20-2

 そういう選択もあるのだという、ローゼンワートの具申は、僅かだけグネギヴィットの気を軽くしてくれた。

 とはいうものの……グネギヴィットがザボージュを婿にできるなら、やはりそれがサリフォール家にとって最良であることに違いは無い。


 グネギヴィットが感情と理性の狭間で大きく葛藤し、簡単には出せない答えを先延ばしにする中で、ザボージュの詩の朗読会は華々しく開演した。

 エトワ州立劇場の総支配人として実益を取るか、演出家として臨場感を極めるかで悩んでいたシュドレーは、結局どちらも捨てることなく、一夜目と二夜目とでがらりと趣向を変える旨を発表していた。愛読者を代表して、ぜひともそうして欲しいと語ったテッサリナの案を、信用して採用した形である。



 一夜目は、ザボージュを『心の恋人』に据えるご婦人方に贈る夕べ。


 ザボージュ本人のみならず、彼の詩の世評に詳しいレギーオも巻き込んで、特に人気の高い作品の中から、詩中で語る相手を限定させないものを選りすぐり、シュドレーはザボージュに、自分をより良く見せながら、方々に視線を配って、観客の女性全員を魅惑するつもりで読み上げて欲しいとの注文を付けた。

 それは普段から、貴婦人たちのサロンで望まれてきたことの延長であり、ザボージュはこれに難なく応じた。


 趣向が趣向であるので、この日グネギヴィットは表に立たず、公演前のザボージュを楽屋で激励し、そして終演時、満場総立ちになった観客と共に、舞台袖から喝采を送った。



 二夜目は、白百合に捧ぐ夕べ。


 当夜は、観客席の中央後方にグネギヴィットの席を設えるとして、さらに物語性を高めるために、詩の選択、そして順番にも、ザボージュ自身の意見が多く取り入れられた。エトワ州城に滞在中のザボージュの筆は、レギーオが泣いて喜ぶほどに進んでおり、ならばと未発表の新作も加えることになった。

 一夜目と違って、「心のままに」とシュドレーに指示されたザボージュは、一方的にグネギヴィットを見初めた少年の初恋から語り始め、王宮での再会の歓喜や、恋敵に先んじられた絶望をもうたい、自らの恋の歴史を並べながら、ずっとあなたを崇拝してきたのだと――、終始彼女に向けて情熱的にかき口説くような朗読を続けた。


 終幕の直前に、一輪の白百合を手にしずしずと舞台に歩み寄るグネギヴィットを待ちながら、非常な高揚状態にあったザボージュは、手元の冊子を閉じて立ち上がった椅子に置き、予定されていた既成作では無く即興詩を詠じるという、シュドレーもびっくりの離れ業までやってのけた。


 それがまた、ようやく叶った恋の歓びを高らかに詠い上げ、求愛の句で結ぶ素晴らしい出来栄えで、手を取って舞台に上げたグネギヴィットの傍らに跪き、その手の甲に口付けを落としたザボージュに答えて、外面を作ったグネギヴィットが女王然とした微笑を湛えながら、自らの代名詞といえる白百合の花を手渡した最高潮のその瞬間、今この大観衆の目前で、二人の婚約が成立したのではないかという、なんともおめでたい空気が漂った。



「一夜目は一夜目で、うっとりと素敵な夢を見させてもらいましたけれど、二夜目は本物の求婚の場に居合わせてしまったようで、心の底からどきどきしてしまったわ」

 というのが、ぶすくれた様子のバークレイルと、珍獣を見るような目でザボージュを眺めるミュガリエを尻目に、二人の娘たちと一緒になって少女のようにぽーっと頬をのぼせ上がらせた、帰り際のテッサリナの感想である。


 シュドレーやザボージュに並んで客人たちの見送りをしながら、

「演出です」

 とグネギヴィットは朗らかに言い切り、

「本物にしてもらってもよかったのですが……」

 とザボージュは幾分残念そうにしつつも、グネギヴィットにだけこっそりと、

「本番では、あなた一人に、今宵のものを越える最高傑作を聞いてもらいますよ」

 との意気込みを語った。


 ちなみにこの夜のザボージュの即興詩は、レギーオが一言一句違えることなく速記していた。

 文字に起こしたそれと一緒に、王都へ送って『【笛吹き小僧】フィアルノ新聞』の記事にするのだと――、大興奮で書きなぐっていた草稿を、その場でシュドレーに取り上げられ、検閲されていたという落ちが付く。



*****



 朗読会の成功と、若い恋人たちへの祝福と……、グネギヴィットの心とは遠くかけ離れて、祝賀の雰囲気に満ち満ちた夜であった。

 しかし、自分たちの交際が順調であるという報を、マイナール内での噂に止めず、王都にまで流してもらえるのは願っても無いことで、その利を考えうわべを綺麗に取り繕えてしまえるのがグネギヴィットである。

 朗読会への出演を快く引き受けてくれ、あれほどまでに熱烈に、自分への愛を詠ってくれたザボージュに対しての償いの気持ちもあり……、結局のところグネギヴィットは、自分が望む以上に親密にしたがるザボージュを、撥ね退けることができなかった。


 シュドレーに誘われ、ザボージュやレギーオと共に打ち上げの宴に参加して、グネギヴィットがエトワ州城へ帰り着いたのは夜半過ぎのことだ。

 朝の見送り同様に、就寝のため私室に向かうグネギヴィットを、その扉の前までザボージュが送るのは夜毎のことである。

 常であればローゼンワートが、自分もまた自室に引き揚げがてらに番犬よろしく付いてくるのだが、この日政務を休んだグネギヴィットの分まで働いていた彼は、さすがに午前様となった主君を待っているということはなく、一足先に就床していた。



 いささか酒を過ごしてしまったようで、グネギヴィットはほんのりと酔っていた。マリカが居室の扉を開いてくれるのを待ってから、とろんとした眼差しを向けザボージュに挨拶をする。

「お休みなさい、ザボージュ」

「ええ、グネギヴィット」

 答えて接吻した後の手を、ザボージュはなかなか離してくれなかった。それは今に始まったことではなかったが、この時の、酔っぱらって素を覗かせたグネギヴィットには大いに不満であった。


「……お休みを言ってはくれないの?」

 それは眠くて眠くてたまらないから、早くそうして寝かせてくれ――、という催促に過ぎなかったのだが、恋に盲目となった男の耳には、拗ねたようなおねだりに響いた。

 『マイナールの白百合』と呼ばれる高雅な淑女とも、凛然とした男装の女公爵とももちろん違った、飾らないグネギヴィットの甘えたな口調もわがままな表情も、ザボージュには新鮮だった。


「そうですね、挨拶がまだ途中ですから――」

 言いながらザボージュは、掴んだままの手をぐいと引いた。軽くよろめいたグネギヴィットは、そのまま彼の腕に攫われるようにして、自室の中に連れ込まれる。

「えっ……!? きゃあー! 公爵様ー!!」

 突然の出来事に対応できず、恐慌するマリカの絶叫が聞こえた。


 侍女の悲鳴をものともせずに、背中で押さえるように扉を閉ざし、後ろ手で器用に鍵まで掛けてしまったザボージュに、グネギヴィットはぎゅうっと抱き締められていた。あってはならない状況に、グネギヴィットの酔いと眠気が一息に醒める。

「ザボージュ! 駄目……!」

「駄目? 何がなりませんか? あんな可愛いお顔を、お見せになっておかれながら不条理な。具体的に仰って下さらねば聞き分けられませんよ」


 胸の中にグネギヴィットをしっかりと抱き込んで、火を付けられたザボージュはとんでもないことを言う。マリカが外から扉を叩く音、そして灯りの無い部屋の暗がりが、グネギヴィットに危機感を募らせる。


「何がって……、具体的になんてわからないけれど、『【愛と結婚の女神】フィオの教え』に反するようなことは全部――!」

「それではつまり、『フィオの教え』に抵触しない行為なら、お許し願えるというわけですね?」

「そういうわけでも――やっ!」


 軽く耳朶を食まれ、グネギヴィットは総毛立つ。唇をそこに当てたまま、耳の穴に息を吹き込むように囁かれた。

「そこまでの無茶をするつもりはございませんが、使用人の前で――というのも無粋でしょう? それともあなたは、人に見せつけながら、という方がお好みですか?」

「なっ……!」


 そんな筈がないだろう――! と、かちんと来て、思わずザボージュを睨み上げてしまったグネギヴィットは、そのまま顎を捉えられ、物慣れた素早さで口の端に吸い付かれる。

 硬直するグネギヴィットに、ザボージュはそれ以上の無体を強いることはなく、わざと奪わなかった唇を親指の腹で愛撫してから、グネギヴィットを抱く腕を解いた。

「お休みなさい、グネギヴィット。よい夢を――」

 グネギヴィットの紅を移した親指に間接的に口付けて、ザボージュは悠然と退室した。それと入れ代わるようにして、勢いよく何かが転がり込んでくる。



「どっ、どどどどどうしようかと思いましたっ……! も、申し訳ありません公爵様っ!!」

 どもりながら詰め寄ってきたのはマリカだった。自分よりも慌てた者を見ていると、人は不思議と落ち着いてくるものである。この時のグネギヴィットもそのご多分に漏れず、動転しきったマリカを受け止める側に回った。


「だ、大丈夫だから……。ザボージュは……、そう……、彼流のお休みの挨拶をしていっただけ」

 言い訳めいたことを口にしながら、グネギヴィットは無意識のうちに指の背で口の端を拭っていた。そこに残る男の湿っぽい感触と、まるで予告をするように、唇を撫で上げていった指のいやらしさに、全身がひどくぞわぞわとしている。


「ああっ……」

 その主人の仕草に、自分の阻止できなかった出来事を悪いように誤解して、マリカはへなへなとへたり込んだ。そうして手燭を床に置き、悔しげに絨毯を掴んで、そのままさめざめと泣き始める。


「どうしてお前が泣くの? 困った子だね、マリカ」

 マリカの前に膝を落として、グネギヴィットはその頬に手を伸ばした。呆れながら涙を掬ってやる。

「だって公爵様は……!」

「わたくしが、何?」


 グネギヴィットの静かな問いかけが、マリカにその先を口にしてはならないのだと制した。気付いているのだろうけれど、どうか黙していてくれと――。

 感情を内に閉じ込めた、グネギヴィットの代わりに大きくしゃくり上げながら、マリカは主人の痛みを思って、なおさら己を責めずにいられない。

「私……、私たちは……、シュドレー様を始めみなさまに、厳命されていたんです。ザボージュ様を絶対に、公爵様の私室へお入れしちゃいけないって。それなのにわた、私としたことが、肝心な時に役立たずで……」


 積年の想い人であるグネギヴィットが相手とあって、実のところザボージュは、細やかに段階を踏み、 じれったさを味わうことすら愉しんでいるのだが、マリカにそんなことは知る由もない。デレスで一二を争う有名な遊び人に、大事な主人をどうされてしまうのかと……、閉ざされた扉をどんどんと叩きながら、マリカはもう気が気ではなかったのだ。


「さっきのことは、マリカだけの落ち度じゃない。わたくしもひどく不注意だったから……。二度目は起こらないように、助けてくれればそれでいいよ。それでも万一、ということがあれば、次は在室していればローゼンワートを呼びなさい。そのために彼を近くに置いているのだから。

 ……騒ぎを聞き付けて、目を覚ましているかもしれないな、ローゼンの奴。もしも部屋を訪ねて、返事がすぐにあるようならば、ザボージュには居間に少し押入られただけで、心配されるようなことまでは無かったのだと報告をしてきて」

「か、畏まりました……っ」


 冷静に指示を出すグネギヴィットに、マリカもなんとか気を取り直して、ごしごしと目をこすりながらうべなった。そうして床の手燭を取り上げて、その光の中でグネギヴィットの顔を視界に入れたとたんに、赤くなった目を皿にしてマリカは叫んだ。

「嫌ー! 公爵様! どうなされたんですかそのお顔っ!?」

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