ジェラシー・ヒロ 3連発

♡37  おやすみのチュウ/『愛人でもいいわ』我が家は昼ドラ的展開を迎えた

 我が家の寝室は、ベッド二台を中央に隣り合わせにくっつけて置いている。真ん中が多少へこむことを我慢すれば、三人並びで寝られないこともない広さだ。

 とはいえ、二人暮らしのため、かな子さんがゴロゴロ転がって遊ぶことはあるにせよ、三人で並んで仲良く寝るなんてことはなかった。そう、今までは。


「さぁ、ねんねしましょうね」


 そう言ってかな子さんは、むぎゅっと彼を抱きしめると、ぶちゅっとおやすみのチュウをした。一度顔を離し、ギュッとした後、さらにもう二度連続でチュッチュする。キスされた相手はというと、偉そうに無表情でまばたきひとつしない。


「腕まくらしてくれますか?」

 ぐいぐい彼の腕を伸ばすかな子さん。

「よいしょっと」

 と、横になり、彼の腕に頭をのせると、嬉しそうに頬ずりする。

「むふぅ。ふわふわですねぇ」

 それから、黒い彼のボウボウの胸毛に手をおくと、さわさわとなでて、

「ふぅ、良い夢が見られそうです」と微笑む。


 それを隣で見ている僕。

 僕らは仲良く川の字で寝ている。かな子さん、奴、僕の順。


 彼とはそう、くまボン等身大ぬいぐるみだ。全長、二メートル五十センチという巨大さで、毛並みはリアルさを極めている。今は下半身の黒タイツの上に僕のパジャマをはき、上半身は誰のものか分からない白のランニングシャツを着ている。奴のために用意したランニングだろうか。胸元が大きく開いていて、覗く胸毛がダンディ……とは思わない。胸毛っていうか、全身黒毛が生えているわけだけど。


「かな子さん、寝ました?」

 目を閉じている妻に声をかける。彼女は薄目を開け、

「寝ますよ。ヒロくんも、寝なさい」


 と言って、すぐに目を閉じ、まるで気を取り直すように、くま野郎を抱きしめる腕に力を込めて頬ずりするんだ。奴は目をぱっちり開けたまま、天井を見上げている。べつに奴が隣で寝てようとベッドが狭くなったと文句を言いたいわけじゃない。かな子さんとの距離が開いてしまった、というのもグチグチ言うまい。


 彼女は寝相がほどよく悪いので、たびたび蹴られたり殴られたりして、ベッドから落とされたことを思えば、間に奴がいるのも身を守るうえでは都合がいいんだ。


 でも、夜中、ふと目が覚めて隣を見た時に、そこにあったはずの愛らしい寝顔じゃなくて、死んだような目をぱっちり開けて天井を見上げている奴の無表情な顔が月光に柔らかく照らされているのを見るのは、なかなかホラーな気分でもある。


 もちろん、そこで目を閉じてスヤスヤいびきなんかかきながら、寝ていたらいたで、完全にホラーなわけだけど。


 とはいえ、真ん丸な目をじぃと見ていると、「なんかいるの?」と思わずこちらまで天井を見上げたくなるし、寝ぼけまなこで何か柔らかいものが当たったと思って、そこで前だったら「かな子さん、つぶしちゃう」とよいしょと距離をとるか、ちょっと触るといういやらしさを発揮していたのに、今は、よくよく確認したら奴の顔面ドアップだったなんてことがあるため、ひぇっと言いたくもなる。


 緑のアフロヘアに、死んだメダカのような目をした丸い両目をもつ巨大黒毛熊の添い寝というのは、僕はどうにも馴染まない。でも、かな子さんは幸せそうで、完全に抱きついて離さない。奴を引っ張れば、かな子さんまで釣り上げることが出来るほど、くっついている。そして。


 なにより不愉快なのは、毎晩繰り広げられる「おやすみのチュウ」なんだ。かな子さんに「おやすみなさいのチュウ」という文化があることを、僕は今まで知らなかった。へー……、おやすみチュウするんだねっていうね。心に隙間風が吹く思いだ。


 さて、結局グチグチ言ってしまったわけだが、ある晩、僕のジェラシーが爆発する事件が起こった。この日、かな子さんは仕事帰りで疲れていたのか、七時頃にくまボンと一緒に寝た。しかし、十二時ごろに目を覚まして、体を起こす。僕が、ちょうど寝ようとベッドに入ったときで、彼女はやや寝ぼけたようにぼんやりしていたのだが、ぎゅうとくまボンを抱きしめ、ふわぁとあくびをした。


「ヒロくん、今から寝るの?」

「うん。かな子さん、目が覚めちゃったの?」

「うーん」かな子さんは目をこすり、ぱちぱちとまばたきして、

「まだ眠いかな。でも、ちょっと遊べるかも」


 そうして、彼女はくまボンにチュッチュした。


「遊びぃましょ」と、彼を抱きしめて体を揺らしたかと思えば、そのまま横になり、ゴロゴロとベッドを転がり始める。


「あの」と僕。寝られないんですけど。かな子さんは、ぴたりと転がるのをやめ、「ヒロくんは眠い?」と訊く。


「ちょっと眠い」

「ふぅん」かな子さんは、何か言いたげに僕をみつめたあと、

「ふぅん」ともう一度言い、くまボンの上におおいかぶさった。

「じゃぁ、静かに遊びぃましょ」


 ぐりぐりと奴の胸毛ぼうぼうの胸に顔を押し付ける。ひとしきり、ぐりぐりした後は、彼の上に乗ったまま、ちょっとだけ這い上り、顔中にキスし始めた。


「ちゅっ、ちゅのちゅう」

「か、かな子さん……」

「ん?」邪気のない顔を向ける彼女。


 しかし、僕はぞわぞわしたものを感じていた。


「かな子さんて、そんなに愛情表現が激しかったんですね」

「そう?」

「ちゅっちゅ、しまくりじゃないですか」

「だってくまボンさん、大好きだもん」

 目を細めて、力いっぱい奴を抱きしめる妻。

「好きです、くまボンさん。かな子、あいらぶゆぅなのです」

「へー……」


 僕は「あいらぶゆぅ」なんて言われたことがない。もっというなら、「好き」ってちゃんと言われたことがない気がしてきた。むくむくとジェラシーが湧いてくる。


「かな子、くまボンさんの奥さんになりたい」

 空耳か。僕は寒気がしていたが、さらに彼女は、

「でも無理ね。愛人でもいいわ」


 なんて言い出した。

 おいおいおいおいおい。おおい、おいおい。


「ちょっと、かな子さん。愛人宣言はやめましょうよ」

 妻はむくりと起き上がると、

「二人で会話中なの。ヒロくんは寝てていいよ」


 と、けろりと言った。僕は昼ドラ的展開を我が家が迎えたことを察知した。やばい。これはマズい現象が起こっているのではありませんか。


「ダメ。なんか不純です」


 僕は、かな子さんの下敷きになっている熊野郎の黒毛まみれの腕をぐいと引っ張った。そのまま、かな子さんの下から引き出そうと思ったのだ。


 しかし、かな子さんはしっかり上に乗っていたので、何が起こったかといえば、「びりっ」と音がして、奴の左腕から綿がはみ出た。


「ひぃっ。腕がさけちゃった」

 かな子さんは飛び起きて、

「あわわわわ」と動揺しまくりで両頬に手をやり、

「う、うわーん。くまボンさんが死んじゃうよぉ」


 ――次話につづく

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