この花に想いをのせて

紺野咲良

第1話

 ふと窓の外に視線を向けると、桜の木は軒並のきな葉桜はざくらと化していました。そんな時期ともなれば、この春にスタートしたばかりの高校生活も、ようやく落ち着きを見せ始めます。


「――ふう」


 若干年寄り臭く溜息を吐きつつ、帰りの支度を始めました。

 つい先ほどショートホームルームが終わり、クラスの皆さんが方々へと散っていきます。その多くは部活動へと向かったのでしょう。

 私は運動は得意ではないけれど、苦手と言うほどでもなく。勉強はそこそこできるけど、たぶん上位にはギリギリ食い込めない。クラスの中でも目立たず、休み時間も一人で読書に勤しんでしまうような。良くも悪くも見た目通りの、自他共に認める地味を絵に描いたような存在でした。

 そんな私の部活動は、と言うと。これまた「それっぽい」と口を揃えて言われてしまいそうな、中学の頃も所属していた美術部に入ろうと思っていました。

 ひとまずは見学でもさせて貰って……と思い、美術部を探していた私は――衝撃を受けます。

 なんと、この学校には美術部が存在していなかったです!

 どうやらここは運動部への力の入れ具合が半端じゃなく、美術部に限らず文化系の部活はどこも閑古鳥が鳴いてしまっているらしいです。

 と言っても、別に落胆とかはしませんでした。元々集団行動は苦手だし。それならばと、さほど悩むことなく帰宅部で通すことにしました。


 ――そして、現在は放課後。

 帰宅部である私は、本来ならば早急に帰宅すべき義務を負っているのでしょう。しかしここ最近の私は、とある場所へ通うことが日課となっていました。


 それは――学校の敷地内にある、古めかしい温室です。

 ここには多種多様な花が咲き、良い塩梅あんばいに非現実感が溢れていて……幻想の世界に紛れ込んでしまったような、神秘的で心地よい感覚を味わわせてくれます。

 そんな場所で私は、読書に勤しんだり、その場に咲いている花のスケッチをしたりしていました。


 私だけの、秘密の花園。そこで行う、たったひとりの部活動。

 傍目には何とも寂しい光景に映ることでしょう。しかし私にとっては何とも自由で有意義な、この上なく幸せなひとときでした。


 さて、っと。今日は何を描きましょうか。

 スケッチブックを広げながら、咲いているお花一つ一つをじっと眺めていきます。綺麗なお花が沢山ありすぎて、いつもながら目移りしてしまいますね。

 ん~……これにしましょうか。

 今回、目に留まった花は――『ポピー』。パッと見は薄い紙でできた作り物のように見える、空を向いて健気に咲く姿が微笑ましい、10㎝程度の可愛らしいお花。品種によって『ヒナゲシ』って名前だったりもするみたいです。

 早速スケッチに取り掛かった私は、自然と頬を緩ませます。好きな時に好きなものの絵が描けるって、本当に素晴らしいことだと思うんです。

 そんな感じで上機嫌にも鼻歌を歌いつつ、さらさらと筆を走らせていると――


「――おぉー、すっげ。こんなとこあったんだ」


 突然聞こえてきた男の人の声に、ビクっと縮こまります。その声の主さんが、そんな私の姿に気づいて、申し訳なさそうに声をかけてきました。


「あっ。ごめんね、驚かせちゃって。それと邪魔もしちゃって」

「い、いえっ……」


 ほとんど目を合わせずに応じます。相手を目を見るだなんて同性でも厳しいのに、異性なんて余計に無理でした。


「……あれっ? 同じクラスの……藤川さん、だったっけ?」


 驚いたことにご名答です。慌てて無言でこくこくと頷きます。


「良かった。合ってて」


 きらっきらした笑顔を向けてきました。思わず同じ人間かと疑ってしまうほどの眩しさです。

 でも――この方、どちら様でしょう。

 同じクラス、と言ってますけど……目を合わせることもできないのだから、当然ながら顔を覚えることもできないのです。


 んー……んん~……――あっ!

 そういえば、うっすらと覚えがありました!

 この声。クラス内の華やかな男子グループの中でも、特に爽やかで良く通っていた声です。

 この顔。直視なんて絶対に不可能だけど、チラリと見ただけでも恐ろしいまでに整っているのがわかります。

 たぶんクラスの女子たちがこぞって「カッコいい」と噂していた、その人のような。


 ――で。名前は、確か……んん~……。

 ……結局振り出しに戻りました。他の人たち、なんて呼んでたっけなぁ……。


「俺はみなと。湊和弥かずや。よろしくね」

「あっ、はい……よろしく、です」


 私が思い出せないことを察してくれたのか、紳士的にも相手の方から名乗ってくれました。そういうところもまた、モテる要因なんでしょうか。


「部活の休憩がてら、ちょこっと校内探索してたんだけど……こんなとこあったんだね」


 湊くんはそう言って辺りをぐるりと見渡します。その横顔を見れば、無邪気にも目が輝いていました。

 こういう場所に興味を持つ男の子がいるなんて――それも、それがこんなに綺麗な人だなんて。周りの幻想的な雰囲気も手伝って、いつの間にやら夢の世界にでも紛れ込んでしまったかなと、バカなことを思っていたら。


「藤川さんはよくここに来てるの?」


 彼の表情に釘づけになってしまっていた私は、はたとこちらを向いた湊くんとバッチリ目が合ってしまいました。慌てて顔を背けつつ答えます。


「は、はひっ……。ほ、放課後は、だいたい、いつも……」


 今まで以上にどぎまぎしてしまって……若干噛みました。あぁ、確実に顔が赤くなってますね、これわ……。


「何してたの?」

「……絵を、描いてたんです」

「へえ。良ければ見せてもらってもいい?」


 少し躊躇いながらも、首を縦に振りました。彼のお願いには、何だか逆らえない魔力があるような気がします。


 ――なんでしょう、このかんじ。


「おぉー……すっげ、うっま……! 藤川さんって美術部?」

「それが……この学校、美術部がなかったんです」

「ありゃ、そうなんだ。珍しいね、美術部がないなんて」

「うん。だからこうして、ここで描いてて……」

「なるほどなぁ」


 しみじみと頷きながら、私の絵を熱心に見つめてくれています。その目は先ほどこの温室内を見渡した時よりも、輝いて見えました。


 ――嬉しいけれど。くすぐったくて、むずむずして……へんなきぶん。


「っと、そろそろ部活に戻んないと。またね、藤川さん」

「あ……はい」


 ――……なんでしょう。ほんの少し、モヤっとしたものが胸をかすめます。


「あっ。ねえ、藤川さん」

「……?」


 胸の違和感に気を取られていた私は、呼びかけられた方へ無意識に顔を向けました。

 すると当然の如く、再び目が合ってしまいます。……しかし今度は、なぜかそのまま目を逸らさず――逸らせずにいました。


「また、ここに来てもいい?」

「……う、うん。もちろん、です」

「ありがとう! それじゃまた明日ね!」


 綺麗な夕日を背にして、嬉しそうな笑顔を向けてくれます。思わず、ぽーっと見蕩れてしまうほどの笑顔を。

 それは私の目には、太陽よりも遥かに眩しく見えました。




 ……その時に私が描いていた、ポピーの花。

 ポピーの花言葉には――『恋の予感』、というものがありました。

 ……『予感』? ううん、そんな曖昧な言葉じゃありません。



 確かに私は、この時――

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