19-2

「おやまあ憂鬱そうで。今朝方は、お気の乗らないお誘いを反故にする、よい口実ができたと言って、しめしめ顔をしておられたのに」

 外務卿と宰相の見送りをし、扉を閉ざした戸口から戻りつつ、眉間に皺を寄せる主君をからかって、キュベリエールは軽口を叩いた。


「それはそれ、これはこれだろう。こんな話だとわかっていたら、謁見なんぞさせなかった」

 もう一度重く溜め息を落として、ユーディスディランは自らの傍らに辿り着き、にやにやしているキュベリエールを、頬杖をついて斜めに見上げた。


「父上があの調子でいらっしゃる。姉上たちや私との縁談を、諦めさせたような国々から、代わりにアレグリットの輿入れを望む声が、上がるかもしれないとは思っていた。しかし何故、それがこんなにも早くに持ち上がる……? かの姫は今、私の妃候補に数えられているのだと、わからぬはずがなかろうに無遠慮な。もとを質せばアンティフィント家が、裏でたきつけているということはないのか?」


「はははははっ」

「笑ってごまかすな!」

「いえね。どうやら思いっきり裏目に出たようなので、一体誰のための、何のための工作だったのかと、おかしくなりまして。父の名代として王都に留まって、あれこれ画策している兄が哀れになっただけですよ」


 からりと笑ってキュベリエールは、疑惑をあっさり肯定した。外務卿はアンティフィント家の総領ジオロンゾの、妻の叔父である。家門から王太子妃候補の姫を出していない外務卿が、義理からも下心からも、アンティフィント家を後押しするのは当然だろう。


「ケリートルーゼをむやみやたらに持ち上げるのは仕方がないとして、お前の家は何故、このような見苦しい真似をする? サリフォール家もアレグリットも大人しいものなのに」


 アレグリットが『王后の人質』とされて後サリフォール家が行ったのは、当主グネギヴィットが婿取りを視野に入れて、ザボージュの求愛を受け入れたという噂を流すことだけだ。それもほぼ、長年の片恋の結実に浮かれ切ったザボージュが、相手構わず自慢して回ったので広まったようなもの……。


 ザボージュが今現在、【北】エトワ州城に招かれており、マイナールで二人の交際が進行中であることは、別に知りたくはなかったユーディスディランも知っている。公爵家の当主である以上、グネギヴィットには後継が必要であり、自分もまた妃選びを迫られている身ではあるが、グネギヴィットの的確すぎる変わり身の早さが、ユーディスディランには少々寂しい。


「ま、父や兄にしてみれば、怖いんでしょうねえ、その大人しいアレグリット嬢が。サリフォール家には、既に一度出し抜かれていますから、蕾が花と開く前に、とっとと殿下の目の前から、除けてしまえれば万々歳ってとこでしょう」


 ロジェンターが、抜け駆けをしてユーディスディランにアレグリットへの縁談を持ち込んだ話が広まれば、他国からも同様の申し入れがあるだろう。そうなってしまえばデレスは、どこの誰も選ばずに断り切るのは難しくなる。狙いはわからないでもないが、キュベリエールにしてみれば、その『どこかの誰か』から、『デレスの王太子』を外している時点で、兄は抜かっていると思う。


「出し抜かれた、というのは、サリフォール公――グネギヴィットのことか? 私はあの人の披露目によって、ごく当たり前にあの人と出逢い、同じように知り合っていた姫たちの中から、あの人に惹かれたというだけのことだ。姉上やシモンリールも交えて、従兄妹として最初から親しみはしていたが、サリフォール家に何かをされたということも、グネギヴィットに媚びられたような覚えもないが」


 そんなことは、キュベリエールもよーくよーく知っている。問題は、『マイナールの白百合』が、ユーディスディランに媚びる必要の無い淑女であったということだ。


「だから怖いんですよ、サリフォール家は。『サリフォール家の狸は没してなお祟る』というのは、うちの兄の言いぐさですけどね、昔殿下の恋煩いが知れた時に、兄はこうぼやいていたものです。先代のサリフォール公シモンリール卿は、殿下のお好みを徹底的に調べ上げ、殿下のお気を惹きつけられるように、手塩にかけて妹姫を教育していたのではないかと。あの狸なら、それだけのことをやりかねないと」


 突拍子もないキュベリエールの発言に、ユーディスディランは愕然とした。

「それではなにか。私はシモンリールに嵌められて、彼の思わく通りグネギヴィットに恋をしたのだと? 家内での放言は自由だが、失礼にもほどがあろうに」


 とはいうものの……、思い起こしてみればシモンリールとは、話題の高尚下世話を問わず、様々な物事について熱く議論を戦わしてきた過去がある。身分が近く頭の切れる従兄を頼り、他者にはできないような相談事も打ち明けてきた。そういった立場にあってシモンリールが、外でもないユーディスディラン本人の口から、情報収集をするのは容易かったわけで……、そこにシモンリールが備えていた、サリフォール家の嫡流らしい狸っぷりを加味すれば……、ものの見事にしてやられていた気がしてくるユーディスディランである。


「まあ、アンティフィント家の人間の考えることですからね。被害妄想のやっかみと、笑って流す度量をお見せ下さい。ですがその可能性を、私も未だ捨てきれずにいるんですよ。当のシモンリール卿は鬼籍の人で、グネギヴィット嬢はといえば、やけに男前な公爵閣下に変貌されてしまわれましたが、アレグリット嬢はどうやら、『マイナールの白百合』をお手本に、すくすくと純粋培養されておいでのご様子だ」


「つまるところお前は……、一体私に何が言いたい?」

 ユーディスディランが意地の作り笑いを浮かべもって促すと、キュベリエールはその心を見透かしながらすっぱりと進言した。


「心を揺さぶられておいでなら、さっさとお決めになられたらどうですかねってことですよ。断言したっていいです。慎重にご様子見なんぞをなさらずとも、アレグリット嬢は数年経てば、殿下のご期待を外さない貴婦人におなりでしょう。継爵された姉君のように、男勝りになってしまわれる動機もないでしょうし、 今からなら殿下ご自身が手をかけて、導くこともできるのだから、言うこと無いじゃありませんか」


「……そのような、サリフォール家に益するような甘言が、アンティフィント家の次男の口から飛び出してくるとは驚きだな」

 当初から、実妹のケリートルーゼよりもアレグリットを、ユーディスディランに推し気味であったキュベリエールだが、ここまではっきり意見されるとは思わなかった。キュベリエールは開き直った様子で、王太子の御前にあるにも係わらず、額髪をぞんざいにかき上げた。


「正直申しましてね、私は殿下にケリートをやりたくないんですよ。恋仲であるならいざ知らず、全くその気の無い殿下に、生意気ですが可愛い妹を、譲歩と諦めで貰ってもらうなんて阿呆らしい。だいたい王家と家とのもやづななら、今まで通り私がやってりゃ済むことです。子供の頃から伺候させておいて、私を信用して無いんかって、父や兄のがめつさに腹が立つから、邪魔してやりたいっていうのもありますけどね」


 齢二十六歳の若さにして、キュベリエールは人生の半分以上をユーディスディランに捧げている。シモンリールを亡くした今、ユーディスディランにとっては、比肩させる者が無いほどの寵臣中の寵臣といえるのだが、アンティフィント家にしてみれば、キュベリエールが常にユーディスディランの側に立ち、生家よりも王家に寄り過ぎていることこそが、悩ましい問題であるのかもしれない。


「ケリートのわがままに、振り回されたいっていう崇拝者は山ほどいます。ですが、殿下のお妃候補と呼ばれている限り、ケリートに他の男を近づけさせるわけには参りません。それは他家の姫君方にしたってご同様でしょう。ご興味の欠片もないくせに、女の儚い花の時期を、浪費させてしまうのは罪ってものですよ」


 ここぞとばかりにキュベリエールは、ユーディスディランに忠告した。主君が見向きもしていない候補者の中に、好みの姫を見出した彼自身が、父兄に交際の申し入れをすることができずに、困っているのは内緒である。


「私の妃候補者の選抜と囲い込みは、母上が勝手になさっていることだが、世間にはそういった見方もあるわけか」

「そうですよ。殿下はご自身の罪深さを、もっとよくお知りになるべきです。ああ、そうです――、これは、近衛一番隊の騎士を通じて小耳に挟んだなんですけどね」

「何だ?」


「王后陛下にリボンを巻かれた豆狸は、今日は王宮でお留守番だそうですよ。この暑気ですから大事をとって、というのと、舟遊びには国王陛下もお出ましではありませんからね、陛下のご昼食のご相伴をするようにと、ご命を与えて置いてゆかれたとのことです」

「そういうことこそ早く言え!」

 それまで掛けていた椅子を蹴倒しかねない勢いで、ユーディスディランは立ち上がった。


 ユーディスディランの頭に入っている、国王の日課表に狂いが無ければ、ハイエルラント四世は今、昼食後の午睡の真っ最中である。寝起きの国王にお茶に誘われるか、王后の帰りを待つかするまで、アレグリットはおそらく一人で時間潰しをしているだろう。


 午後一の謁見に備えて、午前中はロジェンターに関する情報の再確認をし、昼食は宰相たちと打ち合わせを兼ねた会食を行ったが、もともとは朝から遊山に出掛けているはずであったために、ユーディスディランもこの後の予定は珍しく白紙である。しかも、ドロティーリアに邪魔される恐れのない、貴重な貴重な空き時間だ。


「……もうお決めになったらいかがです?」

 主君の過剰な反応にキュベリエールは吹き出した。ドロティーリアに引っ掻き回されるのを警戒して、人前であからさまにはしていないが、ユーディスディランがその動向を注視している姫は、あの新緑祭の夜からアレグリットだけなのだ。特別な気に入りであるのは間違いないのだから、さっさと手に入れて、さらに自分好みの淑女となるように、楽しい育成生活を始めればよいのにと思う。


「それがそうもゆかない、事情を汲んでもらいたいね。姉が駄目なら妹を――というのではなくて、どうしてもかの姫でなくてはという強い気持ちが湧かない限り、私はアレグリットを選ぶつもりはない」

「そういうとこ、融通利きませんよね、殿下は」

「誰しも不幸せにはなりたくないし、人を不幸せにしたくないものだろう? せっかく妃を選ばせてもらえるのだから、無条件で愛せる相手を娶りたいのだ」


 自らの妃とするか、ただの従妹で終わらせるか、アレグリットとの関係の構築に、ユーディスディランはじっくりと時間を掛けるつもりでいた。アレグリットはまだ、披露目を済ませたばかりの少女であるし、自分が彼女に抱いている情の種類を見誤りたくは無い。――だが。


「のんびりさせてはくれないものだ」

 様々な事情がユーディスディランをく疾くと急き立てる。この夏のうちに、決断せよと言わんばかりに。

 キュベリエールと、扉の外で控えていたヘルヴォンに付き従われ、おそらくアレグリットがいるであろうある場所に、忙しく足を運びながら、ユーディスディランは人知れず零した。

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