♡11 生徒とデキ婚疑惑/『あなたの声が聴きたくて』ヒロくんはロリコン先生?
噂って怖い。そう思いましたね。いや、人って怖いってやつか。放課後、なんだか知らないけど懐かれている女子生徒に廊下で呼び止められた。セミロングの黒髪で、前髪ぱっつんの二年A組の子。名前は野矢ルミさんです。その彼女が、
「先生、デキ婚で生徒に手を出したって本当ですか」
「な、は?」
一瞬、時が止まる。僕の硬直が解けないうちに、さらに、
「先生。私が高校卒業したら結婚してくれる約束だったでしょ」
「……はい?」
ひどいっ。
そう言って野矢さんはウソ泣きを始める。
おーんおんおん。
僕はしばらく彼女をそっとしておいてから、仕方がないので声をかけた。
「あの、おふざけはこれくらいにしましょうね。野矢さんはバスケ部でしたっけ? 部活に行かなくていいんですか」
「私は合唱部です」
あれ、間違えてましたか。
「あ、そうでしたか。なら合唱部に――」
「合唱部は昼休みにちょこっと活動するだけだから、放課後はフリーです」
お気楽な部活なのかな。いいですねぇ。顧問させられているソフトボール部はひたすら特訓の毎日ですのに。僕はやったことないから、ルールを覚えるところから始めましたよ。
「それじゃぁ、気を付けて帰ってくださいね。さようなら」
ぺこっとおじぎをした僕は、彼女の横を通り抜けた。が、何者かが脇腹にタックルしてきたので、ぐらりとよろめいてしまった。
……何者かって、それは彼女しかいないんですけど。
「ちょっ、あの、ええっと……」
野矢さんがコアラのように僕に抱きついている。すみませんが、こちらはユーカリではありません。かなりの密着具合で、べったりとくっついています。
「あ、あの」
触って引き離すべきなのか、どうかで迷う。セクハラ教師の汚名は嫌ですから。僕は左右に体を振ってみたが、彼女は足まで絡めてきて離れようとしない。
「あの、野矢さん。先生を困らせないでください」
「先生、困ってます?」
「大変困ってますよ」
ぶふっと、何がおかしいのか彼女は笑い、やっと僕を解放してくれた。それから、意地悪げな表情を浮かべると、ひそひそ声で、
「先生、子供いるんですか? 何歳です?」
と訊いてくる。
「いませんよ」
もちろん答えはこうなります。ですが野矢さんは、
「えっ、いないんですか」
と盛大に驚く。
「野矢さん、廊下で騒ぐと他の先生に怒られますよ」
「先生は怒らないの」
「ま、ちょっとは怒りますけど」
「ちょっとぉ?」
やりにくいですね、いまどきの子は。僕はちょこちょこと歩いて野矢さんから離れようとした。けれど、感づかれたのか、彼女に先回りされて進路をふさがれる。
「先生、じゃ、結婚もウソ?」
「それは本当です」
げーっ。野矢さんはまた叫ぶ。
「指輪してないじゃん。詐欺じゃん詐欺!」
「アクセサリーはちょっと苦手で。タンスにちゃんとありますよ」
ピンクゴールドのリング。大切にしまってあります。そういえば、かな子さんも指輪はしてないんですよね……、なぜ?
「で、いつ離婚するんですか?」
「しませんよ」
えええええっ。野矢さん絶叫。大きな張りのある声。
さすが合唱部。って感心している場合じゃないんだけど。
「なんで、なんで。先生、ロリコンなのに」
「ろ、え?」
「ロリコン先生でしょ。だってあたしのこと好きじゃん」
大変だ。目まいがする。僕は頭を抱えた。
「先生、大丈夫ですかぁ」
「大丈夫じゃないです。……ちょっと、電話します」
怪訝な顔でこちらを見ている野矢さんを放っておいて、僕はごそごそと携帯電話を取り出した。
「あ、校内で携帯触るの禁止ですよ」
「いまは緊急事態です」
こそこそと携帯を操作する。
プルルルル……
「はいはーい。ヒロくん、どしましたぁ?」
「ちょっと心が病んできたので、癒されようかと」
「ん?」
「いえ、なんでもないです。もう回復しましたから」
僕は、「それでは、今日は八時までには帰れそうなので」と伝えると、電話を切った。ふぅ。
と、細目で僕を見ている野矢さんの視線にぶつかる。
「先生、いまの誰?」
「……、じゃ、気を付けて帰ってくださいね」
ダッシュ。
「あ、ちょっとぉ」
また抱きつかれそうになったが、今度はくるっと反転して逃げ切れた。背後では「せんせーい」と猛獣のように追いかけてくる声と足音。
廊下を走ってはいけません。
……でも、いまは階段も五段飛び降りて逃げるのです。
ああ、毎日がサバイバル。早くおうちに帰りたい。
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