24-5

 グネギヴィットに審問を行った客間で、キュベリエールも外へ払い出し、ユーディスディランはアレグリットを一人窓際で待ち受けていた。同様に一人で、部屋に送り込まれたアレグリットからお辞儀を受けるのもそこそこにして、ユーディスディランは手の動きだけで、近う――との指示を出す。


 言葉も無く、侘しげに佇んでいたその人にアレグリットが近付くと、ユーディスディランはためらいがちにアレグリットの右手を掬い上げ、神妙な顔つきで、しばらくそこに変化が現れないのを確かめるように眺めてから、伏し目がちにしていつもよりも長く唇を当てた。ただの挨拶に過ぎないはずだが、それだけではない何かを感知して、アレグリットの白い肌が、ほんのりと甘く色付いてゆく。


「……何も無かったはずはありませんよね?」

 身体は上気し、鼓動は激しくなっていたが、アレグリットは何はさておきユーディスディランを気遣った。接吻を受けた手は、アレグリットの顎の高さにもたげられたまま、これまた一体どうしたことか解放されぬままである。


「お姉様と、どんなお話をされたのか存じませんが、お辛い思いをされることでもございましたか?」

「話自体は……、あなたの姉君は、私が考えていた以上に純で真面目であられたようで、全くの想定外に庭師と恋に落ちてしまわれたのだと、理解も納得もさせてもらった。もとより、姉君とのことにはとうに決着が付いている。私と別れて後の恋愛ならば、何を聞かされたところで動じるようなつもりもなかった、だが……」


 そこで一旦言葉を区切り、ユーディスディランは大きく肩を落として、心底情けながるような調子でぼやいた。

「少し握手をしたぐらいで、じんましんは、ないだろう……」

「あ……」


 姉からの手紙に記されていた、『困った不調』を思い出して、アレグリットはユーディスディランの落ち込みの訳を深く深く得心した。グネギヴィットにも、悪気なんてまるで無かったのだろうが、自分が原因となってしまって、それを目の当たりにさせられたユーディスディランは、それはそれは凹んだことだろう。


 どうして差し上げれば……? アレグリットは少し悩んでから、意を決して繋がれたままの指先に想いを乗せ力を込めた。驚いた顔つきで自分を見下ろすユーディスディランの視界の中で、そこにそっと頬を寄せ、一心不乱に訴える。


「わたくしは、平気でございますわ、殿下。お姉様の代わりに、わたくしがこうしておりますことで、少しはお気持ちが明るくなりませんか?」

「アレグリット――、こら」

「いけませんか?」

「いけない。私は今、優しい慰めが欲しい気分だからね。あなたがまだ、十五の少女であることを、忘れてしまいたくなる」


 そう断りを入れてからユーディスディランは、指先を握られたままの手のひらでアレグリットの頬を優しく包むと、軽く上向かせて滑らかな額に唇を寄せた。もう少し……と望む気持ちもなきにしもあらずだが、どこかの憐れな誰かのように、急いては事を仕損ずる。そこから先に進むのは、もうしばらくお預けだ。


「で……、んか……」

 アレグリットは顔を真っ赤にし、塑像のようにびしりと固まった――かと思うと、軽く目を回してふらりと後ろに傾ぎ掛けた。いきなり血流を乱すのは、彼女のやわな身体にもよろしくない。これは本当に慎重にかからねばならなさそうだ。



 咄嗟に抱き止めたアレグリットを、姉とは似て非なる理由で同じ長椅子に休ませて、ユーディスディランはその隣に腰掛けた。小さな手を改めて恭しく取り上げて、どうしていいやらわからずに、もじもじとさ迷うアレグリットの視線を、その爪先に落とした口付けで引き寄せて、真剣な眼差しで捕える。


「姉君に許しはもらった、アレグリット。それから私は、あなたを姉君の身代わりとするつもりはない。私が見ているのも、話しているのも、触れているのも、惹かれているのも、そうして慰めて欲しいと思っているのも、今ここにいるあなた自身だ。少々順を違えてしまったが、アレグリット、私の妃となるのを前提に、交際を受けては頂けまいか?」

「……よろしいのですか? わたくしで」

「あなたがいいと申し上げている。欲を言えば、早く大人になって頂きたいが、何とも初々しくあられる蕾姫のあなたが、大輪の百合と開いてゆかれるのを、じっくり待つのも悪くない」


 ユーディスディランが求めてきたのは、ただ自分の寵を受け、大人しやかにかしずいてくれるだけの女性ではない。自身の男心をそそるたおやかさの中に、強さと賢さを併せ持ち、共に国を繁栄させてくれる、国母となるに相応しい妃である。

 ケリートルーゼはアレグリットを、『マイナールの白百合』の蕾と言っていたが、おそらくそれには止まらない。ユーディスディランが過剰な導きなどをしなくとも、アレグリットはいずれ、母マルグリットに冠されていた『デレスの百合』の名を継げるだけの、輝かしい国家の華と咲いてくれるだろう。


 王立劇場でアレグリットが見せた、決然とした姿の中にその片鱗を見出して、さらにはその真夜中の内に、かなり無理を押して従兄の権利を行使し、衰弱したアレグリットの儚げな寝顔を覗いた時に、ユーディスディランの心は決したのだといってよい。


 支えて欲しいと思った。守ってやりたいと、強く思った。


 それは以前の恋とはまるで異なる愛の形、互いに甘えることもなく、格好つけながらでないと並んでおれる気がしなかった、グネギヴィットにはついぞ抱いたことのない、アレグリットだから生れた感情でもあった。



「最初はいけないことだと思って……、諦めようと、思って……、だけどできなくて……。新緑祭の夜から、殿下だけをお慕いして参りました……。お姉様のお許しも得て下さっていますのに、お受けせぬ理由がどこにございましょう……!」

「そう、言ってくれると思っていた」


 ユーディスディランは満面に喜色を広げると、自分もまた告白をしながらの返事を終えて、黒い瞳をうるうるとさせているアレグリットの手を、手のひらと手のひらを重ね合わせ、指と指とを絡める形に握り直した。

 その胸がきゅんとなるような大きさの違いを、そしてこれまでとは比較にならない近しさを、実感させられずにはおれない密着感に、アレグリットは頭から湯気を出しそうなくらいぼうっとのぼせてゆく。


「姉君の庭師に会わせてもらったら、お二人の仲に当てられていないでまた王都へ、仮面祭にはお運びになる姉君よりも一足早く、私の許へと戻っておいで、アレグリット。秋になれば演目も替わる。今度は私自身で、王立劇場の桟敷を押さえて、あなたの帰りをお待ちしている。母上にも誰にも邪魔はさせずに、あなたと私で観劇のやり直しをしよう――、約束だ」


「はい、お約束を……。わたくしきっと、今の夢見心地のままで舞い戻って参りますわ、殿下、また一緒にご本も読んで下さいますか?」

「喜んでお相手しよう、何度でも。あなたが望む限りに。それから、私のことはユーディ、と」

「ユー、ディ……?」

「そう、身内だけに限っている私の愛称だ。あなたの姉君がそうやって呼ぶのだから、もっと親しき仲になるあなたにも、当然呼んでもらわないと」

「はい……。では、わたくしのことは、どうかアレットと」

「ああ、アレット」


 家族と数名の親族にしか呼ばれたことのないアレグリットの愛称を、ユーディスディランは早速、楽しげに呼んだ。驚きと喜びの連続で、アレグリットの心臓はもうあっちへこっちへ跳ね回りっぱなしだ。


「はいっ、あの……、殿下」

「ユーディ」

「……ユーディ……、想う方の特別になるって、こんなにも素敵なことなのですね」


 言い直しを求めるユーディスディランに、溢れる幸せを噛み締めるように呼び掛けて、アレグリットは思わず食べてしまいたくなるほどに愛くるしい笑みを零らせた。

 ユーディスディランに少女嗜好の気はないつもりだが、可愛い恋人となれば話は別だ。大人ゆえの余裕はあるが、大人なればこその欲望もある。さて、いつまでどこまで我慢できるだろうか? それが問題だ。

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