20-4

「そりゃまた、何で?」

 間抜けな問いを発するルアンに、半分はあなたのせいと言えなくもないんだこの唐変木! と怒鳴りつけてしまいそうになるのを抑えつつ、マリカは怒りの矛先を向けるべき相手に向ける。


「何故って――、それはザボージュ様が、公爵様のお気持ちを量ろうともなさらないで、お身体の距離ばかりを先に先にと、詰めようとなさっているからに決まっています! このままご婚約、そしてご成婚――という運びになったら、公爵様の全ては、否が応でもご夫君のものになるのだがら、それまで待って下さればいいだけなのに、あの、ケダモノっ……!!」

 吐き捨てるようにザボージュを罵り、ぎりっと音が漏れそうな強さで、マリカは憎々しげに歯ぎしりをした。


 剥きかけのゆで卵を、今にも握り潰し兼ねないマリカの憤りに、ルアンもまた愕然とする。マリカの言うことが本当なら、多感な年頃である下働きの娘たちを、憧れをもってきゃーきゃーと騒がせているグネギヴィットとザボージュのいちゃいちゃは、そうとは呼べない一方的なものであるわけで――。


「公爵様は、ご自分がどうなさりたいかなんてことはいつだって後回しで、どうするのが最善かということを真剣に考えて、家のために州のためにと優先される御方です。だから我慢しておられるのでしょうけれど、お手が早いザボージュ様とのご交際は、お身体に変調をきたすほど、無理してなさっておいでなんですよ。おいたわしい……!」


 幸いにして、グネギヴィットの肌に現れた発疹は、週末の夜のうちに引いていた。朗読会の打ち上げ後のこととあり、飲食物か疲労のせいかもしれないと、グネギヴィットは直前の出来事との因果関係を慎重に見送ったが、主人がそれらの理由でじんましんを出したためしなんてなく、マリカにはザボージュに送り狼をされたせいであるとしか思えない。


「そうやって、無理に無理を重ねても、公爵様はぎりぎりまで、ザボージュ様とのご関係を継続しようとなさるでしょう。ご親族の方々がそれをお求めですし、何よりも公爵様ご自身が、願わくは、アレグリットお嬢様を王太子殿下のお妃様にとお考えですもの。

 だから私は、せめて公爵様のお苦しみが軽減できるよう、今までよりいっそうに、ザボージュ様に対してお邪魔虫になる所存でいます。そうしてそれをですね、ぜひともルアンさん、公爵様が一番同盟の同志ルアンさんに、手伝って頂きたいのですよ」


「――はい?」

 力のこもった主張を終えて、もりもりとゆで卵を食し始めたマリカを眺め、ルアンは呆けて口を開ける。いつの間にか、おかしな名前の同盟に加入させられているではないか。


「公爵様が一番同盟って、そんなんあるんですか?」

「今思い付いたので、ちょっと言ってみただけです。こんなことには、それくらい公爵様のことを、好きでしょうがないって人でないとご助力願えませんから」

「わっ忘れて下さいよ、それっ……!」


 さらっとマリカにおちょくられ、ルアンはかあっと火照った額に、空になった檸檬水の瓶を押し当てた。ひんやりとしていた瓶が、みるみるぬるくなっていくような気がする。


「忘れるって約束したら手助けしてもらえます?」

「『はい』って即答したいところですけど、マリカさん俺に何させようとしています?」

 瓶を下ろしてルアンが横目に様子を窺うと、ようやく食事を終えたマリカは、ゆで卵の殻を包んだナプキンを片付けつつ、忠憤に燃えたぎる目でルアンの顔を見返した。


「何ってだから、お邪魔虫ですよ。公爵様とザボージュ様が、ご政務の後、『マルグリット様の夏の園』でお待ち合わせをなさっていることは、ルアンさんもご存知ですよね?」

「はい、それは、まあ……」

 エトワ州城で働く者の中で、知らねば潜りといえるような公認の約束である。ルアンが人目を忍んで場所を変え、毎回こっそりこそこそと、女主人と密会していたのとは大違いな。


「その時がですね、公爵様にとっては、一日の中で最も危機迫る魔の時間帯なのですよ。室内でお過ごしの間は、たいてい叔父君様やローゼンワート様がご一緒されていますし、他のご一門の方々がお見えになっていることも少なくありません。ソーティ小父様がその場に付き切りになりますし、もちろん私だって頑張ります。昨日は安息日でしたから、まるまる一日そんな感じで凌ぐことができました。ですが今日のような平日に、お庭においでの際には……。

 ザボージュ様の従僕は、お二人がお庭で落ち合われると、ご主人様の荷物を纏めて先にお部屋へ引き揚げてしまいますし、私たち公爵様の側仕えも、何かしらのご用を言い付けられれば下がるしかありません。ご交際を深めるために、もともとそうして、容易く二人きりになることもできるようにと、設けられているようなお時間でもありますから、仕方が無いといえば無いのですけれど……」


 それを離れた所から、衛兵たちやシュドレー、それにローゼンワートといった面々が監視しているわけだが、マリカは知らないことである。知ったところで、ただ見ているだけなら木偶の坊だとでも毒づきそうだが。


「そこで庭のどこにいてもおかしくない、庭師のルアンさんの出番です。てい良く追い払われてしまったら、ご用に向かうついでにお声掛けをしますから、さりげなーくザボージュ様の視界に入りに行ってですね、そういう気分を削ぐなり、雰囲気を台無しにするなりを、してもらえたらなあと思うのですよ」


 庭師の鉄則に、真っ向から逆らうようなことをしてくれとマリカに頼まれて、ルアンは思わず頭を抱えた。ザボージュに見られることが狙いである以上、どう考えても自分の行いがばれない筈は無く、言われるままマリカに協力なんてしたら、大目玉を食うこと確実だ。なので遠回しに断ってみる。


「そうそううまいこといくもんですかね? 俺その、さりげなーくとか何気なーくとかいうのって、むちゃくちゃ不得意なんですが……」

「それじゃあ、わざとらしーくでも構いませんから、一度やってみましょうよ。それともルアンさんは、公爵様がじんましんを出すほど嫌々とか無理やりに、あんなこととかこんなこととかされているのを、見過ごしておけるって言うんですか?」

「それは――」


 それが真実であるならば、一も二も無くやめさせたい。グネギヴィットには辛い思いをして欲しくないし、何の権利があるわけでもないが、惚れた女性にそんなことをされるのはルアンだって嫌だ。

 しかし、南の公爵家のお坊ちゃんに対して、塵芥ちりあくたのような存在の庭師が、果たしてどれだけの抑制力を持つものか、怪しいものだともルアンは思う。さらには物事を、裏目に裏目に出しがちな自分が、グネギヴィットの大事にかかずらうのは大いに不安だ。


「……ばらしますよ」

「はいっ?」

「庭師のルアンさんには、好きで好きでしょうがない人がいるんですよって、城中の人に言いふらして回りますよ。私このお城の中で、とーっても顔が利くんですから」

「わっ……わかりましたよっ!」

 最終的にマリカに脅されて、ルアンは破れかぶれにうけがった。


 マリカの企てを手伝って、己のしようとしていることが、本当にグネギヴィットのためになるものかどうか、正直ルアンにはわからない。

 けれどもマリカとの一連の会話の中で、強がりで意地っ張りなグネギヴィットが、自分で自分に課した負荷で押し潰されそうになっていやしないかと、ルアンにはたまらなく気懸かりになっていた。今さら何をしてやれるわけでもないけれど……、マリカの話を全て鵜呑みにするのではなく、今のグネギヴィットの顔色を、直接この目で確かめてみたかった。


 そしてもし、そんなルアンの気持ちですらもありがた迷惑になるとしたら、その時には……、これまでにルアンが言ってしまったことや、やってしまったことも併せて、グネギヴィット自身が裁きをくれるだろう。いっそそうして貰えれば、この禁じられた片恋を封じて、未練を残さずエトワ州城から去れるような気がした。


「それではですね、このお邪魔虫作戦は、さっそく今日から決行しましょう。具体的な計画はですね――」

 懇々と述べてゆくマリカと、しっかりと示し合わせをし、彼女が思う以上の覚悟を持ってルアンは頷いた。

 人生の岐路は、すぐそこまで迫っていた。

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