♡44 おいしいランチ 1/『間接……、うん』メガネくんは完璧男子

 それから三日後だったと思う。中庭のベンチに座って、僕はひとり、昼食をとっていた。昨日の晩御飯をつめただけの簡単な弁当だったが、空腹だったので何の不満もなくパクパクと食べる。


 と、「あ、いたぁ」という声と共に、パタパタとこちらに駆けよってくる足音がした。目をやれば、朝倉先輩が手を振りながらトコトコ走って来ていた。


「どうも」と僕。ちょっと不愛想だったかもしれない。


 でも彼女を見た瞬間、すぐにキスをしていた場面が浮かんできてしまい、気鬱になったのだ。どうやら朝倉先輩だけで飯田先輩の姿はないようだったが、またいきなり現れて見たくもない場面を見せつけられるか、わかったもんじゃない。


 用心に越したことはないと、僕はうつむいて弁当箱を熱心に分析した。白米とブロッコリーのおかず。ブロッコリーはエビが入っていてマヨネーズで炒めてある。


「みーつけた」


 はしゃぐような声がしたかと思うと、朝倉先輩は僕の隣にぴょんと飛び込むようにして座った。それから弁当箱をのぞきこみ、

「わぁ、おいしそうね」と褒めてくる。かなり前のめりになってのぞいてくるので、僕の視界は朝倉先輩の後頭部しか見えなくなっていた。


「あ、あのぉ」僕は身をよじって横へ移動した。

 朝倉先輩は顔を上げ、

「一個、くださいな。ブロッコリー好きなのです。ダメでしょうか?」


 とお願いポーズで手を合わして見つめてくる。かわいいと思ってしまった。そして同時に、くやしかった。なんだろう、どうにもソワソワして気分が悪い。

 甘いような香りが漂ってきて、足の裏が痒いような力の抜ける感覚がしてきた。僕はなんとか呼吸を整えて、


「先輩はお昼どうしたんですか?」

「かな子もお弁当でしたよ。今日はおちらしでした」

「ちらし寿司ですか? 豪華ですね」

「でも、かな子は食べてないのよ」


 僕は首をひねった。すると、朝倉先輩はぷくっと頬を膨らませ、


「あのね、たくちゃんが全部食べちゃったの。かな子が、ぶぅ子になるとダメだからって。ひどいでしょ? かな子、お腹すいてるの。ぐぅぐぅいってます」


 はふぅと長い息を吐きだすと、朝倉先輩は指をくわえるようにして、僕の弁当に熱い視線を送ってきた。僕は苦笑して、


「どうぞ」と弁当を差し出した。

「箸、どうしましょうか。洗ってきて」

 という間に、先輩は箸も弁当箱もひったくり、

「いっただきまーす」


 と飢えた子犬のような素早さで食べ始めた。

 途中、「ごふっ」と喉をつまらせて咳き込む。

 僕は、「誰も盗まないですから。よく噛んで食べて下さい」

 とまるで母親のように言って背をさすってあげた。


 彼女の方が二つも年上なのだが、どうも中一の妹よりも幼く思えてならない。それが不快だというわけでもないのだが、ハラハラするというか、なんというか……


「これ、おいしぃよ。すっごくおいしいです。メガネくんのお母さんは料理上手ね?」


「僕が作ったんですよ。晩御飯の残りですけど」

「ん? メガネくんがですと?」


「ええ。うちは両親共働きで。二人とも教師なんですけど、忙しいらしくて。料理は僕が担当してるんです。といっても、簡単な物しか作りませんけどね」


「まぁ、立派ね。すごいです」


 パチパチパチと拍手。弁当箱はすっかり空になっていた。


「すごかないですよ。モデルをやっている先輩に比べたら、ぜんぜん」

「へーっ、モデルやってる先輩がいるの?」


 あなたですが? とは突っ込めず。

「いますね」とだけ答えた。


「じゃぁ」

 と、僕は弁当箱を受け取ってしまいながら、立ち上がろうとした。しかし、ぐいっと上着をつかまれてベンチに腰を落とす。


「ダメダメ。どこ行くの。せっかく見つけたのに。メガネくんたら、どこにもいないんだもの。かな子と友達でしょ。お話ししましょう」


「えっと」僕は周囲に視線をやった。

 遠くに人の姿があるが、近くには誰もいない。念のため、校舎を見上げてみたが、誰かが窓からのぞいているようすもなかった。


「あの、飯田先輩はどうしたんですか?」

「いいだせんぱいって誰?」

「彼氏さんですよ。たくちゃん、ですっけ?」

「あ、たくちゃんね。たくちゃんは知らないの。逃げて来たから」

「逃げて?」


「うん。だってね」と朝倉先輩は口に手を添えると小声で、

「ベタベタしてくるでしょ? あれ嫌いなの。苦しいから」


「あぁ」としか言葉が出てこなかった。

 それでも、朝倉先輩は上機嫌で、

「お腹いっぱいになりましたよ。お茶が飲みたいけど」

 とリクエスト。

「ありますよ」と僕。水筒を取り出す。


「わぁ、メガネくんはすごいですね!」


 お茶ひとつでこうも喜ばれるとは。

 朝倉先輩は目をキラキラさせて僕に微笑みかける。

 僕は首をすくめた。恥ずかしいのと困った気持ちでいっぱいだった。


「あの、でもこれ、口を付けて飲むタイプの水筒で」

 と言っているのに奪い取られ、

「ごくごく。ぷはぁ。いいお茶ですねぇ」とのご感想。


 間接……、うん、気にしないでいよう。

 朝倉先輩はお腹をさすり、

「ああん。またお腹空いて来ちゃった。かな子、おでぶぅになるかしら」 

 としゅんと肩を落として嘆き始める。


「しくしく。甘いものが食べたいです」

「ありますよ」


 僕はポケットから飴を取り出した。

 のど飴だったが、朝倉先輩は「ほわぁ」と感激してくれて、

「くれますか?」と身をずいっと乗り出して、顔を近づけてくる。

「はい、どうぞ」


 息がかかりそうな距離だったので、ぼそぼそとつぶやくのが精一杯だった。なんだか変な汗が出てくる。顔も暑いし、まばたきをバカみたいに繰り返してしまった。朝倉先輩はそんな僕の不自然さなんて気にも留めずに飴を口に放り込んでいる。


「これは何味でしょうか?」

「かりんですね」

「ほうほう。うぐ」


 と、どうやら飴を飲み込みそうになったらしい。

 目を見開いて硬直するので、僕はドンと背中と叩いて救助した。


「はう、危なかったです」

「ゆっくり舐めてくださいね。おちついて」


「はい」とコロコロと飴を転がしながら味わう朝倉先輩。

 楽しいのかベンチに座った足がリズムをとるように動いている。


 ――2につづく。

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