マドンナと僕。PART1

♡41 出会いはパンツ丸見え 1/『桜色の唇』僕は見てはいけないものを見た

 妻のかな子さんとは、高校時代に出会った。僕は一年で、彼女は三年。


 朝倉かな子といえば、その頃からティーン向けの雑誌でモデルをしている校内でも超有名な美人さんだった。あまり人の名前や顔を覚えるのが得意じゃない僕でも、彼女のことはよく知っていて、遠巻きになら、入学当初からたびたび見かけていた。とにかく、目立つ人だったのだ。


 僕はと言えば、今ももっさりだが、当時はさらにもっさりしていた。メガネくんだったし、背丈は平均より少し高かったが猫背気味で、どんくさい雰囲気が漂い、真面目さだけが取り柄の冴えない生徒でしかなかった。


 さて、そんな僕とマドンナ・かな子さんとの出会いはと言うと、ちょっとオカシイ。あれは、秋から冬に季節が移り替わろうとしていた日、時刻は昼休みの終了間際だった。


 当時、僕はお弁当派で、いつも教室ではなく校内の中庭や裏庭、木陰や運動場前に置いてあるベンチなどに座って、寂しく一人でお昼を食べていた。なぜ、一人かというと、友達がいないから……というわけでもなかったのだが、がやがやした雰囲気よりも静かな場所でマイペースに食べることが好きだったのだ。


 この日も、早めに昼食を食べ終えた僕は、ぶらぶらと遠回りしながら教室へと戻っていた。景色を眺めては、あの花が咲いたとか、葉が色づいているなとか、そういう変化を見て回るのが日課になっていた。


 と、昇降口まで来た時だった。特別棟につながる階段を下り、自販機の前を通り抜けると、下駄箱が並んでいるのだが、その自販機の前で衝撃的なものを僕は見てしまった。


 パンツだ。まず目の飛び込んできたのは、白地にくまの顔がプリントしてある綿パンツのお尻なんだ。


 僕は一瞬、息がとまり、心臓が急激にバクバクした。見てはいけないものを見た気分で取り乱しそうになる。


 まったく、何事が起っているんだろう。動揺しながらも、少し冷静になって観察してみると、どうやら女子がひとり、何もつまずく箇所なんてない平たい場所ですっ転んでしまったらしい。スカートは腰まで上がり、しかも、そのまま起き上がれずにいるようで、お尻を上にしたへの字の格好で固まっている。


 大変だ。こけていることも大変だが、パンツが見えているのも大変だ。


 僕は途中だった階段を最後まで急いで下りきると、彼女の近くまで駆けて行った。しかし、そこでぴたりと足が止まって、考えてしまう。


 スカートを直したほうがいいはずだ。

 でも、触ってもいいものだろうか。


 僕は妹がいるけれど、こんなに間近で女子のパンツをまじまじと見たことはなかった。それに、中一の妹でもはかないような、幼いプリント柄のパンツだったので、ますます見てはいけないものを見たような気になった。


 結局、僕はスカートをつまんで直してあげるのは、遠慮がなさすぎる気がしたので、上着を脱ぐと、彼女のお尻にかけてあげた。彼女はずっとお尻を突き出したような恰好で、ちっとも動かないでいる。僕は、顔をふせたままでいる彼女に、そっと声をかけた。


「あの、大丈夫ですか?」


 大丈夫じゃないだろうとは思ったのだが、他に言葉が見つからないのだから仕方ない。相手は、ぴくりとも反応を示さなかったのだが、床につく顔に耳を近づけてみると、


「ううっ」


 と小さくうなり声をあげた。

 大変だ。これは、すごく大変だ。


 僕は相手の肩に手をかけ、わずかだけ体を持ち上げた。そうして、顔をのぞきこんで、ケガの状態を確認しようとしたところ、ハッとして身を引いた。


 彼女だ。あのマドンナである朝倉先輩だ。

 やっと正常運転に戻りつつあった心臓が、またズンドコ騒がしくなってきた。

 何事が起こったのだろうか。


 僕は周囲を見回した。誰かに助けを求めたいようでいて、彼女の名誉のためにも、誰もパンツ丸見えだったこの光景を見てなければいいがと、相反す気持ちでおろおろした。


「いたたたた。鼻がつぶれて、歯が欠けました」

「えっ」


 朝倉先輩が何か言っている。

 僕は引いていた体を戻して、顔を寄せた。


「大丈夫ですか? ケガしてますか?」

「あうぅ。きっと、血がダラダラです」


 ハラハラした僕は、失礼かなと思いつつ彼女を助け起こした。

 ぺたりと床に座り込む格好になった彼女の顔をまじまじと見る。


 少し鼻先が赤くなっていたが、他はびっくりするほど綺麗で、マシュマロみたいな白い肌をしていた。それに、泣きべそをかいて顔をゆがめているのに、やっぱり超絶美人に変わりなく、僕はたじろいだ。


 こんな間近で彼女の顔を見るなんて、恐れ多い。

 僕は、大急ぎで相手との距離を取った。


 でも、離れてちょっと落ち着いたところで、視線をやれば、彼女のつやつやした前髪に小さい粒みたいなゴミがついている。僕は、けしからんと思い、右手を伸ばした。


 と、涙の粒がついていた長いまつ毛がぱたぱた揺れて、怖がるように朝倉先輩が首をすくめる。


「あ、ごめんなさい。ゴミが」


 僕は慌てて、指先につまんだゴミを見せた。

 朝倉先輩は、じいっとそれを見たあと、

「これ、何?」と首を傾げる。


 僕は「ええっと」と目を細め、指先を顔に近づけた。

 よく分からなかったので、メガネを押し上げて、裸眼で確認したが、やっぱり小さい白い粒だとしか判断できなかった。


「……ゴミですね。ほこりかもしれないです」

「ふうん。とってくれたの?」

「はい、ごめんなさい」

「ごめんなさい?」

「ええっと……」


 僕は会話に迷って言いよどんだ。ちょっと噛み合っていない気がする。

 それでも、向こうは僕の言葉を待っているのか、小首を傾げながら、じぃっと座ったまま見上げてくる。


 顔の半分は目なんじゃないか思うほど大きな目をしていて、瞳が黒々としていた。あまりに見つめてくるもんだから視線を下げると、艶のある桜色の唇が目に入って、その下にすっきりとした線を描くあごと、それに続くほっそりとした首が……と、なんだか無遠慮にまじまじと見てしまった。


 ――2につづく。

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