第2話

 その日の夜、私は絵を描いていました。一輪の、バラの花の絵を。

 なぜ『一輪』か、と言うと。

 バラはその本数によっても、持つ花言葉が違ったりします。


 『一輪』が持つのは――『一目惚れ』。


 思い浮かべるは、みなとくんの笑顔。

 夕日を背景にして、それに負けないほど温かい光をまとった、あの笑顔。

 まぶたの裏に焼き付いた、ドラマのワンシーンのような、あの光景。


 そうして描く、夕日のようなオレンジ色のバラの花。

 精一杯の想いを込めて――私は、したためました。



     ◇     ◇



 時は放課後、場は温室。それは普段ならば心休まるひとときであるはずなのに……今の私はドキドキソワソワ、さっぱり落ち着けません。

 よくよく考えてみれば、『また明日ね』――そう言ってくれた湊くんが、今日もここに来てくれる確証なんてないのに。単に同じクラスだから、教室でも会うからとそう言っただけかもしれないのに。

 でも明日以降になってくれるというなら、少なくとも今よりは気持ちも落ち着くことでしょう。心の準備期間だと思えば、なかなかどうしてありがたいものです。


「や。早速来ちゃった」


 そんな私の胸中を嘲笑あざわらうかのように、彼の声がしました。先日同様、私はビクっと身体を跳ねさせてしまいます。その時は単に驚いただけでしたが、今の私のテンパり具合はその時の比じゃありません。

 俯いたまま反応がない私を心配してくれたのか、湊くんが再度声をかけてきます。


「藤川さん?」


「あ、あのっ……! よっ、よかったら、これ……!」


 酷く錯乱してしまった私は、挨拶をするのも忘れて突然立ち上がり、描いてきたバラの絵を両手に持って表彰状を渡すかのポーズを取りました。

 そんな奇行に、さすがの彼も戸惑いを隠せない模様で。


「これ、って……くれるの? 俺に?」


 こくこく、首を縦に振ります。

 切り出すタイミングを確実に間違えたことに今更ながら気がつきますが、時既に遅し。たぶん――私の顔、耳まで真っ赤だと思います。すっごく熱いです。

 なるべくその顔を見られないように、地面と水平になるまで深く頭を下げて絵を差し出します。


「バラかあ、いいね。花って言ったらコレ! って感じがして」


 それを手に取ってくれたのを感じると、私は色んな意味で力を緩めます。絵がするりと彼の元へ渡り、まじまじと眺めてくれていました。


「でもオレンジって珍しい。あんまりこの色のイメージなかったけど、なんかいいかも。しっくりきてる」


 ――あなたが笑ってくれた時、その背後に見えた夕日の色にしたんです。

 そんなことを伝えられるはずもなく。当然、その絵に込めた本当のメッセージだって、伝えられるはずもありません。


 『私はあなたに、一目惚れをしてしまいました。』


 この絵は――臆病な私が、ほんの少しだけ勇気を出して、人生で初めて綴った、〝ラブレター〟です。

 あなたがその意味に気づいてくれる日は、たぶん訪れないのだと思います。

 花に――花言葉に、想いをのせて。我ながら思ってしまいますが、そんな回りくどいやり方では、気づいてくれと言う方が無茶でしょうから。

 けれど……芽生えてしまったこの想いの行方がどうなろうとも。たとえそれが、咲いても実をつけない〝徒花あだばな〟となろうとも。

 私は生まれて初めて他人に興味を持ち、初めての恋をしました。

 それはきっと、素敵な青春の一ページに刻まれ、かけがえのない思い出になってくれる。そう信じて踏みだした、自らを心から応援してあげられる一歩でした。



「――好きだわ、俺」



「…………えっ?」

「すっごく好み。藤川さんの絵」


 ……びっくりしました。

 その対象が絵だったとは言え、湊くんの口から『好き』なんて言葉が飛び出してくるとは。破壊力抜群でした、心臓に悪かったです。


 ――それがもし、万が一、何かの間違いで……私に、向けられていたなら。


 想像するだに恐ろしいです。今でさえ胸が破裂しそうですのに。


「あのさ、また何か描いたら……貰えたりしない?」

「い、いいですよ……もちろん……!」

「まじ? やった、嬉し!」


 少々大げさに見えるガッツポーズをして、全身で喜びを現しています。さすがにここまでの姿を目の当たりにしてしまうと……ものすんごく、恥ずかしいです。こそばゆいです。


「絶対に部屋中……いや、家中に飾るからね!」

「そっ、そんなオーバーなー!?」


 そんなにも私の絵を評価してくれることを、嬉しく思ってしまいます。もしそれが場を和ます冗談だったとしても。

 でも――彼の無邪気なまでに咲いた笑顔が、偽りない本心から言ってるのだと、如実に教えてくれている気がしました。

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