♡24 ピンクマンの誘惑/『僕の部屋においで』ピンクコートにご注意ください
「ヒロくん、じゃじゃじゃじゃーんっ」
コーヒーを入れていた僕は、声に振り返った。
妻がピンクのコートを広げて持っている。
「きれいな色ですね。かな子さんに似合いそうです」
うすい桜色というのだろうか、優しい色合いのコートだ。ただ。
「ちょっとサイズが大きくないですか?」
妻が体に沿わすように持つコートは、細身の彼女にはぶかぶかなサイズに見えた。すると、彼女は、「ちっちっちっ」と人差し指を立てて振る。
「これは、ヒロくんにでーす。どうぞぉ」
ぴょんとウサギのように跳ねると、僕にコートを差し出す。
僕は手にしていたコーヒーカップをテーブルに置くと、おずおずと受け取ったのだが、どうしよう、着る気にはなれない。だって、ピンクですよ。ピンク! 僕がピンク。これを着るなんて、ギャグですか。
「ちょっと、僕には派手じゃないかな」
控えめに拒否すると、妻は激しく首を振る。
「そんなことないですよ! だって、これパウダーピンクですもん」
うん、色は派手ではないね。優しいほんわかした色です。
「でも、僕って地味じゃないですか」
普段好んで着ているのは、黒かグレー。
頑張ってキャメルに挑戦するくらい。
「どう考えても、その、これを着こなす自信がないですよ」
「えーっ、いらないのっ」がっかりですぅと背を丸める。
「レオくんが着ててカッコよかったから、ヒロくんにも着てほしかったの」
「レオくん?」
「レオくんは、レオくんですよ。知らないの?」
知らないですね。レオ?
「誰ですか? えっと……、人ですよね?」
「人ですよっ」
何いってんの、と言わんばかりに声を張り上げる。いやね、アニメキャラもあり得ると思ったものですから。ピンクのコートですよ、ピンク。
「この間、お仕事いっしょにしたレオくんです!」
「あ、モデルさんですか」
レオね。初耳のお名前です。モデルさんなら、ピンクのコートも着こなせるでしょうね。さぞ、かっこいいお人なんでしょう。
「その、レオくんって人は似合うかもしれないですけど、僕は、ね?」
もっさりですし。無理でしょ、ね?
「うぅ、残念です。これ、お仕事に着て行ったら、ヒロくんフィーバーが巻き起こるのに」
ピンクのコートで学校に行ったら、ウケるだろうな。ピンクマンって呼ばれるかもしれない。中学生の笑いのセンスといったら、常人には理解できないほどしつこいんだ。
「すみません、かな子さん。せっかくですが、ピンクはちょっと」
ごめんなさい。ぺこりと頭を下げる僕。
ピンクマンにはなりたくないのです。でも、妻はむぅと不機嫌になって、
「着もしないで、嫌がるなんて。絶対、似合うのに」
と、お厳しい言葉。うーん。じゃ、ちょっとだけなら……
「ためしに着てみますけどね、笑わないでくださいよ」
すでに自分の中では爆笑中ですが。
「どれどれ。ああ、サイズはぴったりです」
お高いのかな。生地も良いし、サイズも丁度。
これでベージュやネイビーだったら喜んで愛用したのに。
「わっ、素敵です! ヒロくん、素敵っ」
わーいと手を叩く妻。うそでしょ。
「僕で遊んでませんか。絶対、コントみたいになってますよ」
ピンクマンという言葉が頭でぐるぐる回る。
しかめっ面をして耐えていると、妻は僕の腕をぐいぐい引っ張った。
「ほら、鏡で見てごらんよ。とってもかっこいいから」
「ええ……」
しぶしぶ姿見まで移動する。で、そこに映る僕はというと。
「うわぁ」
笑えないほどの似合わなさだ。頭丸ごとちょん切ればぎりでイケますけど。もっさりヘッドにはレベルが高すぎる。
「ヒロくん、モデルさんになれますよ。レオくんより似合ってます」
いやぁ、レオくんとやらのほうが似合うでしょ。
僕はここで、レオくんに興味を覚えたので聞いてみる。
「レオくんって、どんな人ですか。お仕事、よく一緒にするの?」
「うーん」妻はちょっと考えてから、
「レオくんは若いですよ。たしかね、んっと……高校生? だったかな」
「へぇ。若いのに立派ですね」
「うん。でも大人っぽいよ。ハーフなの、あ、ダブルだっけ?」
僕は姿見に映らないようにしようと、体をずらした。
と、妻にぐいと戻される。
「ほら、ちゃんと見てよ。かっこいいっ」
拷問だよ。僕は鏡に映る自分が哀れで泣けてきた。
「で、レオくんはダブルなんですか。ずっと日本暮らし?」
「うーん、知らないけど。でも日本語で話すよ。パパがイタリア人だったかな」
イタリア人の血を引いてるんですか。それならピンクコートなんて、余裕のコーデだな、きっと。
「レオくんがね、『かな子ちゃん、こんど僕の部屋においで』って言うからね、遊びに行こっかなって」
「はい?」
「ん? だからね、遊びにおいでって」
待て待て。とんだイタリィだな。
「まさか一人で行く気じゃないでしょうね」
「ん? だめなの?」
あかん。僕はピンクコートを脱ぎすてた。
「あ、脱がないでよ」
プンプンするかな子さん。僕はそんな妻を無視して肩をつかむ。
「いいですか、かな子さん。高校生だからって気を許しちゃダメですよ! っていうか、高校生のくせに、かな子さんを誘うとかなめてますよ、そいつ。けしからん」
「いい子よ! パピヨン見に行くのっ」
「犬につられないで!」
「むぅ。怒る人嫌いです」
「怒ってないでしょっ」
僕の声に、妻は耳をふさいで、つーんとそっぽを向く。
「きこえませーん」
「かな子さんっ」
「わわわわー。きこえませんよぉ」
その後、プリンを見せるまで、妻は一言も話さなかった。
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