♡31 コインランドリーの怪事件 3/『犯人はお前だ!』キャッチミーで腰抜ける

「あの」

 そう僕が声をかけた瞬間だった。

 ダッと駆け出す人の姿あり。

「待て!」

 と、がしりと腕をつかんだ若い男性だ。

「逃げるな、盗人め」

 と言って、彼は逃げ出そうとした初老の男性を捕まえる。

「は、放せ」


 大暴れする初老の男性。よーくよく見れば、彼の腹部は異様に膨らんでいた。メタボということもある。でも、やっぱり不自然なのだ。でこぼこしているというのか、自然な丸みではない。それに、大慌てで逃げようとしているところを見ると……


 さては奴が犯人か。初老の男性は白髪交じりで案山子のように細身なのに、火事場のバカ力か何か知らないが、大いに暴れまわり、若い男性にがしりとつかまれていた腕をふりほどく。


「く、くそ」と若い男性。

 僕は急いで手を伸ばした。が、初老の男性は指先をかすめて逃げていく。

「そっち行きました」


 僕は女性陣二人に声をかけた。危険を知らせようと思ったのだ。

 しかし、彼女たちはそうはとらなかったようで、ドア口の前にまず若い女性が立ちふさがる。初老の男性は足を止めた。でも、相手がうら若い乙女だと見てとって余裕が出たのか、盗人はすぐにまた突進を始める。


 と。

 バシーン


 大迫力の音がコインランドリーに鳴り響いた。若い女性がトートバックを初老男性の頭にぶちかましたのだ。よろろとよろめく盗人。それに、さらにトートバッグを斜めに持ち、


 ゴン、ガン、ドゴン


 角で頭を殴る、殴る、殴る。さすがに血の気が引いた。殺害現場になっては困る。僕と若い男性が、彼女を止めようと近づいたところで、


 バキン


 大根が二つに割れた。中年女性の鉄槌が奴に下されたのである。


「あんた、その腹につめこんでるの。我が家の今治でしょ」


 でろーんと床に伸びて倒れた盗人の腹からは、まるで腸のように服やら何やらがこぼれ出ていた。


「パンのポイントシール貯めてもらった、特製くまボンタオルを盗んだものあんたね。巨大バスタオルもあんたでしょっ」


 中年女性は砕けた大根を捨てると、今度はエコバックから醤油ボトルを取り出してぶん殴りにかかろうとした。僕は飛び出して、


「も、もうそれくらいで」となだめにかかる。

「こら。あんたもやってやりなさいよ」

「でも、この人が盗んだとは決まってないので……」


 言って視線を下げたときだ。床でのびている盗人の腹からチラリと僕のヒヨコ柄パンツがのぞいているのに気づいた。

 決定だ。こいつが僕のパンツを盗んだんだ。


「あ、こいつです。こいつが犯人だ!」


 僕は叫んだ。すると、トートバッグを凶器に変えていた若い女性が盗人の腹を蹴とばして、


「これ、私のショーツよ。買ったばっかりだったのに」

 と大声を出す。

「高かったのよ! もう、はけないじゃない」


 どうしてくれるんだ、とわめくわめく。

 中年女性も「大根、弁償してよね」と指を突き付けて怒る。

 一方、床にのびた盗人は死んだように動かなかった。僕はひやりとして、

「あの、ちょっと」と初老男性を揺り動かした。大丈夫ですか。


 すると。


「わっ」


 相手はなんと息をひそめていただけのようだ。いきなり起き上がり、ドア口めがけて駆け出した。僕はびっくりして尻もちをついてしまった。その目の前を、


「こぉぉらぁぁぁ」


 と若い男性がドピュンと追いかけていく。ガラス張りの壁越しに、駐車場での攻防を観戦することが出来た。どうやらあとになって分かったのだが、若い男性は張り込み中の警察官だったらしく、駐車場にも見張りをしていた仲間が複数いたようだ。


 突然湧いて出たように、犯人に群がる警察の人々。しかし初老の犯人も負けてない。声を轟かせながら逃げに逃げ、そのたびに腹にため込んだ服をまき散らしていく。しかし、それでも多勢に無勢。犯人は駐車場内でキャッチミーを繰り広げたが、数分後にはがっつり逮捕されていた。


「それで、どうなったの」


 ずいっと身を乗り出して先を聞きたがる妻のかな子さん。ガリゴリくんはあと一口のところで止まり、でろんと棒から落ちそうになっている。僕が「落ちる、落ちる」と教えてあげると、彼女は「ん? あっ」と気づいて、パクリと急いで口に入れた。


「むんで、どぉひたの」

「それで、ですね」


 僕は先を続けようとした。と、その時、

 ピンポーン。


「あ、誰か来たようですね?」


 僕は立ち上がり玄関に向かった。かな子さんは、よほど先が気になるのか、じれったそうに口をすぼめている。ドアを開けると、そこには先ほど交友を深めた中年女性の姿があった。


「ごめんなさいね」

「いえいえ」


 僕は女性を中に入れた。かな子さんがリビンクから顔をのぞかせて、

「あ、ちひろちゃんだ」

 と声を上げる。

「はーい、かな子ちゃん。旦那さんには世話になったわよぉ」


 犯人逮捕のあと、様々すったもんだありまして。パンツやタオルは証拠として使うらしく、警察が持って行ってしまいました。そのとき、余罪というのですか? 他にも盗まれたものがうんぬんの話がありまして、そうこうしているうちに、中年女性とかな子さんの交友を知ったわけです。


 じゃあ、うちにいらっしゃいますかというわけで、一旦荷物を置いた後、こちらにいらしてもらったというわけ。


「旦那さん、大活躍だったわよ、かな子ちゃん」

「そーぉ? ヒロくん、腰抜かしてたんでしょ?」


 うっ、痛いとこついてきますね。

 まぁ、実際、僕はコインランドリー事件で活躍できませんでしたからね。しょぼくれていても仕方ないから、ここは陽気にふるまいます。


「まさか、かな子さんのお友達とは知りませんでしたよ」

「こちらこそ、まさかよ。かな子ちゃんの旦那さんとは思わなくて」

 だって、と中年女性ことちひろさんは言って僕をじっと見たかと思うと、

「いや、なんでもないわ」


 なんて言葉をにごす。なんでもない? ちょっと間が怖かったんですけど。

 彼女は、また僕をじぃっと見て、ふふふと笑う。


「いやね、旦那さん、どんな人かなとは思ってたのよ。まさか、こんなに若い方だとは思わなくてね。うんと年上をイメージしてたわ」


 はて。年上ですか。一体、二人でどんな話をしていたんだろう? 

 首を傾げていると、


「ヒロくんは、かな子より若いよ」

 そうは言って、すとんとソファに座る。

「ね、ちひろちゃん。くまボン体操のDVD観る? ヒロくんね、とっても体操が上手になったのよ」

「あら、そうなの。鍛えてるって言ってたものね」

「うん。みんなのくまボン動画にね、もっと上手になったら投稿しようと思うの」


「げっ」


 思わず大きな声を上げてしまった。

 すると二人して、勢いよく僕の顔を見てくる。


「こら、ヒロくん。練習、怠けてるんじゃないでしょうね」

「あ、いや」

「まぁ。ダメよ、あなた。かな子ちゃん、一生懸命なんだから」


 うーん。何やら窮地ですな。パンツが盗まれたことよりも、こっちのほうが一大事だ。僕は苦笑いのまま、「お茶を入れますよ」とそそくさとこの場から退散した。

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