♡42 出会いはパンツ丸見え 2/『おんぶしてほしいな』僕は胸がドキドキした

 ビーナスとか女神像を見ているような気分になるんだ。

 まるで生きた人じゃなく、彫像を見ているような感じ。


 もちろん、相手は生きているのだから、だまってしまった僕を不思議に思ったのだろう、「おーい」と声を上げた。その声も可愛いなと、胸がドキドキした。高すぎない滑らかな音が、耳から入って全身を貫いていくようだった。


「おーい、おーい。応答せよ、聞こえますか?」

「あ、えっと。あの、大丈夫ですか?」


 お前が大丈夫かと内なる自分がツッコミをかましていたが、ついた言葉はこれだった。


「ケ、ケガ、してないですか? 顔を打ったんですか? ひざとかは? 足ひねったりとか、してないですか? 立てますか?」


「うーん。なんかもう平気かな。すっごくねぇ、びっくりしたの。きっとね、足もとを小人さんが走って行ったのよ。トコトコトコって。それで、かな子はすってんコロリンってこけてしまいました。おかげさまで、鼻がべちゃりとつぶれてしまいましたの、とほほ」


「鼻はちゃんとありますよ」


 僕は色々脳内で思ってはいたのだが、まずはこれだろうと鼻の状態を教えてあげた。すると、朝倉先輩は恐る恐る自分の鼻を触り、


「ある? これ、つぶれてない?」

 と、不安げに眉を寄せる。


「はい、ちゃんと高くて立派な鼻がついてますよ」

「そうかしら?」


 寄り眼がちになりながら、そっと触っている。

 僕はぷっと笑ってしまった。


「笑ったわね」

「す、すみません。大丈夫、ちゃんと鼻はありますって」

「あなたみたいな?」

「僕よりもずっときれいな鼻がついてますよ」


 くしゃっと音が聞こえそうなほど、彼女は急に表情を変えて笑った。


「かな子の鼻、きれいなの?」

「はい」と僕はすぐ答えて、

「あ、いや。鼻以外もきれいですよ」と付け加えた。


 こんなこと、言われてばかりいるだろうに、彼女はポッと赤くなって、

「ややや。あなた褒めますね」

 と顔を両手で隠してしまった。


 このときの僕の「きれい」という言葉は、たぶん絵画や彫刻に対して「きれい」というのと同じようなものだったはずだ。空がきれいでも、花がきれいでもいい。本当に形良くて美しいものに、ただ単純に「きれい」だと言っていた。


 それでも、「ややや」なんて言って、ポッと顔を赤らめたのを見た瞬間、体の中を小さい手でくすぐられるような、ソワソワしたこそばゆさと心臓を針でちくりとやられるような痛みを覚えた。ごくりと飲み込んだ唾液がなんだかやけに熱くて、ふわりと吹いていった北風が涼しく、息をそっと長く吐き出した。目の前では、朝倉先輩が顔を両手で覆ったまま、「むむむむぅ」とうなっている。


「どうしました?」


 どこか体が痛むのだろうか。派手に転んだようだし、立ち上がるのも辛いのかもしれない。僕は迷いながらだったけど、彼女の眼前にしゃがむと、


「保健室行きます? 体、支えて歩きますよ?」

 左手で彼女の肩に触れた。

 と、突然、パッと両手を顔から離した朝倉先輩は、


「いないない、ばぁっ」大きな声を出した。

「うわっ」僕は上体を倒す。びっくりした。


 でも、けらけら笑っている彼女を見ていると、自然と顔がほころんできて、

「もう。いたずらはよしてくださいよ」

 と、自分でも驚くほど気さくな調子で話しかけていた。

 緊張していたつもりもなかったのだが、肩の力が抜けた僕は、

「立てますか? そんな床にペタンと座っていたら、体を冷やしますよ」

 と言って立ち上がり、彼女に手を伸ばした。


 すると、朝倉先輩はちょっと口をすぼめ、

「おんぶしてほしいな」

 って……え?

「おんぶ、ですか? 足、痛むの?」

「うーん。ひざが痛い」

「すりむいた?」

「うーん」


 悩みだすので、僕は再びしゃがみ、彼女の足に目をやった。

 スカートからは紺のハイソックスに包まれている細いふくらはぎが見えているだけだった。

 と、僕の視線に気づいたのか、朝倉先輩はぺろりとスカートをめくる。


「うーん。痛いけど、血は出てないね」

「そ、そうですね」


 すぐに目をそらしたが、太ももの真ん中あたりまで見てしまい、ひやりと、なぜだか恐怖を覚えて焦ってしまった。


「うーん。痛い。でも、お尻が冷たいから立ちましょうかね?」

「そ、そうですね。立った方がいいですよ」


 よいしょっと朝倉先輩は腰を上げる。

 足はちゃんと機能したようで、手を貸さなくても大丈夫だった。

 彼女はスカートの汚れをはらうようにパンパン叩くと、後ろを振り返り、


「あら、上着が落ちてますよ」

 と、不思議そうに言った。

「ああ、僕のですよ」


 拾い上げて、上着を着ていると、彼女は右に左に首を傾げ、

「どうして脱いでたの? 今日は寒いですよ」

 と目をパチパチさせる。


「えっと……」あなたのパンツを隠していたんですよ。

 とは、もちろん口にはできず。

 僕は唇の端を意識的に持ち上げて笑い、

「暑いかなと思って。でも寒かったです」

 と、まるきりおバカさんな台詞を吐いた。


 朝倉先輩も面白いと思ったのか、クスクス笑い、

「あらあら。夏はもう終わりましたよ」

 と、ぽんぽんと僕の腕を軽く叩く。


「あなたは面白い人ですね。でも、風邪引きますからね。上着は着てなさいね」

「はい。ちゃんと着ますよ。朝倉先輩のほうこそ」


 と、ここで僕は言葉を切った。

 うっかり、「スカート一枚じゃ寒くないですか」と言いそうになったのだ。この流れで、パンツ見えていましたよ、なんて話してしまいそうな己が怖い。

 でも、彼女の方では、そんな僕の迷いは見抜けなかったようで、


「『ほうこそ』なんです? かな子は健康ですぞ」

 と、急に自慢げにふんぞり返る。

「でも、足痛いんじゃ?」

「ん?」

「いや、もう痛くないなら、よかったです」

「うーん。足、そう言えば、痛いね。あと、鼻も」


 つんつんと人差し指で自分の鼻を叩いている。

 僕は笑いが込み上げてきて、ごまかすように咳をした。


「あら、コンコンしちゃって。風邪ですな」

「い、いえ。違いますよ。朝倉先輩って」

 おかしいですねは、ダメか。

「楽しいですね」

 って、これもマズかったかな?

 けれど、彼女はふふふと笑い、

「あなたも楽しい人ですね。かな子と友達になってください」

 と手を差し出してきた。


「えっと」

「あら、かな子と友達、いやですか」

「い、いえ。光栄です」


 ――3につづく。

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