカラカラになっているのに気づいた。水筒を開け口に運びかけたところで、キスが思い出されて嫌気がさした。


 朝倉先輩の唇には、ああして飯田先輩の唾液やら何やらがついているのだ。僕は家に帰ったら、水筒を絶対に漂白剤で消毒しようと固く誓った。

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