第4話マネージャーは、苦労していました。
「今日から良子……白井こけさんのマネジメント業務を行うことになりました、夏梅玄です。よろしくお願いします」
「……変な感じ」
それはこっちの台詞だ。実の妹に敬語を使う日が来るとは思っていなかった。
「もっとベタベタしてもいいんだぞ?」
俺と良子がもじもじしている様子を見て、浅井さんは早起きしてせっかくセットした髪型をくしゃくしゃと撫でた。
「まあ、まず夏梅君がやることは、この声優の卵の仕事をもらってくる事。スケジュールの管理、声優の身体のケアなど。この白井こけは、基本的には演技の練習、発声練習、体力作りなど。ずっと一緒についていなくてもいい。各々の仕事をこなせばいい」
「わ、分かりました」
ガッチガチの状態で、俺は良子とは別れ、浅井さんについて行くことになった。いざマネージャーになると、こんな仕事が出来るのか心配になってきた。
面接のときに、一応業務については聞いていた。実の妹の良子――白井こけの仕事をもらってくる事、スケジュールの管理ぐらいなら俺でも出来ると思っていたのだが、実際にスーツを着て、浅井さんに案内された事務室に入ると、一気に汗が噴き出してきた。
「言っておくが、マネージャーはずっと声優のそばにいるわけではない」
「そ、そうなんですか?」
よくテレビとかでは、ずっとそばに女優や俳優、芸人のそばにいて、秘書のような事をしていると思っていたんだが、声優のマネージャーは違うようだ。
「ま。詳しいことは夏梅君の教育係、
ずっとパソコンに映し出された細やかな文章とにらめっこをしている男性が、俺の教育係になるようだ。
「おい山崎。この少年が、新しいマネージャーの夏梅君だ。あとは頼んだぞ。じゃ、私も仕事があるんでな、夏梅君も今日から頑張ってくれ!」
浅井さんに再び頭をくしゃくしゃとされて、機嫌よさそうに事務室から出て行った。
「……あの」
「ちょっと待ってくれない……」
この人も仕事中だった。忙しい中、俺に仕事を教えてくれるのだから、我が儘や変なミスはしないでおこう。
山崎さんの机には、どっさり積まれた冊子。そしてたくさんの栄養ドリンク。もしかすると、俺が思っている以上に超多忙なのか……?
「名前、何だっけ?」
キーボード入力しながら、山崎さんは俺の名前を聞いてきた。
「夏梅玄です」
「夏梅……。ああ、君があの子のお兄さんか……」
この様子だと、事務所では俺と白井こけが兄妹だという事は知られているのだろう。
「僕は
「オタクとかではないですが、暇があったら観る程度です」
「そっか……」
パソコンへの入力は終わったのか、山崎さんはようやく俺の方を振り向くと。
「声優に会えるからとか。アニメが大好きで、アニメに関わる仕事をしたいからと言っていたら、君は数日で辞めていただろうね」
「……という事は、すごくハードな仕事なんですか?」
「ハード、ハード。一般のオフィスの業務より大変なことを覚悟した方がいいかもね」
俺は固唾を呑んで、次に山崎さんが発する言葉に身構えた。
「確かに声優には会えるよ。けど、この事務所と契約して活動しているのは、預かりを含めて45人。45人のスケジュールの管理、クライアント側に声優の売り込み、クライアントから要望された人材のキャスティング。声優が読む台本や映像の確認など。それらを全部僕たちがやる。辞めるなら今のうち。怖くなったらすぐに浅井さんに――」
「俺がそんなことを言って辞めるとでも思いますか?」
確かに、今の山崎さんの言葉ですごくビビっている。本音は、もう家に帰って無職生活に戻りたい。それが本音だが、俺にはここに来る前に、心で誓ったことがある。
「俺は、白井こけのファンの第1号であって、白井こけを売れっこ声優にすると決めています。一気に売れるとかは思っていません。白井こけは、たった今卵からかえった蝶の幼虫のような立場です。幼虫はたくさんの栄養、葉っぱを食べるように、白井こけも多くの経験を積んで、そして幼虫は蛹になる。やがてきれいな蝶になります。そんなみんなが振り向くような蝶のような存在にするために、俺は白井こけが所属するこの事務所に入りました。……長々と失礼しました」
「いや、いいんだ。ちょっと意地悪な面接官みたいなことを言った、僕も悪い」
互いに頭を下げると、山崎さんは自分の席から立ち上がって、俺の肩を組んできた。
「夏梅君。入社祝いだ。缶コーヒーぐらいはご馳走してあげるよ」
「あ、あざっす」
「教育係に、そんな口ぶりは無いだろ……」
俺も気が緩んでしまったのか、友達と話すような口ぶりになってしまったが、山崎さんは俺の失敗に怒った様子はなく、嬉しそうにポケットから硬貨を取り出していた。
新人で、少し生意気なことを言った俺を、教育係の先輩、山崎さんは歓迎しているようだった。
山崎さんに缶コーヒーを奢ってもらい、再び事務室に戻って、山崎さんの席に戻ると、山崎さんは俺にとあるアニメの台本を見せてきた。
「半年後に放送されるアニメ、『閑古鳥が鳴く頃に』と言う作品の台本。くれぐれも部外者には話さないようにね」
「りょ、了解です」
アニメファンには見たくて見たくて仕方のないものだろう。まだ公に発表されていないアニメの作品だ。まだ入って初日の俺が、未発表の作品の台本を見ていいのだろうか。少し罪悪感はある。
「クライアントから、この作品のメインキャラの声優を――」
「すいません。クライアントって、何ですか?」
この事務所での専門用語なのだろうか。恐る恐る山崎さんに尋ねてみると。
「クライアントと言うのは、いろんな意味があるけど、ここではお客さん、取引先の事で、アニメ制作会社やテレビ局の事だよ」
そんな話が出てくると、俺も再び緊張してきた。そんな大きな取引先に、俺なんかが関わっていいのだろうか。
「僕が何度もクライアントにお願いして、ようやく手に入れた仕事だよ。この作品に合うような声優を紹介する条件で、このビックタイトルの声優オーディションに参加することが出来たんだ」
「た、大変だったんですね……」
「そりゃそうだよ……。あっちの機嫌を取るために、毎日のように会食や飲み会に参加して……。どんだけ路上やトイレで吐いた事か……」
俺がさっき語った決意が、一気に砕けそうになった。アニメ一本の仕事をするために、そんな体を壊すようなこともしないといけないのか……?
「そんな俺のためにも、夏梅君にも、閑古鳥が鳴く頃に出演する声優を選んでほしいんだ。まずはサブヒロインのこの子、
さっそく俺にも、声優のマネージャーらしい仕事が始まった。この事務所に所属する声優、つまり白井こけ、良子も選べるという事だ。
「山崎さん。どうやって選ぶんですか?」
「まあまあ。まずは作品を知ることだね。今日の仕事は、この作品のファンになる事。いろんなジャンルの作品のファンになれないと、声優のマネージャーは大変だよ」
原作があるようで、山崎さんは俺に閑古鳥が鳴く頃にの原作を手渡してきた。最近本は読んでいないのだが、原作は薄めの本なのだが、中をパラパラと読んでみると、未次は小さく、文章がびっしりと書かれていた。
「僕の席に座って読めばいいよ。僕は、ちょっと営業に行ってくるから。分からないことがあったら、浅井さん、それか僕の横の伊藤に聞いてくれればいいから」
大きく背伸びをした後、猫背気味に山崎さんは営業に出て行くと、髪を後ろで束ねている、俗にポニーテールの女性マネージャー、伊藤さんが俺に話しかけてきた。
「私もそれだけで日当が当たるなら、いくらでも仕事するのになー」
まだ初日だから簡単な仕事をするのだと思うのだが、どんどんと日数が立っていくうちに、俺も半分目が死んでいる伊藤さんみたいになるのだろう。
俺も今のうちに簡単な仕事でお金を稼げることに感謝をして、この作品の声優のキャスティングをしよう。
2次元の女の子に恋をしたら、妹でした。 錦織一也 @kazuyank
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