22-2
「寝乱れ髪で人前に出るなんて、はしたないわ、グネギヴィット」
「扉を自分で開け閉めするなんて、お行儀が悪くてよ、グネギヴィット」
閉ざした扉を背にして、寝室の側に戻ったグネギヴィットを、笑いを含んだ叔母たちの、意地悪な小言が追ってくる。
「どっ、どうしてみなさまお揃いなのですっ!?」
「お早うガヴィ、今君の親代わりをしている権限で、みなを召集させてもらったよ。勝手ながら君の居間を拝借して、親族会議を開かせてもらっている。扉越しで構わないから参加できるかい?」
グネギヴィットの疑問に対して、シュドレーからの回答が合った。周章しながらグネギヴィットは尋ねた。
「このまま参加せずに、済ませられるものではないのでしょう?」
「まあねえ――。私にわかる限りの現状の説明をして、ローゼンワートに捕捉をさせて、衛兵たちが付けていた、『特別警備日誌』を回し読みつつ議論をして……。一応の結論が出たものだから、みなでこちらへ移動して、ガヴィの目覚め待ちをしていたところだよ」
「とっ『特別警備日誌』っ……! みなさまご覧になられたのですか!?」
「ああ。君らの仲がどれだけ清かったかってことの証明にね。その必要がなかったようなものを、この場で見聞きさせてもらったけれど――」
そう言うとシュドレーも、堪えかねたように笑い出した。その哄笑に牽引されて笑いの渦が巻き起こる。寝室に逃げ戻ったグネギヴィットでさえ、あまりの恥ずかしさに消えて無くなりたい気持ちなのだ。居間で狸たちに包囲をされている、ルアンの心情を慮ると本当にいたたまれなくなる。
「笑い事ではなかろうが!! サリフォール家の当主が使用人と恋仲になるなどと、まったくもってけしからん!」
そんな、にやにや笑いが満ちるグネギヴィットの居間をしんと静まり返させたのは、予想通りというかバークレイルである。
「しかもグネギヴィット、そなたは若い女公爵だ。青年貴族であれば間々あること、色欲と恋情の履き違えであろうと、穏便に流してももらえようが……、そのような言い訳が通用せんそなたに、世の風当たりは相当に厳しかろう。おまけに、アンティフィント家の三男坊に、余計な弱みを掴んで帰らせよってからに……!」
「こんな調子でね、ザボージュ様のことを、一番非難していたのもこの人なのよ、グネギヴィット」
「テッサ!!」
横からいらぬ口入れをする妻にバークレイルは慌てた。テッサリナは不思議そうな面もちで、長椅子に隣り合わせた夫を見つめる。
「あら、本当のことでしょう? わたくしあなたのこと、見直してましてよ、バーリー。グネギヴィットの身内として、嫁入り前の娘を持つ親として、到底お許しできないことをザボージュ様はなさいました。血の繋がった叔父ならば、烈火の如く怒られて当然だと思いますもの。……娘たちが知れば動揺するでしょうね。とっても残念ですわ」
ザボージュの紳士にあるまじき振る舞いは、彼の詩集の愛読者にして、夢想家のテッサリナをひどく幻滅させたものらしい。その深い落胆ぶりは、冷めた声の調子だけでグネギヴィットにも伝わった。
「ふ……、ふんっ! いかなる形であろうとも、サリフォール家の者が、アンティフィント家の者に屈させられるのが腹立たしいだけだ! グネギヴィット、わしの忠告や、シモンリールの鑑識眼を軽く見るから、そんな手痛い目に合うのだ!」
彼らしい物言いで、バークレイルはグネギヴィットに対する説教を終わらせると、赤みの差した顔を妻から逸らすようにして長椅子にふんぞり返った。
ここ最近、ぎくしゃくとしていたバークレイル夫妻だが、その原因となっていたザボージュが、テッサリナの心の恋人の座から滑り落ちたことで、夫婦仲は安泰を取り戻したようである。
「と、いうことでね、ガヴィ。君らに処分を下す前に、君の庭師に、我々がまず言いたいことは一致している」
肘を掛けた飾り卓にもたれながら、シュドレーはローゼンワートに視線を送った。それを合図にローゼンワートは、背後に腕を組ませて立たせていた、ルアンの拘束を解く。
扇を畳んで卓上に置いたセルジュアに、静かに進み出たミュガリエがそっと手を伸べた。その介添えを受けて、おもむろに立ち上がったセルジュアは、幾つもの訳が積み重なって、精神的にへろへろになっている、ルアンの前までやって来る。
「ガヴィの大叔母のセルジュアよ。甥たちだと、捻くれた言い方になるでしょうから、最長老のあたくしからね」
「は……、はい」
セルジュアは老いて縮んだ彼女が、うんと見上げねばならないような大きな身体をしているが、威圧感はまるでないルアンのごつごつとした右手を取ると、それを両手で押し頂くようにした。
「ガヴィを、守ってくれてどうもありがとう」
「へ……?」
故郷の祖母と同世代と思われる、品の良い老婦人であるセルジュアから、思いもよらず礼を述べられて、ルアンはぽかんとした。
自分をあまり見下げぬように、腰を屈めるルアンと瞳を見合わせながら、セルジュアは慈愛を感じさせる表情で苦笑いする。
「ガヴィにはねえ、ほとほと呆れてもいるのよ。交際の経験は以前にもあるのだし、もう少し殿方のあしらいというものを、上手にできると思っていたのにこの始末でしょう?
それでもやっぱりあたくしたちはガヴィが可愛いの。あなたの名はルアンというのでしたね、ルアン、ガヴィの心と操を、守ってくれてありがとう」
「そんな……、別段お礼を言われることじゃあ……、俺がしたくてそうしただけです」
困惑したルアンが素直にそう漏らすと、セルジュアはまん丸くした目を輝かせた。
「まあ! 心憎いことを言ってくれるじゃないの。ガヴィがすっかり惚れ込むわけねえ……。ともかくね、これがあたくしたちの総意だわ。ルアン・ウォルターラント、サリフォール家はあなたを罪人にはしない。そうよねえ、ガヴィ?」
セルジュアに優しく問われ、閉じた扉に背中を預けながら、グネギヴィットは一門の温情に涙しそうになっていた。この一門の総意は、今宵ここに集った彼ら彼女らの全員が、グネギヴィットを重んじてくれればこそ、導き出してくれた結論だ。
「勿論です……!
今日、何度目とも知れない涙を飲み込んで、グネギヴィットは固い決意を発した。グネギヴィットが最も懼れていたことは、おそらくこれで回避できるだろう――。
グネギヴィットの不穏な発言に、ルアンは右手をセルジュアに包まれたまま、左手で薄ら寒くなった首の後ろを撫でて、グネギヴィットが姿を隠している寝室の扉を振り返った。
「俺の首……、首ですか……。公爵様、それってあの、解雇っていう意味じゃあ――」
「無いに決まっている。お前のような平民が、王侯貴族に傷を負わせるなど……、未遂と誤解されただけでも極刑もあり得ると、ずっと以前に教えただろう? 馬鹿者……」
「そういうこともありましたっけね」
ルアンは力なく笑った。我ながら危ない橋を渡ったものだ。罪を償うつもりはしていたが、さすがに命を掛けるまでの覚悟は備わっていなかった。何事も、命あっての物種というものである。
「我らにとっては客人に暴力を揮った庭師よりも、当主に不埒を働こうとしたザボージュ殿の方が重罪人だ。もしも庭師がザボージュ殿の蛮行を止めに入っていなければ、私が彼を現行犯で殴り倒していただろうしね。
こちらがそれだけ憤慨しているのだということを、アンティフィント家に知らしめるためにも、君の庭師は不問に処し、むしろ主人のために咎を負うことも厭わなかった忠義者と褒め、一門を挙げて庇ってやろう。
――だが、わかっているだろうけれど、我々はまた全員一致で君らの仲を認めちゃいない。当面の間ガヴィは謹慎、庭師は私の劇場で預かりだ。君らには離れた場所で、しばらく頭を冷やしてもらう」
「……はい」
一門が評決によって取り決めた、処分を言い渡すシュドレーに答えながら、グネギヴィットは項垂れた。やはりルアンとは、このまま引き離されてしまうしかないのだろうか……?
それは絶対に嫌だという反発心が湧き上がる一方で、今はそんなわがままを言える場ではないという冷静さもある。ルアンの身柄をアンティフィント家へ突き出さずに済むことを、まずは良しとしておくべきだろう。
「州府のことは心配するでない。私たちに任せておけ」
「左様。軍のことは我らに」
「はい、宜しくお願い致します。叔父上方」
続けて声を掛けてきたエクタムーシュとマテューアースにも、グネギヴィットは神妙に返答した。話を締めるようにして、バークレイルが口を開く。
「その間の州公代理、そして当主代行も、このわしが責任を持って引き受けてやろうほどに。今後の身の振り方も視野に入れて、己が身を深く省みるのだな、グネギヴィット。
全く……、そなたの言い逃れようのない醜聞は、そなたらの破談の理由として、王都において
苦々しげなバークレイルの指摘に、グネギヴィットはびくりとした。ここまで自分とルアンのことでいっぱいいっぱいで、他者に与える影響を考えるような余裕は無かった。
「……アレットは?」
グネギヴィットのいない王都で、サリフォール家の代表として、姉の代わりに好奇と悪意に晒されるのはアレグリットだろう。アンティフィント家の側にも、破談の真相を根掘り葉掘りされては不味い後ろ暗さがあるわけで、泥仕合に持ち込まねばならぬほど、ひどい捏造を加えられることは無いとグネギヴィットは思いたいのだが……。今は王都で、王太子妃選びの真っ最中という、レギーオがアンティフィント家の意を受けて、大いに筆を滑らせそうな背景がある。
「謹慎はします、いくらでも! けれど、先に王都へ行かせては下さいませんか? アレットは今、王后陛下の人質です。わたくしのことで、どんな誹謗が飛ぶか知れぬ王都に、身動きの取りづらいあの子を放ってはおけません!」
遠くにある妹を思って、焦燥するグネギヴィットに、言い諭したのはマテューアースの妻だ。
「駄目に決まっているでしょう、グネギヴィット。あなたの焦りはわかります。けれど謹慎というのはね、あなた自身の心と身体を、まずは厭いなさいということでもあるの。あなたは今、自分が普通の状態ではないと、それには気付いているでしょう? あなたの身には、それだけのことがあったということですよ。ここで平気なふりをしてしまってはなりません。破談はあちらのせいだと反証をあげられますように、大人しく臥せっていなさいな」
そうだ、そうよ、と同意の声が上がる中で、シュドレーがそれを総括した。
「そう。
「……はい」
アレグリットの後押しをするつもりで、ザボージュとの交際を受けたはずなのに、すっかりと足を引っ張る結果になっている……。自分にこの縁談を勧め、朗報を待つと言っていたメルグリンデは、さぞや呆気にとられるだろうとグネギヴィットは自責する。
そしてアレグリットは? マイナールで待つ『ソリアートン』が、グネギヴィットの思い人であるのだと勘付いていたあの妹は、それが身分違いの庭師と知って何を思うだろう――?
かくして、北の都マイナールで、突如起こったサリフォール女公爵の恋愛事変は、王都クルプワの社交界にも飛び火して、大きな嵐を巻き起こそうとしていた。
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