第二十三章「激情」

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 【北】エトワ州城でグネギヴィットが、謹慎という名の療養につかされてから、数日後。

 その妹であるアレグリットは、いつも通りに目覚め、いつも通りに支度をし、いつも通りに王宮へ伺候に出掛けた。


 この日のアレグリットの予定は、他のお妃候補者たちと一緒に、明夕観劇に出掛けるドロティーリアの衣装選びに付き合うこと、であった。

 王后所有の美しい衣装や装身具を眺めることに飽きは無く、自分の魅せ方を知っているドロティーリアは褒めるに困らない。流行の発信者である王后に、鑑定眼や美的感覚を磨かせてもらえるのは有意義だが、アレグリットには今回ばかりは、手放しに感嘆してばかりはいられないだろうという事情があった。

 無用な騒ぎを避けるため、関係者以外には伏せられていたが、件の観劇で、アレグリットはユーディスディランの同伴者として、ドロティーリアと桟敷を隣り合わせることが決まっているのである。


 メルグリンデ曰く、これはある種の試験なのだそうで、アレグリットは事前に教えられるドロティーリアの服飾をふまえた上で、明日はそれに被らず、出過ぎず、かといって引き過ぎず、王室桟敷に華を添える装いを、して行かなければならないということらしい。

 その重圧はかなりのもので、アレグリットは朝から非常に緊張していた。しかし待ちに待った約束の前日なのである。あれこれと想像を廻らせては、思わず叫び出してしまいそうなほど、うきうきそわそわともしていた。


 自分から誘ったことであるから、と、ユーディスディランは王家の馬車で送迎もしてくれるという。愛し恋しの王子様のエスコートを受けて、幕間に解説をしてもらいつつ、素晴らしい古典歌劇を鑑賞できるのだ! こんなに嬉しいことがあろうか!

 博識のユーディスディランは、アレグリットが知りたがるどんなことにも答えてくれる。観劇の後先に、王太子とその話をするのはどれだけ楽しいだろう……。

 図書室での交歓によって育まれた尊敬の念は、新緑祭の夜に芽生え、姉の赦しによって光を得たアレグリットの恋心を、益々もって大きくしていた。



*****



 王后の『客人』ではなく『人質』の心得として、他家の姫たちに先駆けてドロティーリアの許へと参上し、女官に交じって会の準備を手伝うつもりをしていたアレグリットだが、今日は珍しく先客がいた。

 しかも驚いたことに、特殊な立場にあるアレグリットを除いて、集合は下位の者からという不文律を破り、アンティフィント公爵令嬢ケリートルーゼである。

 上席に掛けたケリートルーゼはレースの手巾ハンカチを握り締め、まろやかな頬にはらはらと紅涙を絞っていた。その側には貰い涙を零す二人の姫の姿があり、ドロティーリアはどうやら彼女たちと、ケリートルーゼを慰めてやっているところであったようだ。


「ごきげんよう、アレグリット」

「ごきげんよう、ドロシー様、みなさま」

 ドロティーリアに声を掛けられて、挨拶を返したアレグリットを、ケリートルーゼは燃えるような青い瞳で睨みつけてきた。アンティフィント家の伝統で、何かに付けてアレグリットを敵視しがちなケリートルーゼだが、ここまであからさまな敵愾心を剥き出されるのは初めてで、アレグリットは僅かに怯む。


「……ごきげんよう?」

 その定型の挨拶が癇に障ったものらしく、ケリートルーゼは興奮のあまり立ち上がった。

「あなたとご一緒して、ごきげんになんてなれるわけありませんわ、アレグリット様! 許せない! あたくしのボージュ兄様の美しいお顔をっ……!!」

 気炎万丈のケリートルーゼの背後から、そうですわ、そうですわ、と二人の姫が加勢する。ケリートルーゼの取り巻きである彼女たちは、ザボージュの贔屓でもあった。


 昨日、王都のアンティフィント公爵邸に、顔に痣を作ったザボージュが、予定を繰り上げてマイナールから帰着していたことも、そうしてそんなことになった理由も、まるで知らないアレグリットは呆然とするしかない。責められる訳がわからぬままに、下手に謝るわけにもゆかず、返せる言葉は何も無かった。


 そんな双方を、ドロティーリアは難しい顔つきをして見比べた。ケリートルーゼを扇で制して、彼女がさらなる怒りをぶちまける前に、ドロティーリアはアレグリットに下命した。

「アレグリット、来たばかりですけれど、本日はこのまま下がりなさい。当分は……、そうですわね、あたくしが遣いをやるまで、伺候しなくてよろしいわ」

「……畏まりました、ドロシー様。……失礼致します」


 ――自分の知らないところで何かが起こっている……。


 王后のサロンへの出入りを突然禁じられ、わなわなと足を震わせながらアレグリットは、自分のすぐ後に到着し、入室したその場で立ち竦んでいた、エイトルーデ侯爵令嬢マイネリアと、擦れ違いながら退室した。マイネリアはアレグリットの仲の良い友人でもあったが、強張った表情で目礼を交わすのが精一杯で、声を掛け合えるような雰囲気ではなかった。



 王后の居室から出て、アレグリットはその手前にある控えの間で、よろりと肘掛け椅子に腰を落とし、取り次ぎの女官に頼んで、お供の乳母に呼び出しをかけた。

 王后の居室に立ち入れるのは、許可を貰った当人のみであり、供回りは主人が世話を必要とするまで、別室で待機することになっている。別れてすぐのアレグリットからの呼び出しに、やってきた乳母の顔色も青ざめていた。


「お嬢様……!」

「王后陛下に、当分伺候しなくてよいと言われたわ。理由は仰って下さらなかったけれど、陛下のお部屋で、ケリートルーゼ様が泣いていらしたことと、係わりがあるようなの。お前は何か話を聞けて?」


 従者の待機部屋で主人を待っている間、そこで他家の同職たちと交流を持ち、情報収集をするのもお供の仕事の内だ。アレグリットの問いに、乳母は顔をしかめ、声をひそめた。

「詳細はわかりませんが、『【笛吹き小僧】フィアルノ新聞』の号外が契約先に配られ、報知されたのがグネギヴィット様に関する特種であった模様です。挨拶もそこそこに、アンティフィント家の従者を中心にした話の輪から外されて、ひそひそとされてしまう有様で」


「『フィアルノ新聞』? 号外? 購読契約ならメル伯母様が三部も結んでらっしゃるのに、当家の邸には一部も届いておりませんでしたわね。意図的に外した……ということかしら?」

 富貴街には配達され、下町では売り歩かれる、両面刷り大判紙の『フィアルノ新聞』は、常ならば週刊発行である。メルグリンデが三部も購入しているのは、自分及びアレグリット用が一部と使用人の娯楽用に一部、それに加えてマイナール在住のシュドレーに郵送してやる用も、別途一部必要であるからだ。


 そんなことはさておき、グネギヴィットの話題といえばつい先日、エトワ州立劇場で興行された詩の朗読会に絡めて、『婚約目前か? 聴衆も祝福』という見出しのザボージュとの熱愛報道が、通常版の紙面を派手に飾ったばかりである。

 『フィアルノ新聞』の記事には嘘や誇張があると承知をしているが、全文が掲載されたザボージュの即興詩は、読むだけで当てられそうなほどお熱いもので、それこそケリートルーゼとも、お互いの兄、姉を、じきにお義兄にい様、お義姉ねえ様と呼ぶことになりそうですね――などと、面映ゆく話をしたものだ。それなのに……。


 涙目で睨みつけてきたケリートルーゼ、ひそひそ話をしていたというその従者、そしてサリフォール公爵邸には配達されなかった号外新聞……。それらのことを総合すると、その真逆の結果を示しているようにアレグリットには思われる。その際に、王后にケリートルーゼの肩を持たせる、何事かがあったということだろうか?



 とにかく、ドロティーリアに下がれと命じられてしまったからには、アレグリットに王宮に留まっていられる資格は無い。ぐずぐずしていないで帰るしかないだろう。

 乳母を連れて廊下を歩き、階段を降りて踊り場に差し掛かったアレグリットを、小さな足音が追ってきた。


「アレグリット様、お待ちになって!」

 鈴を振るような声で、アレグリットを呼び止めたのはマイネリアだった。たたた、と軽やかな足取りで、薄紅色のドレスを摘まんだ亜麻色の髪の侯爵令嬢は、階段を駆け下りて来る。

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